「渡辺明名人がふらっと記者室へやってきて…」駆け出しの女性記者が驚いた“将棋の世界”のリアルとは
文春オンライン / 2024年10月12日 18時0分
世古紘子(せこひろこ)。中日新聞記者。2006年入社。2018年から2024年の7月まで文化芸能部で将棋を担当。「30代女子の将棋ことはじめ」「25階の勝負師たち」といった将棋にまつわる連載を行う。現在は、愛知県の通信局勤務。
女性将棋記者・篠崎龍香の成長を描いた松本渚さんのマンガ『 盤記者! 』(「文春将棋」にて不定期連載)がこのたび完結し、コミックスが電子書籍にて発売されることになった。
これを記念して、『中日新聞』の世古紘子記者と『スポーツ報知』の瀬戸花音記者のお二人に対談をお願いした。女性記者にとって将棋界とはどのような場所と映るのだろうか。またその魅力はどこにあるのだろう。マンガ『盤記者!』は、主人公が将棋担当を命じられるところから始まるが、まずはお二人が将棋担当になった経緯から話をうかがった。
歓送迎会で突然の担当命令「けっこうショックでした」
――まずは世古さんからお聞きしたいのですが、2006年に中日新聞に入社。2018年から2024年の7月まで文化芸能部で将棋を担当されていますが、それまではどういった記事を書かれていたのでしょうか。
世古 地方行政と事件、事故を取材していました。今年の8月から、またその取材に戻った感じですね。中日新聞は、中部地方を対象とした媒体なので、そのどこかで取材をすることになります。
――そこからどういった経緯で将棋担当になられたのでしょうか?
世古 もともとは「美術を担当したい」と希望を出していました。それで念願叶って文化芸能部に異動できたのですが「文芸と将棋の担当」と言われまして。今でも覚えているんですけど、歓送迎会で中華料理のコース料理を食べているときに「将棋を担当してもらいたい」って言われ、締めの坦々麺が食べられなくなりました。
――あまりのショックで?(笑)
世古 はい(笑)。作中の篠崎記者は、将棋担当を命じられたとき、驚きながらも前向きでしたけど、私はけっこうショックでした。将棋って勝負事ですし、男性社会で専門性も高いなど、私の中でマイナスの要素が多かったんですよ。「私には無理です」ってかなり言ったんですけど、部長は「できるから」って。ただ6年半やってみて、とても良かったなと今では思っています。
――ちなみに2018年の将棋界は、その前年に愛知県瀬戸市出身の藤井聡太七冠がデビュー29連勝を飾って「藤井ブーム」で盛り上がっていたときですね。
世古 はい。29連勝は別の部署で見ていました。まさか自分がその世界に行くとは考えてもいませんでしたね。あのブームがあったから、初心者の私にやらせてみたら面白いんじゃないかって、部長も考えたのだと思います。
――瀬戸さんは、2020年に報知新聞社に入社。2022年から『スポーツ報知』の囲碁将棋担当になっています。同紙の将棋担当といえば、現在『朝日新聞』で将棋の記事を書かれている北野新太さんが務められていましたが、これは北野さんの移籍で空いた席に就かれたわけですか?
瀬戸 はい。北野さんが退社されたので、やってみたいと手を上げました。
――では、世古さんと違って自ら志願されたと。ということは、入社時から将棋を担当したいという気持ちがあった?
瀬戸 いえ。それまで将棋はほとんど知らなかったんですけど、入社して北野さんが書く文章を通して好きになりました。
――ということは、入社時は別のことを志望されていたんですか。
瀬戸 学生時代は落研(落語研究会)に入っていたので、お笑いの記事を書きたいと思っていました。お笑いにかかわる仕事だったらなんでもいいという就活スタイルで、巨人も好きだったので、報知新聞社のインターンに行ったら「お笑いの仕事もできるよ」と言われて志望しました。
「やりたいならやってみな」って感じで…
――それで入社当初は、どういった取材をされていたんですか?
