1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

「パンサラッサと先生にたくさんのことを与えてもらいました」「それは違う」調教師・矢作芳人がファンの言葉に“首を横に振った理由”「僕らが与えてもらっているんだよ」

文春オンライン / 2024年10月6日 6時0分

「パンサラッサと先生にたくさんのことを与えてもらいました」「それは違う」調教師・矢作芳人がファンの言葉に“首を横に振った理由”「僕らが与えてもらっているんだよ」

パンサラッサ ©getty

〈 種付け料は2000万円、ドウデュース、リバティアイランドにも勝利…「世界最強の日本馬」の正体【3年後の夏にはアーモンドアイとの仔が…】 〉から続く

「『記録よりも記憶に残る』――いったい誰が最初に紡いだ言葉なのだろう。パンサラッサは、この言葉がひたすら似合う競走馬だった」

 名馬・パンサラッサにまつわる心温かいエピソードを、小川隆行氏らが歴史的な名馬のエピソードを執筆した『 アイドルホース列伝 超 1949ー2024 』(星海社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

「記録よりも記憶に残る」――いったい誰が最初に紡いだ言葉なのだろう。パンサラッサは、この言葉がひたすら似合う競走馬だった。

 パンサラッサの「記録」は説明するまでもない。GⅢ福島記念の勝利を皮切りに、GⅡ中山記念も制覇――さらには、初のGⅠ制覇を成し遂げたドバイターフ(ロードノースと同着)。そして、日本馬史上はじめて勝利を手にした世界最高賞金レースのサウジC勝利へと繫がっていく。パンサラッサは、芝とダート両方の海外GⅠレースを制した初の日本調教馬である。

 この記録を再び作る競走馬は今後、そう簡単には出てこないであろう。

 しかしながら、人々の脳裏に焼きついているパンサラッサの「記憶」といえば、おそらく、2022年の天皇賞・秋での走りではないだろうか。あの日、パンサラッサは自身の世界を作った。それほどに、勇敢な大逃走だった。

2022年の天皇賞・秋

「府中の2000mは簡単ではない」レース前に矢作芳人調教師も話していたように、天皇賞・秋を逃げ切って勝利したのは1987年のニッポーテイオーまで遡る。それ故か――それとも他の出走馬も豪華メンバーだったからなのか、パンサラッサは単勝22.8倍。

 15頭立ての7番人気に甘んじていた。けれども、当時の担当、池田康宏元廐務員には自信があったという。「パンサラッサは暑さが苦手。前走の札幌記念のあとは北海道で放牧していて、季節が変わってからトレセンに帰ってきた。涼しくなると手を焼くほど元気になるのがパンサラッサ。いいタイミングだと感じていた」その思いは返し馬を終えた鞍上、吉田豊騎手も同じだった。「池田さんの言う通り、良くなってる。これなら――」この一言で「今日はやれる」と、池田廐務員の自信は、確信に変わったという。

 ファンファーレが鳴り響き、2番ゲートに悠々と身を収める。近走はスタートダッシュがつかないレースが続いていた。しかし、この日のスタートは互角だった。鞍上の手が動き、パンサラッサがこの日も果敢にハナを叩く。そして向正面に差しかかったところで先頭に立った。実況が後続馬の紹介をし終えるころ、2番手との差は測れないほど広がっていた。前半1000mの通過は57秒4。ハイラップのまま大ケヤキを通過する。それでもなお、脚は止まらない。ターフビジョンと6万20000人の瞳に、1頭だけが映し出される。勢いは衰えず、そのまま4コーナーを回っていく。長い。わかっていても、長い直線――。残り400m、坂を駆け上がり始めたところでムチが入る。1回、2回。間が開いて3回、4回…。しかし、ムチが入る度に後続との差が縮まっていく。長い坂を上り切ると同時に脚が止まる。

 見ていた私が、息継ぎを忘れていることに気づいたとき、1頭の馬がパンサラッサを交わしてゴール板を駆け抜けた。勝ち馬の表情を捉えた画面に、息の上がるパンサラッサが一瞬だけ見切れた。目の当たりにしたファンを沸かせるだけでなく、最後の最後まで粘り強く、勝ちに行ったパンサラッサ。ゴールの10mほど前でイクイノックスに交わされて2着となったが、この一戦でさらに多くの人々がパンサラッサの「虜」となった。

 その後は2023年、英国のサセックスS(GⅠ)への出走を予定していたところで前脚繫じん帯炎を発症してしまった。この年で引退することがすでに発表されていたこともあり、このまま引退かと予想するファンもいたが、なんとパンサラッサは帰ってきた。復帰、そして、引退レースとなったのが同年のジャパンC。私は「ありがとう」と、何度も何度も唱えながら最後の直線を見つめていた。

矢作調教師の言葉

 ジャパンCの夜、矢作調教師とお会いする機会があった。私は矢作調教師に「パンサラッサと先生にたくさんのことを与えてもらいました」と感謝の言葉を述べたが、矢作調教師は首を横に振った。「それは違う。僕らが与えてもらっているんだよ、みんなに」と。

 年が明けた2024年1月8日。パンサラッサの栄光を称え、中山競馬場で引退式が催された。

 光栄なことに私も出席させていただくことになり、式が始まるまでの時間を控室で過ごしていた。同じく出席する元廐務員の池田氏と、パンサラッサの生産者である木村秀則氏は、その日が初対面。二人の会話は、実に興味深かった。「パンくんはやはり生まれた時から“やんちゃ”だったのですか?」という池田氏の問いに、木村氏は「牧場では優等生でしたよ。他馬の争いごとには関知せず、おとなしくて、いつも淡々としていました」と答えた。両者とも“信じられない”といった具合で笑い合う。「どのタイミングで変わったのか?」「だから海外遠征の際は落ち着いていたのだろうか?」と、正解の出ない答え合わせは、いつまでも続いた。

 夕焼けと入れ替わるように、パンサラッサがターフに姿を現した。レースだと思っていたからか、いつも以上に「やんちゃ」なパンサラッサだった。パンサラッサに歌を贈るため、壇上にのぼった。私はそこから、光る瞳を見た。雨上がりの水たまりのようなその瞳は、どんな言葉も奪い去るほど眩しかった。それはパンサラッサの瞳ではない。パンサラッサを見送る、競馬ファンの瞳だった。

世界を作るのは、君だけ。

 競走馬の栄光を語るとき、負けたレースにスポットを当てるのは無礼なのかもしれない。あの日、パンサラッサは確かに負けた。けれども、記憶に残る、勝ちに等しいと言える走りだった。パンサラッサを語らずして、2022年の天皇賞・秋を語ることはできないだろう。

「一度くらい勝つのでは?」私はそんなことを考えながら、何度もレースを見返している。

 ――行け、パンサラッサ。世界を作るのは、君だけ。

(ブルーノ・ユウキ/Webオリジナル(外部転載))

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください