「豊島将之九段には苦笑いされましたが…」将棋の“盤記者”が「いっぱいしゃべってください!」と伝えたわけ
文春オンライン / 2024年10月12日 18時0分
報知新聞の瀬戸花音記者
〈 「渡辺明名人がふらっと記者室へやってきて…」駆け出しの女性記者が驚いた“将棋の世界”のリアルとは 〉から続く
女性将棋記者を主人公にしたマンガ『 盤記者! 』(「文春将棋」にて不定期連載)の電子書籍のコミックス発売を記念した、『中日新聞』の世古紘子記者と『スポーツ報知』の瀬戸花音記者による女性将棋記者対談の後編。
本稿ではまず「思い入れのある棋士」について聞くと、瀬戸記者は、すごく苦しかったというエピソードから、二人の棋士の名前を挙げてくれた。
それぞれの「思い入れのある棋士」は
瀬戸 報知新聞社が主催する岡田美術館杯女流名人戦を初めて取材したのは、2022年、伊藤沙恵さんが念願の初タイトルを取られたときでした。ただ私は、就位式のインタビューからで、番勝負の取材は前任の北野さんがされていたんですよ。そのとき、すごく申し訳なさみたいなのを感じて。
現場取材をしてるわけでもないのに、初めましてみたいな人が現れてインタビューしなきゃいけないのが、自分の中に違和感として残って。それで、その翌年の女流名人戦は、そんな気持ちにならないようがっつり取材をしようと思ったんです。
――翌年は、伊藤沙恵女流名人に西山朋佳さんが挑戦しましたね。
瀬戸 はい。第1局、第2局は西山さんが勝ち、第3局は伊藤さんが勝利されました。その第3局の終局後、対局室で代表質問をしなきゃいけないんですけど、その部屋の雰囲気がすごく苦しかったんですよ。どういうトーンで質問すればいいのか悩んでいたら、後日、西山さんから「あのとき泣きそうになってましたよね」って言われました。
――その泣きそうになった気持ちって何ですかね。
瀬戸 お二人に対してすごく思い入れをもってしまったゆえですかね。記者だったらもっと冷静になるべきでしょうけれども、それが無理でした。ただ、このときのご縁で伊藤さんと西山さんにはよくしてもらっていて、普通におしゃべりしたり、遊びに誘ってもらったりしています。こういった関係を築けたのは、自分が女性だからかなとも思います。
――世古さんは、思い入れのある棋士というとどなたですか?
世古 継続的に取材したという意味で、やはり豊島先生(将之九段)になりますね。あとは、連載「 25階の勝負師たち 」で取材をした東海地方の女流の先生でしょうか。奨励会を経て女流棋士になられた今井絢先生(女流初段)に、キャラが立っておもしろい山口仁子梨先生(女流1級)、稀良莉先生(女流1級)の姉妹。豊島先生の初弟子の岩佐美帆子先生(女流1級)。それに室田伊緒先生(女流三段)に中澤沙耶先生(女流二段)がいらっしゃるなど、バラエティに富んでおもしろい方が多いんです。女流の先生は、私にとっては娘っていうとおかしいですが、見守る母のような心境でもあり、思い入れがありますね。
瀬戸 私は、棋士の先生で挙げるとすれば、中村太地先生(八段)です。将棋担当になった直後、タイトル戦では、棋士の先生に解説をいただいていました。高野秀行先生(七段)と高見泰地先生(七段)と太地先生にお願いしたんですが、みなさんすごく丁寧に教えてくださったんですよ。
太地先生は、あのときA級に上がった直後で、5カ月くらい勝ちがない連敗の最中でした。きっと辛い時期だったはずなんですけど、丁寧に答えてくださって……。
――ありがたいことですね。
瀬戸 それで今「 王手報知 」という棋士の先生のインタビューコーナーをやっているんですが、その第1回( もがくA級棋士・中村太地八段、喜びの昇級から8連敗 「もう一生…」の先へ )に登場していただきました。それでインタビューしたからにはと、昨年度の順位戦、太地先生の対局はほとんど取材に行ったんですよ。
瀬戸さんが書いた中村太地八段のインタビュー記事には、こんな一節がある。
《A級は「今まで見ないようにしていた自分の弱さと向き合わなきゃいけない場所」と中村はいう。》
深夜に及ぶ順位戦の取材にすべて行く。その熱意は、こんな苦悩を話してくれた感謝からも生まれたのだろう。
「女性が将棋を指してみようって思う記事ってどんなものだろう」
――先ほど西山さんの名前が挙がりましたが、今、棋士編入試験を受けている最中です。やはり特別な想いで見ておられますか?
