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「警察を呼んでちょうだい」と叫び声が…20年以上自宅で介護をつづけた認知症の母を施設に入れることができた“意外なきっかけ”

文春オンライン / 2024年9月30日 11時10分

「警察を呼んでちょうだい」と叫び声が…20年以上自宅で介護をつづけた認知症の母を施設に入れることができた“意外なきっかけ”

写真はイメージ ©AFLO

〈 「還暦過ぎてのシリコンバスト、感無量」「乳輪はタトゥーで…」62歳の作家が乳がん手術後に選んだ乳房再建の道 〉から続く

 認知症の母親がようやく施設へ入所し、一息つけると思ったのも束の間、今度は自分の乳がんが発覚し、闘病生活がスタートした――。

『 介護のうしろから「がん」が来た! 』(集英社文庫、2022年)は、作家・篠田節子さんのそんな実体験を綴ったエッセイだ。ここでは同書より一部を抜粋して紹介する。

 20年以上もの間、自宅で一人介護を続けた篠田さんが、母を老健(老人保健施設)に入所させることができた経緯とは……。(全4回の4回目/ 最初から読む )

◆◆◆

母の腹痛騒動

 一昨年の11月のこと、身体に関しては極めて頑健な母がお腹の張りを訴えた。

 よくあることだった。認知症で満腹感がなくなり驚くほど食べる。誰かが昼夜そばにいて厳しく管理すれば別だが、自分で小銭入りの財布を持っており、台所には大きな冷蔵庫もある。

「食うな、食うな、とばかり。あんたと居たら、あたしは飢え死にする。いつもこんなにお腹を空かせているのに」と四六時中叫ばれながら何とかやってきた。それでも気を抜くと、深夜、明け方に腹痛を訴えて、救急車を呼んだりタクシーで病院に乗り付けるといったことを何度か繰り返していた。

 ただその日は昼間でもあり、かかりつけ病院に行った。

 腹痛がひどく待合室で座っていられない状態だったためにすぐに診療室に入れてもらい、混んでいたので病棟の先生が下りてきて診てくださった。

 母のお腹のレントゲン写真を一目見た先生は「イレウスのおそれがある。帰宅させたら危ない。寝ていて吐いたりしたら窒息するし、誤嚥性肺炎を起こす」と入院を勧めた。

 チャンス、と思った。一晩、楽できる。予想外に重症だった母の身体を心配する余裕もなくなっていたのだ。

 そのとき慌てたように外来の看護師さんが駆け寄ってきて耳打ちした。

「あの、ここでお母様を入院させたら、もうご自宅で生活するのは無理になりますよ」

 入院によって認知症が進行することを心配してくれたのだ。

「それに私たちはお母様のことはよく存じていますよ。病棟の看護師は知りませんから」

 確かに。先生の前で少し吐いた後、母はすっきりしてしまい、数分前の腹痛のことを忘れ「早く帰ろうよ」と叫んでいる。この調子では病棟の看護師さんたちの手を焼かせるだろう。

一晩だけぐっすり眠れる…

 これまでのことを考えると、私の自宅に寝かせて緩下剤を使えば何とかなりそうにも思えた。

 だが、それ以上に、今夜母がここに泊まってくれれば、自分が一晩だけぐっすり眠れる、という誘惑の方が大きかった。

 どうせ明け方あたりには、病棟の看護師さんから「ご家族が来て患者さんを落ち着かせてください」という悲鳴のような電話がかかってくることはわかっているが、それまでの数時間はゆっくりできる。

 事務手続きを終えて病棟に上がったとたん、母の叫び声が聞こえてきた。

 取りあえず胃の中のものを取り除き、嘔吐による窒息や誤嚥性肺炎を防ぐために、鼻からチューブを入れられていたのだ。

 私が顔を出したとたんに、「早く、警察を呼んでちょうだい」と繰り返す。

 わけがわからず苦しいことをされるのはたまらないが、こればかりはどうにもならない。

「このケースを在宅で看るのは無理ですよ」

「あんた、あたしがこんな目にあってると思ったら、あんただって今夜、眠れないだろ」

 どこまでわかっているのか、さかんにそんなことを口にする。

「びっくりされたと思いますが、大丈夫ですから」

 師長さんが落ち着いた口調でいう。続けてお医者さんから説明がある間、叫び声は延々と続いていた。

 その夜私はビールで晩酌し、正体もなくぐっすり眠った。

 翌日の午後、病院から、どうしても家に帰ると聞かないので家族が来てなだめてほしい、と電話があった。

 個室に入ると母は手足を拘束された状態で点滴され、興奮している。

 胃の中を空にし下からも出したが、まだしばらく入院治療が必要だ。だが痛み、苦しみが取れれば、本人は家に帰りたがる。短期記憶がないから経緯や事情を話して納得してもらうことができない。

