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民主党・野田総理との党首討論。側近たちが記した「首相の心得」

文春オンライン / 2024年10月17日 6時0分

民主党・野田総理との党首討論。側近たちが記した「首相の心得」

〈 自民党総裁はどのように決まるのか? 安倍再出馬の政治ドラマ 〉から続く

 2012年、自民党総裁となった安倍は、時の野田総理との論戦で、衆議院解散に追い込む。安倍政権に動き出すスタッフたち――。

 安倍本人をはじめ、菅義偉、麻生太郎、岸田文雄などの閣僚、官邸スタッフなどに徹底取材、政治ドラマの奥に迫る第一級のノンフィクションから、総裁選、総選挙の内幕を描いた第一章「再登場」から、一部を抜粋する。

「それは約束ですね。約束ですね。よろしいんですね。よろしいんですね」

(2012年)11月14日。党首討論が始まった。 

 安倍が質問に立った。

「さきの総選挙において、野田総理そして民主党の皆さんは、マニフェストに書いてあることを実行するために消費税を上げる必要はない、そう約束をされた。そして、政権をとったんです。その約束をたがえて、主要な政策を百八十度変えるんですから、国民に対して改めて信を問うのは当然のことであります」

 そして、安倍は野田が8月8日に、「法律が成立をした暁には、近いうちに国民に信を問う」と約束した、それはどうなったのか、問い詰めた。

「あの約束の日は八月八日、夏の暑い日でした。夏は去り、そして秋が来て、秋も去りました。もういよいよクリスマスセールが始まろうとしています。いわば約束の期限は大幅に過ぎている」

「野田さん、もうこの混乱状態に終止符を打つべきです。……勇気を持って決断をしていただきたい」

 野田が答えた。

「八月の八日、当時の谷垣総裁と党首会談を行いました。その党首会談は、私が政治生命をかけると言った社会保障と税の一体改革がデッドロックに陥ったからであります。政治生命をかけるという意味は……もし果たせなかったならば、解散をするのでもない、総辞職をするのでもない、私は、議員バッジを外すという覚悟で、党首会談で谷垣総裁とお会いをさせていただきました」(中略)

 その上で、野田は解散について言及した。

「近いうちに解散をするということに、先般の十月十九日、党首会談をやったときにもお話をしました、ぜひ信じてくださいと。残念ながら、トラスト・ミーという言葉が軽くなってしまったのか、信じていただいておりません」

「トラスト・ミー」という言葉を口にしたとたん、安倍がしてやったりの顔を浮かべた。

〈しまった〉と野田は思ったが、もう遅い。 

 2009年11月、民主党政権の鳩山由紀夫首相がオバマ米大統領に米軍普天間飛行場の移転問題の決着への覚悟を示すため、「トラスト・ミー」と言った。しかし、鳩山はその約束を果たせず、オバマの強い不信を招いた。「トラスト・ミー」は「信用できない民主党政権」の代名詞に他ならない。

 安倍は見逃さなかった。

「今、トラスト・ミーという言葉が軽くなったとおっしゃった。確かにそうですね。トラスト・ミー、軽くなったのはトラスト・ミーだけではありません。マニフェストという言葉も軽くなった。近いうちにという言葉も軽くなった」

「近いうちに」は、その年の8月8日、「社会保障と税の一体改革」関連法案の参議院での成立を確実にするため野田が谷垣と公明党の山口那津男代表に「近いうちに国民の信を問う」と約束したことを指している。ところが、その後、民主党内の反発に加えて、韓国、中国との間で領土をめぐる緊張が起こった。

 野田は、防戦を迫られた。

「ここで何も結果が出ないというわけにはいかないと思っているんです……お尻を決めなかったら決まりません。この(衆院の定数削減の)御決断をいただくならば、私は今週末の十六日に解散をしてもいいと思っております。ぜひ国民の前に約束してください」

