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「光る君へ」にフランス人妻がハマる理由「日本の大河ドラマは戦国ものだと…」

文春オンライン / 2024年10月6日 20時0分

「光る君へ」にフランス人妻がハマる理由「日本の大河ドラマは戦国ものだと…」

吉高由里子演じるまひろ(「光る君へ」公式Xより)

 NHK大河ドラマ「光る君へ」は、主人公のまひろ(紫式部)が「源氏物語」の執筆を開始した後半からますますの盛り上がりを見せている。在仏ジャーナリストの広岡裕児氏によると、普段はあまり大河ドラマに興味をもたないフランス人の妻が「『光る君へ』を毎回欠かさず見ている」という。戦国時代にはない、「光る君へ」の魅力とは何なのだろうか。

◆ ◆ ◆

ここまでつくっていいものか?

「NHKワールドJAPAN」という海外向けテレビ放送がある。無料で英語版、独自の番組で構成されている。このほかに、「NHKワールド・プレミアム」というのがあって日本の番組をそのまま放送している。ただしこれは有料。私はフランスで、インターネット・プロバイダーのテレビで視聴しているが、月に25ユーロとられる。総合やEテレ、BSの番組で構成されているが、その目玉はなんといっても大河ドラマだ。

 今年は「光る君へ」。 

 私は、日本の古典文学が大好きである。とくに、「枕草子」は学生時代に読み、その言葉のリズム、美しさにも酔った。「源氏物語」は何度かトライしたが挫折した。谷崎潤一郎の現代語訳でも同じだった。若かったからかもしれない。今回は、その清少納言や紫式部の時代である。キャストを見ると、赤染衛門も道綱母も和泉式部もいる。

 それから、戦国時代や明治維新など激動のない「平安時代」で一体1年間のストーリーをどうもたせるのか、という別の興味もあった。

 はじまってみると、藤原道長とまひろが幼馴染で恋仲になる。脚本の大石静さんは阿川佐和子さんとの対談で「二人の若い頃はまったく史料がないので、オリジナルで作り込んじゃってます」(「週刊文春」2023年9月7日号)といっているが、ここまでつくっていいものだろうか? それに、道長の兄がまひろの母を殺してしまう。清少納言(ききょう)と紫式部がまるで親友のように話すなんてありえない……。

 ところが、あるときふと気付いた。

「光る君へ」は「ベルサイユのばら」なのだ。

なぜ「光る君へ」は「ベルサイユのばら」なのか?

 私の場合、「ベルサイユのばら」は宝塚である。初演を宝塚大劇場で見ている。

 時代はルイ16世の治世、そしてフランス革命。たしかに、フランスの宮廷生活には満足できなかったマリー・アントワネットはフェルセン(作品中ではフェルゼン)と不倫関係にあった。有名な事件や歴史的事実もちりばめられている。しかし話の軸となる主人公は男装の麗人・オスカルである。そのフェルゼンへの恋心、オスカルを慕う従者アンドレ……もうこれは、まひろと道長の恋どころの話ではない。

 それでも堪能した。

 遠い東洋の島国の人間にとって、フランス革命は、想像上にしか存在していない。いわば「ファンタジー」なのだ。

 しかし、ファンタジーだとはいっても、好き勝手に荒唐無稽な世界を作り出したわけではない。「ベルサイユのばら」は原作の漫画の時から、きちんと歴史をとらえて、世界をつくっている。あくまでもその枠の中に架空の人物を当てはめ、純粋な創作の力によって「物語」が展開する。

 アニメ版「ベルサイユのばら」は、フランスでも何度も放映されている。記録を見ると、1986年に初めて放送され、1989年に再放送。さらに、1998年、2004年にも放送されている。いずれも子供向け番組の枠で、国営テレビである。フランス革命は、日本人にとっての関ヶ原の戦いや明治維新と同じぐらい誰でも知っている重要な史実である。基本的な歴史の舞台の枠組みは、フランス人が見ても、また教育の見地からいっても耐えられるものになっていたといえる。

フランス人の妻が「光る君へ」は毎回欠かさず見ている

「光る君へ」も枠組みはしっかりしている。大石さんは先の記事で「韓流時代劇は、どういう歴史なのか我々はまったく知らないけど、見てしまう魅力がある。そういう風に平安時代を料理できないか」とプロデューサーやディレクターに言われたという。と同時に「日本人として日本の歴史を描く意志が必要ですから」とも語っている。その意図は実現されているのではないだろうか。

 だからこそ、紫式部についての史実と物語のギャップに違和感をもったのだ。

 しかし、大河ドラマ「光る君へ」を楽しむには、あまり史実を気にせずフィクションの世界観に入り込むのが一番である。紫式部と清少納言が親しく話すのも、「史実とは違う」ではなく、「そうだったらいいな」でいいのではないか。道長との恋もあくまでも、「まひろ」の話なのである。

 おもしろいことに、いままで、戦国ものだと時々しか大河ドラマを見ないフランス人の妻が「光る君へ」は毎回欠かさず見ている。

「光る君へ」にフランス人妻がハマる理由

 妻は日本語を話せるが、戦国ものだと、台詞がその時代の雰囲気を思わせる表現になっているのでわからないことが多い。だが、「光る君へ」では思い切って現代語にしている。まひろと道長の恋も、はじめから余計な知識がないのだからおかしいとは思わない。その兄に母を殺されたことも主人公の心の葛藤の要素でしかない。素直に物語に入っていけるのだ。

 それに、日本の視聴者はたとえば木下藤吉郎や井伊直弼がどういう人物かを知っている。大奥とか大老とか言われてもピンとくる。物語はその基礎知識があるものとして進行するので外国人にはわかりにくい。ところが、平安時代は、現代の日本人にとってもあまりにも遠い。学校でもあまり教えない。そのため、番組の中でも様々な形で説明される。

 もっとも、妻をひきつけているのは、なにより、「漫画で読んだ『源氏物語』の世界がよくわかる」のだとか。ありきたりな言い方だが、目前に展開される平安絵巻だ。

 ただ、最近は、「いつも同じような繰り返し」という。

 たしかに、いまは、もっぱら宮中の権力争いの話になっている。初めのころは、まひろが外を歩き、散楽師の直秀を通して庶民生活も描かれていたが、あっけなく亡くなった。

 そのかわり、着物の色の重ね方、立居振る舞い、女房達が几帳だけで区切られてまるでベッドが並ぶ学校の寄宿舎のように床に並んで寝ていることとか、何が書いてあるのかはわからないが文字の美しさだとかディテールを楽しんでいる。しかし、そういったディテールを楽しめるというのも、NHKの大河ドラマで、予算もあり、しっかり再現しているからだろう。そして、登場人物が「生きて」いるからだろう。

 9月29日の放送では、中宮彰子が「源氏物語」を豪華な冊子にして天皇に献上した。言われるがままに12歳で帝の妻となり、受け身で生きる女性として描かれた彰子が、まひろのつくった物語によって自我を表現するようになった。また、「源氏物語」を読むシーンでは公式の歴史書である日本書紀よりも物語の方が上であるという一節をだした。“物語”への賛歌であった。

 もはや10月、「光る君へ」の放送も最後のコーナーに差しかかってきた。「ベルサイユのばら」ならば、フランス革命の激動があって大団円を迎える。大石さんとスタッフが「物語」の力で、どれだけ引っ張って行ってくれるか、楽しみである。

 ところで妻にとって、いま一番印象に残っているのは天皇だという。まわりが十分世話してくれるのだろうが、いつも閉じ込められている。「ああいう生活はしたくない」のだとか。

(広岡 裕児)

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