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「ブラジャーの内側にぽつりと灰色のしみが」20年以上つづけた認知症の母親の介護が落ち着いた途端に…介護者の娘が受けた“乳がん宣告”

文春オンライン / 2024年9月30日 11時10分

「ブラジャーの内側にぽつりと灰色のしみが」20年以上つづけた認知症の母親の介護が落ち着いた途端に…介護者の娘が受けた“乳がん宣告”

写真はイメージ ©AFLO

 20年以上介護を続けた認知症の母親が、ようやく施設へ入所した。一息つけると思ったのも束の間、今度は自分の乳がんが発覚し、闘病生活がスタートする――。

『 介護のうしろから「がん」が来た! 』(集英社文庫)は、作家・篠田節子さんのそんな実体験を綴ったエッセイだ。ここでは同書より一部を抜粋して、篠田さんが何度も検査を重ねて「クロ」とわかるまでの経緯を紹介する。(全4回の1回目/ 続きを読む )

◆◆◆

ブラジャーについた小さなしみ

 昨年11月、母が介護老人保健施設に入所し、ふっと手が空き、ああ、そうだ、と紹介状を手に駒込にある内分泌系の専門病院に行った。1回目の穿刺の結果は、灰色。初めて我が身のことについて医師から「がん」という言葉が発せられる。

「厳重経過観察。1か月後に再検査」と言われ、宙ぶらりん状態にいた2月の初め、今度はブラジャーの右側乳首があたる部分にぽつりと灰色のしみを発見した。

 虫刺されの出血くらいのごくごく小さなものだが、頭に黄色いランプが灯った。

 どこかで聞いた。乳がんの症状として乳頭からの出血がある、と。早速、ネットで「乳頭出血、がん」を検索する。確かに何件もヒットする。

 自分で右側乳房を触ってみる。しこりらしきものはない。少し張っていて痛い。ということは乳腺炎か? 分泌液の色も血というより、薄い泥水か垢みたいな感じだ。

 取りあえず、とかかりつけの医院に電話をして乳がん検診の予約をお願いするが、応対に出た看護師さんが遮るように言った。

「あっ、それ、もう症状出ちゃってますから、検診ではなくて直接乳腺科に行ってください」

「はぁ、症状……ですか」

「検診だと自費ですが、症状が出ていれば保険がききますからね」

 すこぶるプラグマティックなお言葉に感謝しつつ、インターネットで市内の乳腺科を探し電話をする。診療予約を取ろうとすると2週間先まで一杯だと告げられたが、症状を説明すると一転、1週間後の朝いちの予約を入れてくれた。

イケメン先生による検査の結果は…

 2月半ば、乳腺クリニックを受診。

 医師は男性。コンピュータ画面ではなくしっかりこちらの目を見て話をする、中年のイケメンだ。「おっぱい」という微妙な器官を扱う男性医師として、患者応対は完璧で、さぞかしこれまで重要な告知をたくさんされてきたのだろう、とそのあまりにも真摯な態度に感服する。

 問診に触診。何も触れないらしい。

 次、マンモグラフィー。異常のない左側はさほどではないが、右側はガラス板にはさまれると凄まじく痛い。「頑張ってくださいね」と看護師さんに声をかけられ上下左右から潰される。

