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乳がん手術のため入院することに…施設に入っている母の洗濯物はどうする? 「珍しくない」介護者のがん治療に感じる“ディストピア”

文春オンライン / 2024年9月30日 11時10分

乳がん手術のため入院することに…施設に入っている母の洗濯物はどうする? 「珍しくない」介護者のがん治療に感じる“ディストピア”

写真はイメージ ©AFLO

〈 「ブラジャーの内側にぽつりと灰色のしみが」20年以上つづけた認知症の母親の介護が落ち着いた途端に…介護者の娘が受けた“乳がん宣告” 〉から続く

 20年以上介護を続けた認知症の母親が、ようやく施設へ入所した。一息つけると思ったのも束の間、今度は自分の乳がんが発覚し、闘病生活がスタートする――。

『 介護のうしろから「がん」が来た! 』(集英社文庫)は、作家・篠田節子さんのそんな実体験を綴ったエッセイだ。ここでは同書より手術のための「入院準備」について書いた部分を抜粋して紹介。介護者ががんに罹患するケースの大変さとは……。(全4回の2回目/ 続きを読む )

◆◆◆

1泊3万! 人生初のセレブ入院

 入院先については聖路加国際病院を選んだ。医療水準が同じなら、そして自宅からの所要時間も同じくらいなら、一生に一度のセレブ入院も悪くない。運悪く再発し、最終的に治療の見込みなし、とされたとき、緩和ケア病棟のある病院で順調にあの世に送ってほしいという気持ちもあった。

 週明け早々、乳腺クリニックに電話をして「聖路加」を希望する旨を伝えると、看護師さんから慎重な口調で応答があった。

「あの、聖路加さん、全個室ですから、差額ベッド代がお高いですよ」

 なんの。どうせ一生に一度、生まれて初めての個室だ。パソコンを持ち込んで仕事をすれば、1泊1万や2万。

「3万円以上ですかね。今回だけでなく、その後もそちらの病院にかかることなども考慮しますと……」

 1泊3万。絶句。

 確かに抗がん剤治療や転移で再手術、緩和ケアなどということになったら……。1カ月で100万。しかも辛い体調であれば病室で仕事などできない。ノーテンキな目論見は最初から成立しない。

 だが、「個室にしとけ」と夫。

「僕なんか隣のベッドのじいさんの夜間譫妄で寝るどころじゃなかったから」

 確かに。

 人生、初のセレブ入院。公立病院の大部屋しか知らない者にとっては、いろいろな発見があるかもしれない。

 度胸を決めて紹介状をお願いする。

老健に入っている母の洗濯物はどうする?

 入院先は決まったが、いつから、どのくらいの期間か、は未定だ。

 とりあえず母が入っている老健(介護老人保健施設)に連絡を入れ担当者に事情を話す。

 それまで、週2回、施設に通い、面会のついでに洗濯物を受け取り、洗ったり繕ったりして届けるということをしていたが、これからしばらくの間は施設のクリーニングサービスをお願いするつもりだった。だが、翌月分の申し込み期限に間に合わず、4月はそちらのサービスが使えないことが判明。

 その間は洗濯については夫に頼むことにする。その際、排泄物の汚れのついた手洗いが必要な下着類については、可燃ゴミに出してくれるようにと指示した(リハビリパンツは断固拒否、の年寄りは案外多い。巷で言われるようにプライドの問題などではなく、肌触りに違和感があり、場合によってはかゆみを生じることもあるので、問答無用で脱いでしまうのだ)。

 廃棄するように夫に言ったのは気兼ねからではない。私ならハンドシャワーと棒付きブラシでさっさと済ませてしまう作業だが、配偶者でも肉親でもない人々の排泄物のついたパンツに嫌悪感を抱かない嫁や婿がいるだろうか。それを強要して相手の愛情や倫理、人間性を見極めようとする好意ほど卑しいものはない。

 どっちにしてもしないで済むことを、不快感を押し殺してする必要はない。まずは自宅と実家のタンスをかき回し、古いパンツを山と集めてきた。それを繕い、ゴムを入れ直し、使い捨て態勢を整える。何でも取っておく大正生まれと衣類を捨てられない昭和生まれの母娘のタンスの肥やしが、思わぬところで役に立った。

最悪、がん治療を継続しながらの介護か…

 洗濯物の件は片付いたとして、この先、検査、入院、通院と、しばらくの間、母のところに通えなくなる。そこで従姉妹たちに電話やメールで、顔を見せに行ってくれるように頼む。

