「父はお酒の量が増えると暴れて、母は16歳のときに家を出ていきました」岡田美里が温かい結婚生活に憧れた幼少期の“ツラすぎる思い出”
文春オンライン / 2024年10月26日 6時10分
〈 「まぁ、ハッキリ言いますと嫌で嫌で仕方がなかったんです」約40年ぶりに実母と暮らした岡田美里が思い出す“同居の難しさ” 〉から続く
「結婚生活は誰よりも温かい家庭に憧れていたし、期待も強かった」と語る岡田美里。その理由を尋ねると、幼少期に体験した実父との辛い思い出があった。(全3回の2回目/ 前回 を読む、 続き を読む)
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「いっぱい遊んでくれると思って結婚したのに(笑)」
――28歳のときに堺正章さんと結婚されました。家事も含め、充実した日々を過ごされていたそうですね。
岡田 毎日すごく楽しくて、インテリアを考えるのも楽しいし、ご飯作ったり献立の内容を考えたりするのも好きだったので、日々とても新鮮でした。周りの友達は結婚して早々に「結婚生活つまらない」って言ってる人も多かったんですけど、こんなクリエイティブな生活どこがつまんないの?っていうくらい毎日充実してましたね。
――堺さんはとてもご多忙だったかと思いますが、一緒に過ごす時間はありましたか?
岡田 彼とは結婚する前に3年くらいお付き合いしていましたが、付き合った当初はそんなに忙しくなかったんですよ。『カックラキン大放送‼』も終わった直後でしたし、レギュラーが軒並み全部終わっちゃって1本くらいしかなかったのかな。2人で街を歩いていても見事なほど小学生が彼を見てもわからなくなっていて。昼間や深夜の番組は出ていましたが、ゴールデン番組から消えると子どもがそこまで反応しなくなるんだなっていうのは、横で見て感じました。
それが、結婚したら紅白歌合戦の司会を3年任されるわ、ディナーショーもたくさんやるわ、他にも仕事が突然忙しくなっちゃって。私はこの人は結構暇で、私といっぱい遊んでくれると思って結婚したのに(笑)、結婚したとたん忙しくなって全然帰って来なくなっちゃったんですよ。結婚する前はしょっちゅうゴルフ行ったり楽しく遊んでもらったから結婚したのに。途中から『チューボーですよ!』が始まることになって、番組スタート前に自宅にもオールスタッフさんがきて、「ご主人はどんなご飯が好きなんですか」「何か料理を作ろうと思うんですけど、どんなのがいいと思いますか?」みたいな話を私も聞かれながら、とにかくテレビや舞台、ありとあらゆる場所で活躍していきました。
――いっぽうで、岡田さんも「婦人女性誌の表紙を最も多く飾った女性」に3年連続で選出されるなど、カリスマ主婦としても注目を集めました。
岡田 上の子が小学校に入ったくらいですね。ある日、週刊誌に「カリスマ主婦」って書いてあって、主婦にカリスマかぁ、そういう言い方があるんだって思いました。ただ、カリスマの言葉にギャップはありましたよ。
当時、撮影ではスタイリストさんが用意してくださる全身フェラガモやシャネルを着ていましたが、実際はデニムを履いて子どもを自転車の前と後ろに乗せながら幼稚園の送り迎えをしていたし、テラスで頂く紅茶とスコーンは好きでしたが(笑)、普段はそこまで食べているわけでもなく。雑誌が全盛期だった時代なので、「こんな素敵なお庭でバーベキュー」とか、ゴージャスに写すことが多かったのかな。
ただ、基本的には専業主婦のつもりでいたので、雑誌の撮影もヘアメイクをやって頂いて撮ってもらったら帰れるじゃないですか。ですから言い方は全く合ってないですけどパートに出ているような感じだったと思います。
憧れていた家族団らんとは程遠い生活、さらに流産が重なり…
――二人のお子さんに恵まれて日々過ごされていく中で、夫婦の形も少しずつ変化していったとか。
岡田 私の生育歴にも関わってくると思いますが、私が学生時代、父のお酒の量が増えて暴言や暴力がひどく、手が付けられない時期があったんです。父が暴れるのは2カ月おき。ちょうど中間試験や期末試験のタイミングで暴れていたから覚えていて。母は私が16歳のときに離婚して家を出ていきました。
ですから、結婚生活は誰よりも温かい家庭に憧れていたし期待も強かったのかな。それが食べてくれる人が帰って来ない。1カ月に1回くらいしか家族そろってご飯を食べる時間がなかったので、今日は帰ってくるってわかったら料理も頑張り過ぎちゃって。でも彼はほとんど喋れないくらい疲れて帰ってくる。あれだけ多忙だから理解できるし、他に嫌なことがあったわけじゃないんです。でも、当時の私は家族団らんみたいなものを夢見ちゃっていたから、寂しさが募ると「もっと早く帰って来て家でご飯食べて」って泣きながら訴えてましたね。私が泣くと、年末あたりに箱根や強羅なんかに家族を連れていってくれて。みんなでまた新しい年を迎えよう!となって、毎年その繰り返しでした。
あと、3人目の子どもを妊娠4カ月、もう安定期に入るタイミングで流産してしまったことも自分の中では大きな出来事でした。
離婚後も良い関係で、今も変わらず感謝も気持ちも伝えたい
――その後、2001年に離婚されましたが、お父様の言動を堺さんに重ねてしまうことはありましたか?
岡田 それはないです。父に感じたような恐怖心は全くないですが、緊張することはありましたよ。でも、それって芸能界にいる皆さんが、彼が入って来たときに緊張するのと同じような感じで、夫婦なのに緊張する感じ。彼は年齢も15歳上だったし絶大な尊敬というか。あまりにも立派だったから夫婦だけど敬語で話していました。
あと、離婚した今もみんなでご飯を食べることがあるんですけど、子どもたちが「ママは結婚している時からパパと何喋っていいかわからなかった感じがした」って言われましたね。
それに加えて、私にはメンタルの病気があったから申し訳なかったなと思います。私に病気さえなければうまくやっていたかもしれないし、私じゃなかったらこんな風にならなかったのかなとか。
――離婚の記者会見も話題になりました。「お届けものが多すぎて大変」といった言葉だけが特に際立ってしまったのでしょうか?
岡田 お届けものとか、そんなことだけで離婚するわけないじゃないですか。芸能界において揺るぎないポジションにいる彼から抜け出す私は、世間から叩かれることは覚悟していましたし、あの記者会見でたくさんの報道陣が集まっている様子をみてプチッと切れたんですよ。ほんとに頭の中でプチッて音がして、その瞬間スイッチが入っちゃったんだと思います。会見で話し始めたらどんどん加速しちゃって、自分じゃない人が喋ってるような感じでした。
離婚後は変わらずいい父親でいてくれましたし、娘たちも結婚して時が経ったんだなと思います。今も変わらず感謝も気持ちも伝えたいですね。
写真=山元茂樹/文藝春秋
〈 「カリスマ主婦と呼ばれた私が2度の離婚、もうダメだ…」それでも岡田美里が60歳で3度目の結婚をした理由 〉へ続く
(松永 怜)
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