 野田は、最高裁に「違憲状態」と指摘された一票の格差是正とそのための定数削減をこの国会で実現させることを安倍に要求したのである。

 安倍は、定数是正要求には直接、答えずに、野田に解散を迫った。

「野田総理、年末に解散・総選挙を行って、そして国民の信を得た新しい政権がしっかり予算を編成して、そして思い切った補正予算を組んで、経済を立て直していく必要があるんですよ。総理がその前提条件をつくるべきだと言ったから、私たちは特例公債について賛成をするという大きな判断をしましたよ」「今、野田総理がやるべきことは、もうこの混乱をやめ、終止符を打って、そして新しい政治を始めていきましょうよ」(発言する者あり)

 野田「いずれにしてもその結論を得るため、後ろにもう区切りをつけて結論を出そう。十六日に解散をします。やりましょう、だから」

 安倍は畳みかけた。

「今、総理、十六日に選挙をする、それは約束ですね。約束ですね。よろしいんですね。よろしいんですね」

「十六日に解散をしていただければ、そこで、皆さん、国民の皆さんに委ねようではありませんか。どちらが政権を担うにふさわしいか、どちらがデフレを脱却し、そして経済を力強く成長させていくにふさわしいか、そのことを判断してもらおうではありませんか。そして、この外交敗北に終止符を打って……」

「どちらの政党が、美しい海と日本の国土、領海、国民を守ることができるかどうか、それを決めていただこうではありませんか。選挙戦で相まみえることを楽しみにしております。どうもありがとうございました」

 野田「技術論ばかりで覚悟のない自民党に政権は戻さない。それを掲げて、我々も頑張ります」(拍手)

 安倍の死後、安倍を追悼する「お別れの言葉」で野田が形容したように、この時の党首会談はまさに「一対一の『果たし合い』の場」だった。(中略)

 11月16日、衆議院が解散された。投開票日は12月16日と決まった。

秘書官グループが記した政権運営構想メモ

 12月2日。この日、今井(尚哉)、北村(滋)、田中(一穂)の3人の秘書官経験者が東京・四谷の「藤すし」に集まった。これに先立って、今井は北村と田中に、安倍政権ができた場合、自分は首席の政務秘書官になると告げ、新政権の「政権運営の注意点」を洗い出し、それを基に第二次安倍政権の政権運営の構想と手順を一緒に整理したい、と言って呼びかけた。

 めいめい要点を書きだしたメモを回し読みし、それを基に議論した。会合はその後、10日、16日、そして政権発足の前日の25日と合計4回、開くことになる。最後の25日の会合には安倍が加わった。

 メモ(12月2日)は、次のように記していた。

 まず、当面の総選挙にどう臨むか。

「自民、公明で安定多数(絶対安定多数の269に達するかは微妙な情勢)を確保し、来年7月の参議院議員選挙において、過半数を確保して与野党間の捻じれを解消し、安定的政権運営が可能な政治勢力を結集」

 参議院の議員定数は242。従って過半数は121となる。各政党の現有議席数は、民主党86、自民党84、公明党19、みんな18、共産党11、日本維新の会9。自民党と公明党で連立政権をつくるのであれば、与党として121以上、自民党は少なくとも100を超える議席を取らなければならない。

 基本は、自民党と公明党との与党連立をしっかりと維持することである。

「公明党現執行部の中には、例えば、漆原(うるしばら)氏のように、安倍執行部に疑念を持つ向きも存在。丁寧な連立対応が不可欠」

 公明党には安倍に対する拒否感を持つ向きが少なくない。そのうちの一人が漆原良夫国会対策委員長(衆議院議員、新潟県)であると注意を喚起した。漆原は自民党の国会対策委員長の大島理森とは「悪代官」「越後屋」コンビとして汗をかいた。ただ、憲法九条改正反対、首相の靖国神社参拝反対の立場を明確にしており、安倍の右寄りの政治理念には批判的だった。

 一方、日本維新の会との関係には注意を要する。

「最大の問題は、維新代表の石原慎太郎氏。同氏の『NOと言える日本』での言説、横田基地返還の主張、核兵器保有発言等から米国の親日的知識人においても反米的色彩の強い人物との認識。連立・連携については対米関係を十分に視野に入れて対処する必要(中略)」

 メモには「脱派閥、挙党体制、世代交代を人事で実現。『お友達』との批判を全力で回避」という文字も見える。

 来る安倍政権の組閣・党内人事の基本的考え方を述べたものだ。

 そして、「対霞が関」。官僚機構にどのように対するか。民主党政権時代、官僚の士気と質は著しく低下した。従って、「官僚を虐(いじ)めて国が良くなるかのような風潮を改める」必要がある。

