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バンドメンバーの自殺、友人への多額の借金、酒に溺れる日々…城咲仁が年収1億円ホストになる前の“どん底生活”

文春オンライン / 2024年10月18日 17時0分

バンドメンバーの自殺、友人への多額の借金、酒に溺れる日々…城咲仁が年収1億円ホストになる前の“どん底生活”

 歌舞伎町でNo.1ホストに輝き、そしてテレビの世界で活躍するまで城咲仁には人知れず苦悩していた日々があったという。父に「目が腐ったな」と言われた若き日々を振り返る。(全3回の1回目/ 続き を読む、 #3 を読む)

◆◆◆

バンドのメンバーの死をきっかけにバーテンダーを辞めて

――実家は板橋、町中華で有名な『丸鶴』ですが、高校卒業後は後継問題を抱えながら家を飛び出して、元々興味があったバーテンダーとして活躍されます。しかし、突然お店を辞めることになったとか。

城咲 バーテンダーとして年齢給以上にはもらってはいたんですけど、労働時間と対価があってない。働いてもお金が貯まらないし、未来に不安を感じていた矢先、当時組んでいたバンドのメンバーが首吊り自殺をしたんです。そいつは地方のお坊ちゃんで、俺と同じく後継問題で揉めていて。彼が死ぬ前に仲間のところに一人一人挨拶に行って、最後の最後、俺が働いていたショットバーに来たんですよ。ビールを2杯だけ飲んで、帰ってそのまま死にました。

 僕ね、様子がおかしいから「鍵渡すから、俺んち泊まっていけよ」「仕事終わったら飲みに行こう」って言っても心ここにないというか。彼の残像がお店に残っちゃって働けなくなって店を辞めさせてもらったんです。

――気持ちもふさぎ込んで

城咲 その後は半年くらい飲み歩く生活になって、友達から借金も作りながら、いよいよお金がなくなって実家に帰ったんです。実家でも朝から酒を浴びるような生活をしていたら、数年間、口をきいてなかった親父が一言「目が腐ったな」って。そこで、頭がかち割られたような気持ちになったんですね。彼が亡くなって半年間、時間もお金も無駄にしてきたことに恐怖を覚えたし、啖呵を切って家を飛び出したのに、俺、何やってるんだろうって。気づいたら成人式のときに買ったスーツを着て、歌舞伎町のホストクラブ、『クラブ愛』の前に立ってました。

――色々な仕事がある中で、なぜホストを考えたのでしょうか?

城咲 何の資格も持ってない、高学歴でもない俺に、何ができるか考えたときに人をもてなすこと。人を楽しませることはできるんじゃないかって。あと、高校3年間はイタ飯屋の調理場のバイトをやってたんで、飲食+夜の世界とかその辺、そこは人よりも興味があり詳しかったんですよ。

自分がカッコイと思うNo.1ホストに

――『クラブ愛』で働き始めたのが21歳。わずか2カ月で売り上げトップになりましたが、ホストになった時点で目標やイメージするホスト像などありましたか?

城咲 ありましたね! 絶対この店でNo.1にならないといけないとすら思ってました。『愛』で働く前、俺が20歳の誕生日に『愛』に連れて行ってもらってるんだけど、そのとき接客してくれたホストさんたちは、みんなまともだったんです。でも自分が中に入って働いてみると、接客と呼べないホストが多い。悪い言葉でいうとジゴロ。裏でお金頂いて悪いことしてる「裏っぴき」っていうんですけど。お店の看板だけ使って裏っぴきして、お店にも迷惑だし邪悪ですよ。だから俺は、自分がカッコイイと思うNo.1ホストになる一択でしたね。

――ホストをはじめたときにルールも作ったそうですね。

城咲 外で二人きりで会わない。お客さんを抱かない。同伴は必ず後輩を連れて行くとか。そしたら男女の雰囲気にならないですよ。アフターも1対1でいかないし、行ったところでプラスないですから。

 あと、自分が魅力を感じないホスト、逆に魅力を感じるホストもノートに書き出して自分はどこのポジションにいけばいいか考えて。ルールがあって助かりましたね。やっぱり誘惑も多いんですよ。お金ちらつかせて一回ご飯行こう、買い物行こう。次第に今度私のためにお店休んでとか、みんなやられてるんですよ……! それを見たときにカッコ悪い~、主導権もってかれて、そうならないためには外で会わなきゃいいじゃんってね。

