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「お母さんに家を買ってあげたい」だけじゃない…極悪女王・ダンプ松本(63)が「ヒールレスラー」の道を選んだ“もう1つの理由”「怖い外国人選手と闘うのは嫌だなぁ~って」

文春オンライン / 2024年10月6日 11時0分

「お母さんに家を買ってあげたい」だけじゃない…極悪女王・ダンプ松本(63)が「ヒールレスラー」の道を選んだ“もう1つの理由”「怖い外国人選手と闘うのは嫌だなぁ~って」

女子レスラー界のレジェンドで、Netflixドラマ『極悪女王』のモデルにもなったダンプ松本さん。現在は芸能活動とともに自主興行「極悪血祭り」を定期的に開催している ©双葉社

「私にはたくさんお金を稼いで、お母さんに家を買ってあげたいって明確な目標があったから、中途半端なポジションでは意味がない。それで自分から会社に言ったの。私、ヒールをやりたいですって」

 話題のNetflixドラマ『極悪女王』のモデルとなった、女子レスラーのダンプ松本さん。実はヒール役をあえて買って出たのにはもう1つ理由が…。新刊『 全日本女子プロレス「極悪ヒール女王」列伝 』(双葉社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

Netflixドラマ『極悪女王』について思うこと

「正直、まだピンときてないんだよね。周りからは『すごいね、すごいね』って言われるんだけど……」

 ひょっとしたら、年末には“時の人”になっているかもしれないダンプ松本は、自身のプロレス人生がNetflixでドラマ化されることを、まるで他人事のように語った。

 たしかに自分の人生だから、すべては「当たり前の話」の連続ではある。ただ、世間一般からすれば、それも令和という時代のコンプライアンスを通して見れば、そのエピソードはどれもこれも「嘘のような本当の話」になる。

 昭和という時代、全女という異常な職場。

 いまとなっては、もはや再現しようのない空気感がそこにはあった。

 そして、そんな時代だからこそ、“極悪女王”ダンプ松本が誕生したのである。

 もともとダンプはビューティ・ペアのジャッキー佐藤の大ファンだった。おっかけとまではいかないが、地元で全女の興行があった時には、応援ハッピを着て、会場に足を運んでいた。

 そして、いつしか女子プロレスの世界を志すことになる。ジャッキーのファンだったから、当然、ベビーフェイス志望だった。しかし、なかなか芽が出ず、プロテストにも受からない。仲間たちが地方巡業に行っている間も東京で居残り番。与えられた仕事はプロレスラーとしてのものではなく、ひたすら営業の手伝いばかりで、営業車を運転させられていた。そんな日々にダンプの考え方は大きく変わっていく。

「最初はやっぱり憧れのジャッキーさんのそばにずっといたい、お付きの人になりたいって考えていたけど、正直、あの頃の全女の選手層を考えると、ベビーでトップになるのは大変だなって。頑張れば中堅ぐらいにはなれるかもしれないけど、それ以上は難しい。私にはたくさんお金を稼いで、お母さんに家を買ってあげたいって明確な目標があったから、中途半端なポジションでは意味がない。それで自分から会社に言ったの。私、ヒールをやりたいですって」

 まさかのヒールへの立候補。

ダンプ松本が「ヒール」を志願した理由

「あの頃は、まだ選手から会社にそういう意見を言えたのね。もちろん、すべてを受け入れてもらえるわけじゃないけど。千種もヒールを志願して、ダメだって言われたみたいだけどね。

 私も会社から『お前はベビーのままでやれ』って最初は言われた。『ジャンボ宮本みたいな感じでいいんだからって』。ただ、当時の私はジャンボ宮本さんのことを知らなかったし、それは納得できなかった。

 だから断った。あと、ヒールになりたかった理由がもう一つあって。当時、来日する外国人選手はみんなヒール扱いだったのね。あんなでっかくて怖い外国人選手と闘うのは嫌だなぁ~って思っていたから、そうか、ヒールになれば組むだけで闘うことがなくなるぞって(笑)。そんなズルい理由もあった」

 かくしてダンプはヒールの道を歩むことになる。

「どうしてもエクボが出ちゃう」悪役メイクの秘密

 当時全女のヒールは、池下ユミ、マミ熊野らが率いる「ブラック軍団」の全盛期。そう、ダンプ松本が全女ヒール列伝の始祖、というわけではない。ビューティとブラック軍団の抗争、ジャガー横田とデビル雅美の激闘という時代を経て、ダンプ松本の極悪同盟が存在する。

 ただ、新人だったダンプはヒールのトップである池下ユミから、直接、指導を受けた記憶はほとんどないという。

「基本は一つ上の先輩が指導するのが決まりだったから、私の一つ上の川上法子(実際は同期だがダンプがプロテストに何度も落ちたため川上は先輩)にいろいろ教わった。とにかく先輩方に厳しく言われたのは『ヒールは絶対に笑うな!』。ただね、私、どうしてもエクボがでちゃうのよ。自分では厳しくて、怖い表情をしているつもりなんだけど、エクボが出ると笑っているように見えちゃう。それで先輩に『なに笑ってるんだ!』と毎日のように叱られた。のちのち悪役メイクをするようになった時、頬を黒く塗るようにしたのはハッキリ言っちゃえばエクボを見えなくするためだけの話ですよ」

 池下ユミ引退後、ヒールのトップはデビル雅美に委譲された。デビル率いる「ブラック・デビル」にはマスクウーマンのタランチェラ、山崎五紀、マスクド・ユウ(のちのクレーン・ユウ)らがいたが、まだ本名の松本香でファイトしていたダンプは正直、パッとしないヒールだった。ところが状況は急変する。

 デビルのパートナーだったタランチェラの引退後、デビルは弟子のような存在だった山崎五紀と一緒にベビーフェイスへの転身を表明。事実上、デビル軍団は消滅。残されたダンプは同期のクレーン・ユウと「極悪同盟」を結成する(1984年)。

 これが運命の転機となった。

〈 年賀状に一番書かれた文字は「死ね!」、割れたビール瓶でいきなり襲われかけたことも…“日本一の嫌われ者”になった女子レスラー・ダンプ松本(63)の人生がヤバすぎた 〉へ続く

(双葉社/Webオリジナル(外部転載))

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