瀬戸 入社当初はコロナだったこともあり、毎日のように都庁に行って小池知事の会見を取材していました。都庁担当みたいな感じでしたね。
――お笑いではなく。
瀬戸 私が配属になった文化社会部というのは文化班と社会班に分かれていますが、社会班に配属になったので……。
――そういった記者生活をするなか、北野さんが移籍されたと。
瀬戸 将棋はずっと北野さんが担当されるから、その席は空かないものだと思っていました。それが突然空いたので、じゃあその世界を見てみたいなと。
――上司の方の反対などはありませんでしたか。
瀬戸 会社的にも北野さんが辞めるとはまったく思ってなかったようで「え? 将棋どうするの?」みたいな感じだったので、「やりたいならやってみな」って反応でしたね。
将棋教室に6年通って勉強、自らは豊島九段に倣い「居飛車党です」
このように、図らずも将棋記者になった世古さんと、自ら志願してなった瀬戸さん。対照的ともいえる第一歩だが、二人とも将棋の知識があまりないことは共通していたようだ。専門性が高い将棋の世界だが、どうやって勉強をしたのだろうか。
――世古さんは、将棋記者を始めたとき、将棋の知識はどのくらいあったんですか?
世古 この直前に教育報道部という子ども向けの紙面を作る部署にいたこともあり、「どうぶつしょうぎ」はアプリでやってたんですけど、勝率1割(笑)。それもあって将棋は向いてないと思っていたんです。
――1割はつらいですね(笑)。
世古 負けて悔しいから100回くらいはやったんですが、勝てませんでした。
――そこから、どうやって将棋の勉強をされたんですか?
世古 2018年の2月から中澤沙耶女流二段が、名古屋市で女性向けのセミナーを始められたので、部長から「ちょうどいいじゃないか行ってこい。ただし1年後には連載を書け」といわれ、週1回通うようになりました。
今でも覚えていますが、最初の対局は打ち歩詰の二歩をしました(笑)。反則も知らなかったし、駒の動かし方も金と銀がごっちゃになっている状態でした。でも中澤先生がいつも楽しくをモットーに教えてくださり、今年の8月に異動するまで6年半ほど通っていました。中澤先生には本当に感謝しています。
――すてきな場所に出会えたんですね。
世古 継続してモチベーションを保てたのは、この教室のおかげでした。あと豊島先生の棋譜を追い続けることで勉強をしました。
――世古さんのプロフィールに「豊島番」とありますね。東海地域の有名棋士といえば、藤井聡太七冠と、豊島将之九段。それゆえ担当になられた?
世古 これにはちょっと経緯がありまして。2018年の7月、中日新聞が運営している関係で王位戦の第1局に取材に行きました。そのときは菅井竜也王位に豊島将之八段が挑戦するという構図で、関係者の会食のとき豊島先生のテーブルに座ったんです。そこで豊島先生が、糸谷先生(哲郎八段)たちとほがらかに談笑されている姿を見て、勝負師とはちがう雰囲気を感じて「おもしろい人だな」って思ったんです。それで将棋担当と言われても、まずは何をしていいかわからないので、一人棋士を追ってみようと思って、「豊島番にしてください」と部長に言ったんですね。
――それで豊島番になったと。
世古 はい。それで豊島先生の対局は必ず見て、棋譜も並べてみる形で勉強をしました。棋譜を並べるのは難しく、よくごちゃごちゃになってしまうのですが、中継記者の解説を読んで、少しずつ勉強しました。
――ちなみに、ご自身の戦型は?
世古 居飛車党です。中澤先生からは「世古さんは、なんとなく振り飛車党だと思います」って言われたんですけど、中澤先生も豊島先生も居飛車党なので、居飛車をやり続けています。
――だいたい棋力はどれくらいになりました?