 あとは、中身がないから一生懸命虚勢張って、日焼けして、自分に見合わないアクセサリーつけて、足組んで偉そうにタバコ吸いながら接客しても、誰も対価払わないよね。次に繋がらないよねって思いながら自分ができることをしてました。

「偏屈なお客」が満面の笑みになるのが一番楽しい

――お店の開店4時間半前から名刺配りも徹底されていたそうですね。

城咲 僕がホストを始めたことなんか誰も知らないし、今みたいにフリーで店に来る時代じゃなかったんですよ。すごく陰湿なイメージがあって反社に近い、ていうか、お前反社じゃん! ってホストもいたし。自分でお客さんを見つけて、たとえばお客さんが12時にきて2時間で帰ったらそこから僕、営業行きましたからね。

――城咲さんの接客、トーク力はバーテンダーの時代から養われたのか。元々お話しするのが上手だったのでしょうか。

城咲 話が上手か下手かっていうと上手くはないんですよ。でも、なんとか人を楽しませようって必死でした。親父の影響もあるんですけど、親父の店がたまに宴会場になることもあって、子どもの頃から手伝いもしていたんです。普段職人として気難しい親父が勧められるままお酒も飲んでいる姿や、真剣に人を楽しませようとしている様子も見ていて。親父に「お前な、世の中にはいっぱい中華屋さんあるだろ。板橋の大山で、駅から遠いのにわざわざ歩いて通ってくれるのは、そこに何かがないといけないし、俺は誰よりも美味しいものを作る」ってずっと聞いていたんですよね。

 だから、歌舞伎町の中で何千店舗もある中で、城咲仁じゃなきゃダメだって思ってもらう。相手を喜ばせる。「あの人は気難しいお客さん」だって同僚が敬遠しても、そもそも行く場所が無いからホストクラブに来る人が大半なんです。昼間楽しく生きて、誰とでも意思疎通が取れるような人はあまりホストには来ない。そこで俺らは働いてるのに何言ってるの? って。ややこしいお客さんが帰る頃には満面の笑みで「仁くん、また来るね」って言わせたときが一番楽しいんですよ。偏屈だったお客さんが気づいたら「仁くん、仁くん」って言うようになってて、ホストクラブの中だけだけど人間関係ができてる。そこから対価がついてくる。

 よく、他のホストさんの相談に乗ってると、順番飛ばすんですよね。仕事できないこと端折って売り上げばかり求めるんで。

ホストとして絶頂期の26歳で引退

――ちなみに今のホストの方とはお客さんとの関り方も全然違うと思いますか?

城咲 そもそもホストっていう職業が変わっちゃってるから。元々は社交場。ジルバ踊ったり、スーツ着た男性が女性をエスコートしていたりしてたけど、今は推し活になってきてる。お客さんもそこまで接客を望んでないですよね。自分が今ホストをやっていたらSNSもやって売り上げもさらに上がったかもしれないけど、あのときの城咲仁の接客にはなってなかったかもしれない。

――売り上げと言えば、ホストでNo.1の時代が続き、2005年以降は年収が1億に。

城咲 ホストを6年やって、最後の3年くらいは億、超えてましたね。他の人気店のホストが手取りで月400万、500万もらってすげえな!って言われていた時代に、僕手取りでうん千万もらってました。当時『愛』が5店舗あるなかで5店舗の総売上よりも僕の売上の方が勝ってましたね。

――しかし、ホストとして絶頂期のとき、26歳で引退することに。

城咲 ホストを始めた当初から5年って決めてたんです。結局1年延びたけど、21でホストをはじめて5年くらい経ったときに恐ろしいくらいテレビに出ていて、営業しなくても指名がすごくて、俺を怒る人もいないし自分ルールだし。なんか危ないなって思っちゃったんですよね。このままあと何年かは何億ってもらえるかもしれないけど、30代超えたあたりで果たしてこの生き方していてカッコいいんですか。僕当時からニオイっていう言葉を使うんですけど、嗅覚がここにいちゃいけないなって。裏を返せばこんな絶頂期に次のことをやっておけばまた話題になるよねって思ったんです。

 その後、ホストを引退して芸能界に入ることに。しかし予想とはあらぬ方向に――。

〈 家賃30万円から5.8万円のボロアパートに…城咲仁はなぜ急にテレビで見かけなくなったのか?《今も思い出す坂上忍の「オマエ、仕事ないこと認めろ」》 〉へ続く

(松永 怜)

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