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「お母さんは獣になってしまったのか」手を噛まれた娘がショックを受ける一方で…認知症の母に父がかけた“想像力がありすぎる”驚きの一言

文春オンライン / 2024年10月25日 6時20分

「お母さんは獣になってしまったのか」手を噛まれた娘がショックを受ける一方で…認知症の母に父がかけた“想像力がありすぎる”驚きの一言

信友良則さんと文子さん 『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』より

 映画監督の信友直子さんは、認知症になった母・文子さんと、母を献身的に介護する高齢の父・良則さんの暮らしをカメラに収めた。そうして制作したドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は異例の大ヒットを記録。夫婦は突如として有名人になった。

 ここでは、11月に104歳になる良則さんの日々の様子を、直子さんが娘の視点から綴った『 あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント 』から一部を抜粋して紹介。文子さんに良則さんがかけた、「どうしてそんなことが言えるんだろう?」と驚いてしまうような言葉とは……。(全3回の1回目/ 続きを読む )

◆◆◆

暴言や暴力には、母なりの理由がある

 今まで常識的でやさしかった人が、認知症になると突然、ビックリするような暴言を吐いたり、暴力をふるったりする……。家族にとって一番辛いのはこれです。母にもこの症状が出て、そのたびに私も「お母さん、何で……?」とやりきれない思いをしました。

 でもそのうちわかってきました。母の暴言や暴力には、母なりの理由があるのだと。母はむやみやたらと暴れるわけではなく、不穏になるのには必ず、介護するこちら側に何かしら原因があるのです。

 認知症の人は介護者の鏡だとよく言われます。こちらがニコニコしていると母も安心して機嫌がいい。でもこちらがイラついていると母は「自分のせいだろうか」と怯えたり、責任を感じて泣き出したり、反対に居直って「私をバカにしとる!」と逆ギレしたりするのです。

 それまでの母は、家族の面倒をみることが生き甲斐で、家事能力にはかなりの自信を持っていました。なのに、今まで簡単にできていたことができなくなるのですから、その恐怖と絶望たるや相当だったと思います。 

 ここで母のレゾンデートル(存在意義)が揺らぐわけです。家族の面倒をみられなくなった自分は、この家にいていいのだろうか? いや、自分はもう面倒をみられないどころか、逆に家族に面倒をかけているじゃないか。ここにいても家族の迷惑になるだけじゃないのか?

 そんな感情がいつも頭の中でグルグル渦巻いているから、たとえばデイサービスに行かせようとすると暴れ出すのです。

「私がここにおったら邪魔なんね? 私を厄介払いしたいんじゃろ!」

 と大声でわめき出し、そこらへんの物を手あたり次第に投げつける……。

 母の豹変に、私も思考停止に陥ってしまうのですが、こんな時、真っ先に浮かぶ感情は「恥ずかしい」なんですよね。ご近所に母の罵声を聞かれたら何と思われるだろう? 朝っぱらから何事かと訝しまれたくない。その一心で、

「近所迷惑だから静かにして!」

 思わず母の口を手でふさぐと、その手を噛まれて「お母さんは獣になってしまったのか」と余計にショックで……。

 あの頃は「せっかくお母さんのためにデイサービスを頼んだのに、間際になって行きたくないだなんて、嫌がらせなの?」と自分の立場からしか考えられませんでしたが、今ならわかる気がします。母はきっと、自分はこの家では用済みだから本当にどこかに連れて行かれてしまうんじゃないか、という恐怖心から「行きとうない!」と必死に抵抗していたのです。

父が母のために打った芝居

 そんな、私に欠けていた「想像力」を持って母に接していたのが、父です。父は、母の無念さをちゃんと想像し理解したうえで、母に代わって家事をやる時にも母の尊厳を傷つけないよう心がけていました。90代で初めて家事に挑戦するだけでもすごいことなのに、自分が妻の領分を侵すことで妻のプライドが傷つかないようにと、気遣っていたのです。

 具体的に何をしたかというと、父はよく、母のためにちょっとした芝居を打っていました。家事をする時に、わざと鼻歌を歌いながらやったのです。

 そうすると、最初は「私がおかしゅうなったけん、お父さんに洗濯なんかさせよる。どうしよう」と落ち込んでいた母も、

「ありゃ、お父さんは鼻歌歌いながら洗濯しよるが。ホンマは洗濯が好きなんかね? まあ、好きなことをしよるんなら、やらしとってもええか」

 と気が楽になるのです。

 他にも私がよく覚えているのは、父が掃除機をかけていた時のこと。いつものように母が泣き出し、

「私が掃除せんようになったけん、お父さんにさせて、ごめんねぇ」

 と申し訳ながると、父は、

「あのね、信友家は1軒しかないんじゃけん、誰が掃除しても一緒よ。今まであんたがずっと掃除してくれよったんじゃけん、これからはわしが掃除当番になるわい」

 と言ったのです。それを聞いて私、胸がきゅんとしちゃいました。

 母はきっと嬉しかったはずです。「あんたがずっと掃除してくれよった」と言われたことで「ああ、お父さんは、私が長年やってきたことを認めて感謝してくれているんだな」と思えますから。

 それに「掃除当番」という言葉には、小学校の「掃除当番」や「給食当番」のような、どこかかわいらしい響きがあるので、それまで泣き顔だった母はにっこりと笑顔になり、

「ほうね。ほんなら今日はお父さんが掃除当番ね」

 と冗談っぽく言い返したのです。その瞬間、明るく冗談好きな本来の母が戻ってきたように感じました。

父は「最強の生活者」

 どうして父は、こんなふうに母の気持ちを軽くする言動ができたのでしょうか。

 父本人に聞いても「そうなこと言うたかいのう」とはぐらかされるばかりなのですが、おそらく父は昔から本をよく読んでいる人なので、想像力を働かせる訓練、人の気持ちを想像する訓練ができていたのではないかと思うのです。

 それで思い出すのが、認知症の人の家族会に参加した時に主宰の方から聞いた話です。世の夫の多くは、妻が認知症になってもなかなか認められず、夫という自分の立場を捨てられないのだとか。

 多くの夫は、妻は病気だと頭でわかってはいても、「何でこんなまずい飯を作るようになったんだ。こんなもの食えねえ!」とか「何でこんなに洗濯物をためてしまうんだ。俺の着る服がないじゃないか!」などと声を荒らげてしまうのだそう。それだと、ただでさえ申し訳ないと思っている妻は、ますます肩身が狭くなり、居場所がなくなってしまいます。ああ、気の毒な奥さんたち……。

 そんな話を聞くにつれ、わが父は大正生まれなのに何てフレキシブルな感覚を持っていることか、と感動してしまいます。

「妻は尽くす側、夫は尽くされる側」という古い価値観にとらわれず、「できる方がやればええんじゃ」とフットワーク軽く動ける父。自分たち夫婦にふりかかったピンチに柔軟に対応する様子を見ていると、父には「最強の生活者」の称号をあげてもいいんじゃないか、とさえ思います。

 そしてそんな「最強の生活者」に守られている母は、やはり幸せ者だなあと、羨ましくもなるのです。

〈 「確かに母はそういう人だった…」温厚なはずの父が認知症の母に「死にたいなら死ね!」と叫んだ本当の理由 〉へ続く

(信友 直子/ライフスタイル出版)

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