 その後、看護師さんが乳房を押したガラス板を拭いているのが目に入った。乳頭からかなりの量の分泌物が出たらしい。

 痛い思いをしたわりには、マンモの結果はシロだった。

 次のエコーでようやくそれらしきものが発見されるが、1.5センチくらいの塊で良性か悪性かは不明。

 さらに今回の主な症状である分泌液について、採取して調べる。

 どうやって採取するかって? マンモで潰されて出てきたものは看護師さんが拭いてしまったから、また新たに出し直すわけだ。

 イケメン先生が、謹厳な表情のまま、やにわに両手で私の右乳房を掴んだ。そして力を込めて搾る。

 痛い、痛いってば……。あたしゃホルスタインじゃないよ。

「頑張ってくださいね」と相変わらず看護師さんの牧歌的な声。

 ようやく搾り出した微量の分泌液をスライドガラスに載せたところで、この日の検査は終了。

 エコーの結果を見ながら先生から「五分五分ですね」という慎重な言葉をもらう。

 乳腺クリニックを受診して4日後、甲状腺腫瘍の再穿刺の結果が出たのだが、こちらも相変わらず灰色、厳重観察のままだ。

 あっちもこっちも灰色かよ、とやさぐれつつ62という自分の歳を想った。もう決して若くはないが、死ぬにはやや早い。

 加齢とともに細胞の正確な複製能力が落ちてくることを思えば、還暦過ぎの人間の身体に五分五分の確立でがん細胞が存在するなど当たり前のことなのだが。

結果待ちの間にしたことは

 それではそろそろ準備した方がいいかと、ネットで日本尊厳死協会のホームページを呼び出す。

 そんなものに入っていたって、いざ、容態が悪くなれば、病院と家族のやりとりで延命が決められてしまって本人の希望通りにはならない、という話はよく耳にする。だが何も意思表示せずに、鼻管栄養、胃瘻、点滴、人工呼吸器、ついでに身体拘束も入って、拷問のような数カ月を過ごして死ぬのは御免被りたい。

 送られてきた申込書を読むと、リビングウィルの内容が、意外に詳細で具体的なものだとわかった。それまで漠然と「尊厳死」といってもなかなか本人の意思が反映されなかった事例を踏まえてのことだろう。

 グッドタイミングかバッドタイミングか、ちょうどその頃、まさにその「尊厳死」をテーマにした小説『死の島』について、作者の小池真理子さんと対談する企画が飛び込んできた。

 即座に「グッドタイミング!」と引き受けるのが作家の習性だ。取りあえず、「こんな状態で、ただいま結果待ちです」と担当者にメールを打つ。

 数日後、携帯に小池真理子さんから電話がかかる。病状を心配してくださり、力になれれば、と具体的な申し出をいくつかしてくれる。社交辞令ではない真摯な言葉にはいつも心を打たれる。

「節子さん、巨乳じゃないよね」「どっちかっていうとヒン…」

 その翌週、乳頭からの分泌物の検査結果が出て、いよいよ乳がんの疑いが強まり、針生検に進む。昔なら組織を切り取って検査に回したところだが、今はマンモトームという機会を用いて病変部分に針を刺し、組織を吸引して採取する。針といっても直径3.4ミリはある太いものなので、局部麻酔をし、先生が画面を見ながら、えいやっ、とそれらしき部分を狙って刺す。その後、ズズズっという音とともに組織が管に吸い込まれる。もちろん麻酔が効いているから痛みはないが微妙な気分だ(ちなみに甲状腺穿刺の方は麻酔無しで針を刺されるので痛い)。

 このマンモトームによる生検によって最終的に結果が出て、旅行先の熱海に電話がかかってきた、というわけだ。もちろん電話で結果を告げられることはなかったが、この時点で「クロ」は確定。

 まあ、命を失うことはないだろうが、この先、手術、放射線、抗がん剤治療等々で辛く不自由な生活が始まると思えば、お楽しみは今だけさ、という刹那的気分にとらわれる。

 胸に秘めた恋などあれば、どこぞの殿方にメールを送っているところだが、還暦過ぎの身にそんなロマンはない。

 自宅で留守番している亭主に電話で報告した後は、インフィニティプールで夕陽を眺め、温泉に浸かり、夕食のブッフェで美容にも健康にも悪そうな、高脂肪、高カロリー、高コストの料理を皿に取りまくる。

 それはともかく、乳がんは発見さえ早ければ9割は助かる、と言われ、どこの自治体でも乳がん検診に力を入れている。

 その際、触診とマンモグラフィーは基本で、私自身も受けていた。だが毎回、異常なしという結果だった。今回、乳腺科で受けた検査でさえ、触診とマンモで異常は発見できなかった。

「あのさぁ、節子さんとお風呂入ったことはないけど」と電話で話した折に小池真理子さんが口ごもった。「節子さん、巨乳じゃないよね。大きいとマンモに写りにくいって話だけど、どっちかっていうとヒンだよね……」

 おいっ、こら!