 金銭や労力等々、介護についての責任は娘が負うとして、身内の女性たちの笑顔と優しい言葉が年老いた母にとっては何よりうれしい。年寄りを看るに当たって、責任を負う者と喜ばせてやる者は別で、その役割分担と自覚はけっこう重要だ。一人の人間に双方の役割を求められても困る。最大の懸念は、母の方は現在60代、70代、80代の従姉妹たちより長生きしそうなことだ。

 次の問題は私の退院後だ。どんな治療が待っていて、どのくらいの頻度で通院することになるのか皆目わからない。老健は老人ホームと違い在宅介護に繋げるためのリハビリを行う所で、原則として、3か月から1年以内に退所しなければならない。最悪、がん治療を継続しながらの介護が待っている。自らの余命を宣告された後、残された日々を母親の老人ホーム探しに奔走した女性作家、Sさんのことが頭をかすめた。

 考えてみると介護者のがんは、周囲を見回すとごく普通にある。特に認知症患者の介護者ががんに罹患するケースの多さについては、そのストレスを考えれば驚くには当たらない。

 舅を自宅で看ていたお嫁さん、母親を介護していた娘や息子などが、被介護者より先に亡くなるのも、珍しいことではない。つい最近も、友人の妹さんが実母を見送った直後に亡くなり、四十九日法要を母娘、一緒に執り行った。ワーカーさん、民生委員さんと話していてもそんな例はいくらでも出てくる。

その先にあるのはまさにディストピア

 年寄りを自宅で看ていれば、要介護度に関わりなく、自分の体調は二の次、三の次になる。家に一人置いておくわけにはいかず、かといって自分が検査を受けたり治療するために遠方の病院に同行させるのも難しい。

「病気が見つかって入院とか言われると、おばあちゃんを看る人がいなくなるので、いくら具合が悪くてもお医者さんにはいかない」と当たり前のように語った知人もいた。

 政策上意味がないと見なされるのか、こんなことは表には出ないし、話題にもならない。

 高齢化が進み、寿命が尽きた後も死なせない医療技術だけが発達し、その一方で医療福祉関連の支出がふくれあがる中、負担を丸投げされた家族が形ばかりの公的支援の中で疲弊し、病み、次世代を巻き込んで崩壊していく。少子高齢化ばかりが元凶とされる問題だが、人も他の生き物と同様、生きて、寿命が尽きて死に、次世代に取って代わられる存在だ。自然な生死のサイクルが歪められている。その先にあるのはまさにディストピアだ。

伝説のフレンチレストランへ向かったが…

 4月2日の夕刻、乳腺クリニックで紹介状をもらったその足で築地に。

 翌日は9時までに聖路加国際病院で受付を済ませなければならず、夫と2人、聖路加ガーデンにある銀座クレストンホテルに宿泊した。

 受診前夜のプチ贅沢に、壮行会を兼ねて築地の寿司とビールで夕食のつもりだったが、電車とバスを乗り継ぎ2時間半の長旅に加え、いよいよ明日執刀医と面談が、という緊張感もあって、チェックインして一風呂浴びたら疲れてしまい、繁華街まで出かける気力が失せた。ルームサービスを頼む趣味もないので、近場で済ませることにする。

 聖路加病院は噂と伝説に事欠かないところだが、最上階にフレンチレストランがあって出産を控えたセレブがお相手とご飯を食べている、というのもその1つだ(実際にはレストランは病院の建物ではなく、道路を隔てた向かい側のタワーのてっぺんにある)。ならばとそのタワー最上階に勇んで出かけてみたが、エレベーターを降りたとたんに残っていた気力が失せた。

 その店のおしゃれで高級感溢れるたたずまいは、20余年のよれよれブラウス姿の風呂上がりおばさんと憂鬱そうな面持ちのバーコード亭主が入るには敷居が高い。そのままUターンし地下のとんかつ屋で夕飯を済ませ、早々に部屋に引き上げる。

 眼下に流れる隅田川の暗い川面を眺めていると、ようやくここまで来たか、と奇妙に感傷的な気分になった。

 生まれてくるときは出生届1枚で済むのに死んだときは山のような手続きがある、とはよく聞く話だが、入院、手術も同様、とにかく目が回るほど忙しい。

 所属している保険組合、生命保険会社、役所への問い合わせ、諸々の書類の作成。その合間に母のところに顔を出し、親類に頼みごとをし……それより肝心なことがあった。

 今後の入院、手術、通院。この先、どんなペースで仕事ができるかわからない。

 この5、6年は、母の相手をしながらの執筆でかなりペースダウンしていたが、ここに至って、いったん停止しなければならないかもしれない。 

〈 「還暦過ぎてのシリコンバスト、感無量」「乳輪はタトゥーで…」62歳の作家が乳がん手術後に選んだ乳房再建の道 〉へ続く

(篠田 節子/Webオリジナル(外部転載))

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