「このケースを在宅で看るのは無理ですよ」とその日、先生から引導を渡される。わかっていることだが、ではどこでだれが面倒を見るの、ということになると見当もつかない。

病院から老人保健施設へ

 その翌日は母もだいぶ回復したらしく、車椅子に座っていたが、やはり椅子に拘束されていた。解いたとたんに勝手にエレベーターに乗って出ていこうとするらしい。

 お見舞いに来てくれた私の従姉妹にも「お願い、私をここから出してちょうだい」と訴えたそうで、従姉妹が涙ぐんでいた。

 3日目、どうしても出て行こうとして騒ぐために、同室の患者さんも興奮してしまい困っていると看護師さんからお話があった。だが身体が動くのに、治療が必要だからと四六時中拘束しては、せっかくの身体能力が奪われてしまうとのこと。そこで、病院の相談員さんから同じ敷地内の老人保健施設に移し、そちらで治療を続行する提案があった。老健の認知症フロアはエレベーターに鍵がかかり勝手に出られないから、拘束の必要はない。

 無理に決まっている、とそのとき私は思った。以前、心臓が苦しいということでその老健で1泊したことがある。

 だが、帰ると言って聞かず、フロアの介護士さんたちが総出でなだめにかかってくれたがどうにもならなかった。

 とうとう検査も治療もできないまま翌日の午後、私が迎えに行って連れ帰ったのだが、その帰り道にはすでに何もかも忘れていて、川原の土手を歩きながら切羽詰まった顔で「心臓が苦しいから病院に連れていって」。

 今回も結局、同じ結果になるだろうとためらう私に、白衣姿もりりしい女性の相談員さんが言った。

「お母様は私どもにお預けになって、あなたが少しゆっくりなさってください。このままでは家庭崩壊まで行きますよ」

 あまりにも親身で深刻な口調だった。家庭崩壊、とは、おそらく婉曲な言い回しだったと思う。あのとき相談員さんは、虐待、心中、介護殺人を危惧されていたのではないだろうか。

 私は彼女の提案を受け入れ、母を病室から老健に移した。何か訳がわからない様子で、母は車椅子で病棟から廊下を抜けて老健に移った。

 ――明日には介護士さんが音を上げるよ。絶対、無理――

 そんな事を思いながら、母が2人部屋のベッドに移されたのを見届け、その夜私は帰宅した。

意外にも馴染んでくれた母

 翌日、早々に老健から電話がかかり、さて、引き取りにいくか、と覚悟を決めたところが……。

「落ち着いていらっしゃいますよ」という意外な報告だった。

 一度、二度、だめでも、諦めるな、ということだ。

 もちろんその後、「なぜ私はここにいるのか」「こんなところで無駄金を使ったら将来飢え死にする。家に帰る」が始まるわけだが、2週間ほど面会を控えるようにと指示され、静観するうちに、意外にも馴染んでくれた。

 かつて看護師として働いていた母は、ユニフォーム姿の介護士さん、看護師さん、精神科のお医者さんが出入りするフロアで、そこが自分の職場だと思っているふしがあった。他の入所者の方々と冗談を言って笑い合っている姿も見た。

 そうして少なくとも、1年2ヶ月を老健で過ごすことができた。あの相談員さんの真摯な対応ときっちり引かれた口紅の色を私が忘れることは決してないだろう。

施設介護に移行する唯一の現実的手段

 もし、「うちの母は、父は、絶対にそんなところは嫌だと言っている」「以前、退去を命じられた。もう私一人で面倒見るしかない」「こっちが先に死んだって仕方がない、そのときはそのとき」と諦めている方は考え直した方がいい。2度目、3度目、4度目にはなんとかなるかもしれない、と。

 自宅から施設へのハードルはあまりにも高いが、自宅→入院→施設への流れは意外にスムーズだ。介護者にとっては書類の作成や衣類その他の準備など、何かと慌ただしい家族の入院だが、介護の大きな転換点になる。ここを逃す手はない。

 家庭内に介護者がいるとちょっとした病気ではなかなか入院させてもらえないが、それが施設介護に繋げる唯一の現実的手段になることを医療関係者にご理解いただければと思う。

 そして介護者の方も「母のことは、父のことは私にしかわからない」などと思わず、専門家の言うことは素直に聞いた方がいい。

 しっかり者、できた女性、お利口さんほど、他人の言うことを聞かないし、他人に任せることができない。だが、しっかり者、できた女性、お利口さんたちの疲弊した顔と心で下した判断は、しばしば大きな間違いを犯し、悲劇的な結果を生む。 

(篠田 節子/Webオリジナル(外部転載))

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