世古 まだ5級くらいだと思います。瀬戸さんは、とても強くなっているという噂を聞くんですが(笑)。
将棋対戦アプリで棋力アップ「先手だったら早石田ですね」
――では、強くなっているという瀬戸さんの話を(笑)。瀬戸さんは、将棋記者を志願されたときは、自分で指していたんですか?
瀬戸 いやいや、まったく(笑)。小学生のときにちょっとやったので、駒の動かし方くらいはわかっていましたが、指してはいませんでした。
――では、どうやって勉強を?
瀬戸 報知新聞社は女流名人戦の主催社なので、まず女流棋士に詳しくなることが必要でした。女流棋士といえば、福間さん(香奈女流五冠)と西山さん(朋佳女流三冠)のことを知るのは必須なので、その二人の棋譜並べをしようと思ったんです。でも棋譜って読めないんですよね。
――読めないですよね。
瀬戸 だから、モバイル中継に残っている対局から図のまま並べることから始めて、将棋ってこういう形なんだという、大まかなイメージを理解していきました。そして半年くらいしてから(対戦アプリの)将棋ウォーズを始めました。戦型もよくわからなかったんですが、角道を開けた歩をもう1コマ進めてみたら「早石田」ってエフェクトが出たので、そんな戦型があるんだって知って、早石田を解説している戸辺先生(誠七段)や藤森先生(哲也五段)のYouTubeを見て勉強し、ずっと早石田を指し続けているという。
――エフェクトがきっかけで(笑)。それは今でも?
瀬戸 先手だったら早石田ですね。それから会社が両国に移転して、両国将棋センターが徒歩圏内になったので、たまに通って子どもたちと将棋を指したり、指導対局がキャンセルで枠が空いたりすると、そこに入れてもらったりして棋力をアップさせてきました。
――早石田で、ウォーズはどこまで上り詰めたんですか?
瀬戸 今、2級ですね。
世古 すごいですね。私、対局恐怖症なので、実はウォーズデビューをしてなくて……。本当は指したほうがいいんでしょうけど、教室の人と指すくらいですね。瀬戸さんは、毎日指してるんですか?
瀬戸 ウォーズは、めちゃくちゃ指していますね。もう何千勝、何千敗のレベルです。電車での移動中は必ず指すので、毎日5局は指してますね。無料だと3局しかできないので課金しています。
――大会も出ています?
瀬戸 紙面で月に一度、棋士インタビューのサイド原稿みたいな形で、私の体験記を書いているので、いろいろ大会に出ています。
世古 瀬戸さんすごいなー。やっぱり指さないとダメですよね。私は、対局があまり好きじゃないのに、職団戦に嫌々ひっぱられていったことはありました。まあ、全敗するんですけど、それも楽しい経験でしたね。
瀬戸 私は、会社で指している人が少ないので、職団戦は出てませんね。
――お二人は、いろいろと好対照ですね(笑)。
将棋界の印象は「無垢で純情な世界」「すごいことをやっているのに等身大の人間」
――記者になられて感じた将棋界の印象は、どうでしょうか。
世古 特殊な世界ですよね。あの29連勝のとき、藤井先生の背にメディアが殺到する有名な写真がありますが、あれを見て強烈に思ったのは、男性しかいない社会なんだということでした。マスコミの業界自体も男性が多いですが、そのなかでも、とりわけ男性が多いなという印象でしたね。あとは、大崎善生さんのエッセイのあとがきに「無垢にして純情な将棋の世界」と書いてあったんですが、それはまさしくそうだなと思いました。
――なるほど。
世古 勝負事に人生をかけて戦っている人たちって特殊な世界ですが、そこで取材をしていて嫌な目に一切遭わないのは、きっと珍しいことだなと。「美しい世界」と言うのはおかしいと思いますが、無垢で純情な世界だなって感じますね。
瀬戸 私は、担当になったばかりのとき、将棋界のことを知らなかったので、棋士の方を巨人軍の選手でイメージしてたんですよ。たとえば渡辺明さんは、そのとき名人でしたから高橋由伸だなと。
――それくらいレジェンドだと(笑)。
瀬戸 はい。ただ私が記者室にいたとき、渡辺先生がふらっと「充電させて」ってケータイを持ってこられたんですよ。
――高橋由伸クラスの大物が(笑)。
瀬戸 すごくびっくりして(笑)。棋士の人って、すごいことをやっているのに、記者との距離も近いし、着飾っていない人が多く、等身大の人間であるというか。将棋ですごいことをやったからといって、自分が偉い人だと思っていないような人間らしさがありますよね。それがすごくふしぎだし、素敵なことだなと印象に残りました。
――世古さんは、将棋担当になるのが嫌だったと話しておられましたが、いつ頃から好きになったんですか?