瀬戸 西山さんには思い入れが強すぎてことばが難しいんですけど……、西山さんが第一号の女性棋士になってほしいですね。ただ、西山さんは「棋士になりたい」のであって「女性棋士になりたい」わけじゃないと思うんですよね。今まで女性は誰も棋士になっていないこともあり、西山さんはいろんなものを背負っている。だから自分の夢を叶えて、その背負っているものが軽くなるといいなって思っています。
世古 今は将棋の現場を離れていますが、福間先生が棋士編入試験を受けられたときは、取材を担当しました。そのとき福間先生が記者会見で「女性棋士が普通のことになればいい」っておっしゃっていて、本当にそうだなと思ったのと同時に「女性記者も普通になればいい」って思いました。
――なるほど。
世古 この二つの根っこは同じで、将棋を指す女性が圧倒的に少ないことだと思います。だから、福間先生が編入試験を受けてからはずっと、「女性が将棋を指してみようって思う記事ってどんなものだろう」って考えながら記事を書いてきました。女性の編入試験と聞くと、今でもこんなことを思い出しますね。
良い記事とは「資料として活字に残せるもの」
――『盤記者!』には「良い記事とは何か」と主人公が頭を抱えるエピソードが出てきますが、お二人にとって良い記事だったと思うものがありましたら教えてください。
世古 そうですねぇ。私自身の体験をつづった「 30代女子の将棋ことはじめ 」と答えたいところですが、やはり 豊島先生のインタビュー ですかね。中日新聞は、年初めに藤井先生のインタビューを載せていまして、私が豊島先生も載せるべきだろうと、年度初めに昨年度を振り返っていただく形でインタビューをして掲載していたものです。3回くらいやりましたかね。タイトルを獲得したときも失冠したときも、お時間をとっていただき、丁寧に答えていただきました。
――ご自身でも良い記事だったと。
世古 『盤記者!』でも「良い記事」とか「良い記者」で悩む姿がよく描かれていましたが、本当に良い記事とは何かと悩むことは多いです。私が、豊島先生の記事が良かったと思えるのは、資料として残したいという気持ちがあったので。
――資料として?
世古 将棋って400年の歴史があるじゃないですか。そんななか2010年代から20年代って、AIが出てきたこともあり戦い方が大きく変わった転換期だったと思っていて。豊島先生って、そこでAI研究を取り入れたり、対人研究をやめたり、力戦調で戦ってみたりなど試行錯誤されていると思うんです。そんな転換期における第一線の棋士のことばを一言でも引き出して、活字に残したいという気持ちがありました。そんなことを豊島先生にも言って「そう思っているのでいっぱいしゃべってください」って伝えたら苦笑いをされていましたけど(笑)。
――ふふふ(笑)。豊島先生って饒舌なんですか?
世古 いやー。難しいと思います。
瀬戸 私もがっつり聞いたことはないですが、ことばを引き出すのは難しそうだなって思います。
世古 担当を6年ちょっとやってきて、「よし!」と思えるほどのことばを引き出せたのは、一言、二言しかなくて。ただ具体的に聞けば誠実に答えてくださるので、こちらの勉強が問われるんです。年度末は、「豊島先生からどれだけことばを引き出せるか勝負!」と思っていましたから、1年間、観戦記も全部チェックしてがんばろうって気持ちでいられました。
――それを文字に残していくのも難しいですね。
世古 紙幅も限られているので。ネットでもしっかり書かれている瀬戸さんが、すごく羨ましくって。おもしろいし、いいなって。
――瀬戸さんの記事はチェックされている?
世古 チェックしています! よく見てそれを取材のネタに使ったりもしています。
良い記事とは「棋士の人柄や関係性を伝えられるもの」
――瀬戸さんは、良い記事だったと思えるものは何ですか?