 まず、「永田町と霞が関との和解を象徴する施策、例えば、事務次官会議の復活」を考える。それから、「局長級の役人が総理執務室に入室可能とする」。

 民主党政権では政治主導の掛け声の下、事務次官会議を廃止した。官僚が政治家に接触するのも制限する空気があった。そうした官僚バッシングを改め、官僚を上手に使う必要がある。安倍はこの点に関して「民主党はバカだよね。役人と競い合ってんでしょ、役人なんてね、やれって言えばやるんだよ」「責任はこちらが取る、あとはちゃんとやれ、という政治家と官僚の役割分担なんだ、同じ土俵じゃないんだよ」と口癖のように言っていた。 

 そして、「対マスコミ」。ここでの最大の要注意人物は読売新聞グループ本社会長兼主筆の渡邉恒雄とされた。渡邊は、政界と言論界に巨大な影響力を持っている。

「渡邉主筆は、(自民党)総裁選挙の前日、森、青木、古賀と会合を持ち、石原伸晃擁立に向けて議員の多数派工作に当たっていた。また、前安倍政権においては、自民党の参議院選挙敗北後、やはり森、青木、古賀等と安倍降ろしと福田擁立を画策。政権発足当初は支持であろうが、要注意」。 

 メモは、安倍の首相としての心得にも触れていた。

「諫言(かんげん)を受け入れる:毎週月曜日の早朝に、例えば公邸で、30分程度、秘書官と総理の政策調整の場を」

「休息の重要性:休息する時間がなければ継続できない。総理日程には、例外なく昼2時間、午後1時間程度の空き時間を設ける」

「沈黙は金。威信には神秘性が必要である。なぜならば、人は知りすぎたものをあまり尊敬しないからである」

「正義のためには死んでもいい、という気持ちは捨てる」

「野球ならベースの上に球がくるまで打たない‼ 剣道なら、間合いに入るまでは撃ち込んではいけない‼」 

 田中は学生時代、剣道部に所属した。北村も警察庁時代、剣道に勤しんだ。 

 総選挙投票日の16日の会合の際に配布されたメモには次のような点が新たに加えられた。

「政権という上部構造を安定させるためには、政治運動等の下部構造の存在・拡充が不可欠……今回の選挙でも右派系国民運動は大きな成果を発揮。工作担当者を意識的に任命すべき」

 官邸中枢において、右派系の国会議員を首相補佐官のような役職に据えることを示唆したものだ。

 その一方で、右派に引っ張られないよう注意する必要性も述べていた。

「参議院議員選挙までの期間は、あくまで捻じれ解消のための暫定と割り切り、国会運営、特に参議院国対(国会対策)その他においても協調路線が必要。戦後レジーム脱却路線は、当面封印し、法律改正が伴わない経済政策や外交に注力して実績を挙げることが肝要」

 第一次政権で安倍がよく使った「戦後レジーム脱却」といった生硬でイデオロギー色の強い言葉は使わないことにする。少なくとも「当面封印」する。

「党運営を押さえないと失敗する。幹事長には、実力のある腹心中の腹心を起用。党と内閣とのバランスをとることが重要」

 石破茂自民党幹事長への不信感をあからさまにしている。ただ、石破を交代させた場合「かなり、ごねる蓋然性」をメモは指摘していた。

 12月16日。第46回衆議院選挙が行われた。結果は、自民党が294議席を獲得した。現有118議席に186議席を上乗せした。一方、民主党は57議席にとどまった。現有230議席から激減した。公明党も31議席を手にし、現有の21議席から大きく伸ばした。日本維新の会も現有11議席から54議席へと躍進した。自民党は政権を奪還した。

 安倍晋三が再び、首相に返り咲いた。戦後、首相経験者が再度、首相に再任されるのは1948年の第二次吉田内閣の時の吉田茂首相以来のことだった。保守合同で自民党が誕生してからは安倍が最初である。


(船橋洋一『宿命の子 上』第一章「再登場」より一部抜粋)

(船橋 洋一/文藝出版局)

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