世古 何がきっかけだったのかはわからないのですが、豊島番としていろんなタイトル戦に行くようになって、いつの間にかおもしろくなってましたね。私が担当した6年の間に、豊島先生はまず棋聖を取って、次に王位を取って二冠になる。その後名人と竜王になるも失冠も経験されて、2021年に無冠になるという大きな一連の流れをずっと取材させてもらったんですね。
――いろんな場面に立ち会うことができたと。
世古 はい。就位式で師匠からお祝いされて、豊島先生も師匠や恩師の方に御礼のことばをおっしゃっているのを聞いて。『盤記者!』のなかでも「いろんな人の期待を背負って棋士はいる」とありますけど、本当にその通りなんですよね。だから失冠したり、無冠になったりしたときは、取材するこちら側も問われるんですよ。
戴冠など喜びのときは取材も執筆もしやすいですが、負け続けているときは、本音を聞きたいけど踏み込めないとか、どこまで聞いていいかと悩みました。そういう醍醐味のある現場でしたね。一人の棋士を追って、いろんなことのあった6年間でしたから、取材のおもしろさは存分に感じました。
まわりの将棋記者の印象は…
――まわりの将棋記者の印象はいかがですか?
世古 みなさん真摯ですよね。『盤記者!』の篠崎記者も控え室で緊張していましたけど、独特の緊張感があります。ただそんなときも、朝日の北野さんとか気軽に声をかけてくださり、全国紙の記者の方に「ここどうなってるんですか?」と聞いても、優しく教えてくださる人が多い。社会部のような「抜いた、抜かれた」という感じもあまりないので、そういう意味では居心地のよい場所ですよね。
瀬戸 本当にそうですね。「抜いた、抜かれた」という記者らしい殺伐とした雰囲気はまったくなくて。東京の記者室でもかわいがってもらっています。タイトル戦で出張すると「このあと飲みにいく?」って声をかけてもらうこともあります。
世古 うちの記者も瀬戸さんが大好きで。
瀬戸 中日新聞の方にはお世話になっています(笑)。
――お二人は、一緒に取材をしたことはあるんですか?
瀬戸 タイトル戦の記者室では一緒になったことはありますね。
世古 瀬戸さんが将棋担当になったのが2022年からですよね。私は、豊島先生の担当だったので、そのあたりからタイトル戦に行く機会が減ったので、あまり会うことがなかったんですよね。話したいなと思いながら、その機会がなかったんです。
――ではこうやって対面して話されるのは?
瀬戸 初めてくらいですよね。
――ただ、もちろん他に女性の記者がおられるというのはご存知で?
瀬戸 はい。
世古 瀬戸さんの姿があると「瀬戸さんがいる!」って思っていました。やっぱり一人でも女性がいると心強いんですよ。あと「セト」と「セコ」で、ときどき記者室で聞き間違えて私が振り向いてしまうこともあって、勝手に親近感を覚えていました(笑)。
写真=橋本篤/文藝春秋
〈 「豊島将之九段には苦笑いされましたが…」将棋の“盤記者”が「いっぱいしゃべってください!」と伝えたわけ 〉へ続く
(岡部 敬史)
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