瀬戸 『盤記者!』の篠崎記者は盤上のことも取材されていますが、私、インタビューで盤上のことをたぶん一手も聞いたことがないんです。私はまだそこまで行き着けてないのですが、今は、読者にその人のことを好きになってもらえたらという気持ちで書いています。その意味では、さっき挙げた中村太地先生の記事は、棋士の葛藤が書けていると反響をいただきました。
――良い記事だったなと。
瀬戸 はい。あと山崎先生(隆之八段)と、弟子の磯谷さん(祐維女流初段)の記事( 金髪の女流棋士・磯谷祐維女流初段「私には将棋しかない」 プロ入り4か月で初優勝 新風吹き込む21歳 / 金髪の女流棋士を弟子に持つ師匠の話 山崎隆之八段の後悔と祈り )があります。記事の中に「私には将棋しかないって」という師弟共通の思いが出てきますが、お二人で少しニュアンスがちがっていて。磯谷さんの「将棋しかない」は「自分という存在を将棋を通じてじゃないと認めてもらえない」という意味で、山崎先生の「将棋しかない」は、「将棋があったら他はすべてなくていい」という意味なんです。
この師弟による感覚の差もあって、磯谷さんは一度、奨励会を退会し、師弟関係を終えていた時代があるんですよ。この話を、まず磯谷さんから聞いて、次に山崎先生から聞いて、それが対になって、二人の人柄や関係性を伝えることができた。読者の方から、お二人とも好きになったという感想をもらったので、良い記事だったかなって。
――そういった声をもらえるのは嬉しいですね。記者の方は、普段、どのように記事の手応えを感じるものですか?
世古 私の場合は、本音のことばを引き出せたときですね。王位戦の事前企画のとき、豊島先生が「若くて強い藤井さんだから差がついたと思っていた。でも自分が弱くなっているのではないか」みたいな話をされたことがありました。今まで聞いたことがないことばで、こういうのを聞けたときは手応えを感じます。
瀬戸 あとは、将棋を知らない人が、ひとりでも興味をもってもらえるものが書けたらなって思っています。最近、山本先生(博志五段)と谷合先生(廣紀四段)が「銀沙飛燕」というお笑いコンビを作られたんですが、その取材記事( 将棋界からM-1挑戦!谷合廣紀四段&山本博志五段がお笑いコンビ「銀沙飛燕」結成 )がヤフトピにも取り上げられ広く読んでもらえました。そんなとき、こういった話題からひとりでも将棋に興味をもってもらえたらと思います。
主人公は、自分たちのちょっとだけ前を走ってくれている存在
――今日は『盤記者!』の作者である松本渚さんも同席されているので、マンガの感想をお聞きしたいと思います。松本さんは、この連載が始まる前、世古さんの取材をされたんですよね。
松本 そうです。ですから第1回は、かなり世古さんを意識した流れになっています。
世古 いきなり将棋担当を命じられる状況は、マンガの設定に耐えられるものだったんだと思いました(笑)。
――感想はどうですか?
世古 いやぁ、篠崎記者がすごい!と(笑)。あの記者の素直さと勉強を怠らず、「良い記者とは何か」と悩みつつも前進していく姿には「こうなれたらいいな」と思いました。あと篠崎記者は盤をもって取材するじゃないですか。私も観戦記などを見て、その一手について聞いたりはしますが、実際に盤を並べて聞くって怖いですよね。
瀬戸 怖いですよ! できない(笑)。
世古 できないですよね(笑)。そんな熱意がすごいなと。取材する側を取り上げてくださったのがありがたいですし、取材する側もこういったおもしろい世界だったんだと気付かされました。記者側も葛藤がありますし、担当棋士が負け始めるとどう書けばいいのかは本当に難しい。でも迫りたい、本音を引き出したいという思いもあるわけで。
――松本さんは、瀬戸さんにも取材をされたんですよね。
松本 たしか第3章を書くにあたって取材をさせていただきました。
瀬戸 最初読んだときは、自分と同じようなことを思っているなと感じていました。あとで、世古さんがモデルと聞いて「なるほどな」って思ったんですよ。
世古 設定だけですよ(笑)。
瀬戸 ふふふ(笑)。主人公の篠崎記者は、ちょっとだけ前を走ってくれている存在という感じで読んでいました。でも、途中から描かれている葛藤がリアル過ぎるようになり、篠崎記者はその葛藤を解決していきますけど、自分は解決できるかわからないので、読むのが苦しくなったときもあったんです。でも、今はまた先を走ってくれている存在として、そこを目指せばいいんだ、こうなっていけば良い将棋記者だ、理想像を示してくれる存在だなって思います。
松本 私は、どうやったら記者のお二人に追いつけるだろうって思って描いていました。
世古 追い越していますね(笑)。
――では、お二人の見解として、篠崎記者はとてもいい記者であると?
世古&瀬戸 とてもいいです(笑)。
――将棋記者を志す方がいたら、ぜひこれを読んでもらうといいですね。
瀬戸 ほんとうに。
写真=橋本篤/文藝春秋
◆ ◆ ◆
松本渚さんのコミック『 盤記者! 』は、各電子書店にてお買い求めいただけます。
(岡部 敬史)
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