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『転校生』『青春デンデケデケデケ』間近に見た、大林宣彦監督の唯一無二の天才的な映画作りとは

文春オンライン / 2024年10月18日 6時0分

『転校生』『青春デンデケデケデケ』間近に見た、大林宣彦監督の唯一無二の天才的な映画作りとは

2019年 ©文藝春秋

〈 「コマーシャル上がりに映画はムリだ」「よそ者を入れるな」大林宣彦監督が受けた妨害…助けてくれたのは“東宝の名監督”だった《商業デビュー作『HOUSE/ハウス』撮影秘話》 〉から続く

 前例のない手法を使ったり、現場でどんどん台本を書き足していく大林監督のやり方に混乱するスタッフやキャストは少なくなかったという。そして彼らは映画が完成したとき初めて、「自分はこんな映画に参加してたのか!」と驚くのだった。

◆◆◆

『HOUSE/ハウス』のアイディア

―― 『HOUSE/ハウス』では千茱萸ちゃんがアイディアを出したんですよね。

千茱萸 「家が少女を襲う」ことと、「7人の少女の食べられ方」のアイディア、草案です。ある日監督から「千茱萸さんたち世代が見たくなるような映画を作るとしたらどんなのがいい?」と訊かれ、ちょうど『ジョーズ』や『グリズリー』など、当時は巨大生物が人間を襲う映画が流行っていたので、生きものが人間を襲うのは当たり前だから、生きていないものが人間を襲ったら面白いねと、お家が女の子たちを食べていくというアイディアを出したのがきっかけでした。

 60年代後半~70年代の監督はコマーシャルの撮影のためほとんど日本にいなかったので、私は尾道の監督の生家で祖父母と暮らすことが多かったんですね。そこは古いお屋敷で庭に昔ながらの井戸があり西瓜を冷やしたり、トイレもくみ取り式の和式で、小さな私は落ちるんじゃないかといつもドキドキして、子どもにはぞっとするような雰囲気の怖いお部屋がいっぱいありました。

 そんな環境に想像力をかき立てられ、「井戸からくみ上げた西瓜が生首になっていたら怖い」。お布団の上げ下ろしで押し入れからお布団がバーッと自分にかぶってくるのがすごく怖くて「お布団に食べられるみたい」。古いピアノを弾いていると鍵盤に爪が引っかかってパキッとなる。それで「ピアノに食いつかれるみたい」。当時の私は髪が長いのが自慢でしたが、お風呂上がりに髪をとかしながら「鏡の中の自分が襲ってきたら怖い」――、そんな幾つかのアイディアを桂千穂さんが脚本にきれいに組み直して下さいました。撮影を見学しに行くと監督から「これはどう? これは怖い?」と訊かれ、さらに現場で工夫して面白くして。美術も映像もカメラもスタジオもセットも贅沢。自分の頭の中の空想がリアルに目の前にある、夢のような現場でした。

恭子 東宝の松岡社長が、「みんなに分からないような映画を作ってくださいね」と、面白いことを言ってくれたので、監督はやりたいことを全部やったんじゃないですかね。

―― 子どもが怖いなと思うイメージを映像化してみたら、あのような映画になった。僕も中学生の時に映画館で見ましたけど、本当に大入りで、反応がすごかった。

恭子 私も渋谷宝塚に見に行った時に、『泥だらけの純情』と2本立てで、『泥だらけ』が始まると男の子たちがみんな出てきて売店で買い食いするものだから、売店のおじさんから、私、感謝されて(笑)。

―― それでまた『HOUSE/ハウス』が始まったら見るんですね(笑)。

恭子 そうそう。あの頃は1回だけじゃなくて2回3回と見られた時代で。

―― 映画の中で、泥だらけになった女の子に「泥だらけの純情?」とツッコミを入れるセリフがあって、その時劇場がワーッとすごくウケたんですよ。それをよく覚えています。

『転校生』からプロデューサーとして参加

―― 『HOUSE/ハウス』でデビューした後、商業映画が続いていきますが、『転校生』で初めて恭子さんがプロデューサーという形で入られますね。

恭子 それまでも何でも手伝ってましたから、改めてタイトルにプロデューサーで名前を出すのも若い頃でしたから嫌で。そうしたら、美術監督の薩谷和夫さん(注1)が「恭子さんは人一倍やっているんだから、プロデューサーで名前を出しなさい。名前を出すことは責任を持つと皆さんに知らしめることでもあるから」と言われて。だから、『転校生』から初めて出しました。

―― お名前は出てなくても、恭子さんがやっていることは変わってなかったということですね。

恭子 そうですね。8ミリ時代と全然変わってないです。

―― 『転校生』は撮影前にスポンサーが降りたり、いろいろ大変だったそうですね。

恭子 ちょっと大変でしたね。だから、尾道の造船所の社長に掛け合ったり、あちこち走り回って頑張っちゃいました。

―― 大林監督の作品は『転校生』で少しトーンが変わると思うんですけれども。

恭子 それまで監督は必ず自分の映画に出てましたから、私はとにかく、まずそれはやめてと言いました。どうしてもふざけちゃうんですよ。踊ったり。『金田一耕助の冒険』なんかではいいと思うんですけど、『転校生』ではやってほしくはないと。

―― それまでの作風とは違う落ち着いたトーンになったのは、恭子さんが要望したからですか?