 ヒンだからといって全部が全部写るわけではない。だがエコーには捉えられた。

 逆にエコーでは何も発見できず、マンモグラフィーで見つかる場合もあるらしい。

体の声を無視してはいけない

 大切なのは、検診を受ける一方で、日常的に自分の体の状態に気を配ることではなかろうか。自分で触れたときの硬いもの、何とはなしの違和感、小さな出血、張ったような重苦しさ。

 乳房に限らず、自分の体の中で異変が起きているときは何かサインがある。

 頭の良くなりすぎた人間という生き物は、しばしば体からの警告や訴えを無視して仕事に励み、子育てや介護に勤しむ。それが深刻な結果をもたらすこともある。

 体の声を無視してはいけない。

 おかしい、と思ったら立ち止まる。危ない、と判断したら医療機関を訪れる。その一瞬をないがしろにせず、自分ファーストに切り替えることの大切さを、病気になって初めて知る。

ついにイケメン先生から結果の報告が

 3月17日。少し早めに彼岸の墓参りを済ませた日の夕刻のこと。例によってイケメン先生が私の目を正面から見つめた。

「生検の結果ですが……がん細胞が発見されました」

 告知というより宣告、という言葉がぴったりの真剣な眼差し。「できるかぎりのことをします、頑張ってください」と、その表情が物語っている。

 ステージ1と2の間くらいの浸潤がん。続いてその他の検査結果について、詳細でわかりやすい説明がある。初期の乳がんなので、きちんと治療すれば9割方助かると告げられた。

「だいじょうぶですか?」と先生が言葉を止めてこちらの顔を覗き込む。

 あまりにも平然としているので、ショックのために茫然自失していると勘違いされたようだが、クリニックから電話をもらった時点で結果はわかっていたのだから、すべて想定内だ。

 還暦を過ぎてみれば身辺はがん患者だらけだ。可愛いさかりの子供を残して亡くなったフリーアナウンサーの悲劇は記憶に新しいが、私の身辺では乳がんで死んだ者はいない。

 たとえば役所時代の先輩はセカンドオピニオンに従い、数年間放置した後、そろそろ大きくなってきたから、と手術したが、2泊3日で退院してきて予後は良好だ。

 一緒に温泉に行ったが、温存手術のうえ、もともと赤ん坊の頭ほどもある巨乳なので、どこを取ったのか、手術痕さえわからない。

 20年来の友人もやはり温存手術だが、彼女はその後の放射線治療がなかなか辛かったらしい。

「私も最初はさっさと手術してさっぱりしたいと思ったけど、とにかくその前の検査とかセンチネル生検とかの段階から、どんどん落ち込むの。やっと終わったと思っても、その後の放射線治療とか憂鬱なことがたくさんあって。せっちゃん、たいへんなのは手術が終わった後だよ」

 とはいえ、普通に生きている。美熟女ぶりは変わらず、センスの良い服の下の胸の膨らみもまったく以前と変わりない。

 つまり手術は受けるとして、昔と違い、最近の主流は温存。術後の放射線治療が辛い場合もあるが、終わってしまえば、見た目もほとんど変わらず、生活に支障はきたさない。若くして発症すれば進行が速く危険だが、おばさんはめったに死ななない。

 このときまで私の認識はこんな程度のものだった。ところが……。

〈 乳がん手術のため入院することに…施設に入っている母の洗濯物はどうする? 「珍しくない」介護者のがん治療に感じる“ディストピア” 〉へ続く

(篠田 節子/Webオリジナル(外部転載))

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