恭子 あの時、原作者の奥様が亡くなられたりして、そういう中で原作権をいただきにいったりしていたものですから、ちょっと真面目に作ったらどうかしら、みたいなことは言いましたね。監督は必ず私に意見を聞くんです。すごい才能の持ち主だなといつも思ってましたから、余計なことは言わないんですけれども、たまに「こういうの入れてみたらどうかしら」とか、「こういうふうな表現のほうがいいんじゃないかしら」みたいに言ったりしてました。

『青春デンデケデケデケ』で見た大林組の現場

―― 僕も『青春デンデケデケデケ』でタイトルバックと冒頭の夢のシーン担当で参加させていただきました。

恭子 そうでしたね。ありがとうございました。

―― 僕は別班でしたが、観音寺のロケーションでは本隊の撮影の様子も見させていただきました。『デンデケ』ってすごく大変な作品でしたよね。スーパー16の3カメで、テストも無しにシーン全部を回していく。カメラポジションを変えて何度も撮り、全てがOKで編集の素材になる。それまでと全然違うスタイルの1本目でした。

恭子 そうですね。

―― 前例となる作品がなかったから、スタッフはどういう仕上がりになるのか全然分からなかった。

恭子 そうでしょうね。

―― ラッシュ(注2)も参加しました。現場の混乱がそのまま写っているラッシュを見てスタッフは不安になっていました。

恭子 あの時は不安だったと思います。

―― 監督はドキュメンタリーのような生き生きとした面白さを喜んでいたと思いますが、いい画を撮りたいと思っているスタッフたちは、まともに仕事をさせてもらえないと不満に思っていた。作品が完成してようやく理解できるんですが。

恭子 そう思いますね。それは時々ありましたね。いろんな作品で。

千茱萸 最後の最後までその姿勢は変わりませんでした。常に現場は監督の頭の中の動きに沿って変わってゆくことが多かったです。新しく入ったスタッフは監督の演出に混乱したり、俳優部は「本当にこれでいいんだろうか」と不安になることも多かったはずです。ことに大林組が初めての役者さんは、現場に迷惑をかけないようにと事前に演技プランを作られて挑む。けれど監督は現場で閃くとひょいっと演技プランを変えてしまう。そしてみんなが寝静まったあとに粘り強く台本と睨めっこして書き込み、書き足し、混乱していた現場の辻褄を紡いでゆく。だから監督の台本は映画が仕上がるまでの差し込み(注3)も多かった。夜中に書いた新しいセリフが俳優部の泊まる宿のドア下から差し込まれることもあるので、みなさん朝起きてギョッとすると。でも監督は「あなたが昼間現場で素晴らしい演技を見せてくれたから、もっと見たくてセリフを足したよ」と笑顔で殺し文句を(笑)。

「頼むから俺と似たような作品を撮らないで欲しい」

千茱萸 でもいつだったか――、監督がロケ現場でぽつんと佇んでいるときに、不意に私が「今回はどういう映画になるんだろうねぇ?」と聞いたら「オレもわかってないかもしれないね」と、ナニかを捕まえるかのように空を見上げたことがあったのが印象的でした。現場では誰も理解しきれなかった監督の真の意図が、編集やアフレコを経て、最終的には確信犯的に「嘘から出た真」をたぐり寄せる。これは誰にも真似ができないという意味で唯一無二の天才的な映画づくりであったと思います。そして完成した映画を観てはじめてスタッフ、キャストのみなさんが「自分はこんな映画に参加してたのか!」と驚かれる。そこで「監督を信じて良かった」「また大林組に参加したい!」と仰って戴けることが嬉しかったです。そういう意味では常に道を、扉を開く人でした。

―― 『デンデケ』では、前例のないものを作るって、これだけ苦労するんだというのを間近で見させていただきました。そうやって苦労して新しいスタイルを作っても、3本ぐらいやったらそれを捨てて、また違うスタイルを作る。それをずっと繰り返してましたよね。

恭子 たぶん小説を書くのと一緒でしょうね。何か新しいものに挑戦するという。

千茱萸 私によく言っていたのは、自分の真似をするなということ。自分が自分の真似をし出したら作家としては終わりだ。褒められると、人はその褒められたものをもう一回やりたくなる。でも絶対に俺はやらないんだと。

―― 本当に実践されてましたね。

千茱萸 若い作家さんたちから大林監督に憧れて映画監督になった、尾道に行ってロケをするのが夢ですと言われると、「もし本当に俺の映画が好きなら、頼むから俺と似たような作品を撮らないで欲しい。むしろ俺がぜったいに撮れない、嫉妬するような映画を作って見せてくれ」と言ってました。それが「大林の2番ではなく、アナタ自身の1番の映画なのだから」と。

注釈
1)薩谷和夫 美術監督。『HOUSE/ハウス』以降の大林作品の美術を1993年に亡くなるまで担当した。代表作『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』『青春デンデケデケデケ』など。

2)ラッシュ 現像が上がったフィルムを試写室で上映すること。モニターがない時代は、ここで初めてどんな映像になったのか見ることができた。

3)差し込み 差し込み台本のこと。印刷された決定稿からさらに変更する部分の台本。現場でスタッフ、キャストに配布される。

〈 「僕たちは今、戦前に生きてます」高校生の言葉がずっと頭に残っていた大林宣彦監督が「戦争三部作」に“遺したメッセージ” 〉へ続く

(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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