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家賃30万円から5.8万円のボロアパートに…城咲仁はなぜ急にテレビで見かけなくなったのか?《今も思い出す坂上忍の「オマエ、仕事ないこと認めろ」》

文春オンライン / 2024年10月18日 17時0分

家賃30万円から5.8万円のボロアパートに…城咲仁はなぜ急にテレビで見かけなくなったのか?《今も思い出す坂上忍の「オマエ、仕事ないこと認めろ」》

〈 バンドメンバーの自殺、友人への多額の借金、酒に溺れる日々…城咲仁が年収1億円ホストになる前の“どん底生活” 〉から続く

 『踊る!さんま御殿!!』『笑っていいとも!』にも出演し、順調な芸能界デビューを飾った城咲仁。しかしそんな日々もやがて陰りが見えはじめ……。(全3回の2回目/ 前編 を読む、 続き を読む)

◆◆◆

ホストを引退して芸能界へ

――ホストとして絶頂期に引退。26歳のときに芸能界に入り、タレント活動をスタートされてみていかがでしたか?

城咲 楽しかったですね。ロケも全て新鮮で、アフリカに行ってマサイ族と井戸を掘るロケとか、5000円渡されて福岡から東京までヒッチハイクで帰ってくるロケもしたし。トーク番組も楽しかったですよ。ただ、トークに関しては、城咲仁としてホストの話題にスポットが当たってるときは楽なんですよ。でも、だんだんひな壇に呼ばれるようになって、芸人さんやアイドルやマルチタレントとか色々な人が並んで喋ったときにトークで勝てない。ホストの話題じゃなくて、「はい! 共通の話題で面白くしてください!」って並べられたときになかなかウケなくて苦戦しましたね。

――ホストとして1対1でお話しするのと、芸人さんたちを含め、みんなでお話しするのは同じ話す仕事でも違うと?

城咲 全然違いますね。ホストってジワジワ攻めていって女の子を楽しませるとか、お酒飲んでるときの会話って、右いったり左いったりするじゃないですか。でもバラエティーって編集点作ったところで芸人さんが「バツーン!」って落としたり、ものの10秒、15秒で起承転結できるのってやっぱりすごいですよ。そもそもリズムが違う。うわぁ、すごいな。街の人気者が東京のテレビ局に集まって、全員で椅子取りゲームやってるんだ。大部屋の楽屋では喋らないけど、カメラが回った瞬間、声のトーンが上がってそんなに声張るんだ! って。あれ? 俺声でかい方だけどそんなに出てない?

 次第に、歌舞伎町でNO.1なんて笑わせるなよって、収録のたびに落ち込んで帰ってましたね。

――関西の番組でも驚いたことがあったとか。

「考える前に動く」でだんだん番組にも呼ばれるように

城咲 初めて『ナンボDEなんぼ』っていうメッセンジャーの黒田(有)さんの番組に出たときに、フルボッコにされたんですよ。「なんでお前みたいなやつがノコノコと芸能界入ってきたんだ。どうせ暇つぶしだろう。お前そんな話うまいならラジオでもやれ!」とか、錚々たる関西の重鎮に言われて。俺は、お前は来るなって言われたと思ったの。ザ・東京の人なんで。でも、帰りの新幹線に当時のマネージャーさんに「仁さんあれね、美味しいっていう感覚だよ。初めて出た番組であんなに仁さんのこといじってくれたら、言い返さなきゃ」って。僕、萎縮しちゃったんですね。怖くて、言葉強くて。だけどそういうことなの? って思ってから翌週以降、番組で一日に2本撮りとかあるじゃないですか。楽屋で前の収録とか見ながらこんなに入っていいんだ。

 東京の番組では見ないけど、関西では出まくってる人とかいますよね。そういう人たちのことも調べて。円広志さんと絡むときは、円さんの価値だって知ってるけど、わざと「なんすかこのおっさん芸人!」って噛みつくとか。もうなんでも言っちゃえ! やっちゃえ! って尖ってみたり。考える前に動き出すようにしたらだんだん番組にも呼ばれるようになりました。

――大きな番組にも出演が決まっていって。

城咲 『踊る!さんま御殿!!』『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング、『徹子の部屋』とか全部出ましたね。でも、もともと芸能界に入った時に2年くらいで飽きられるだろうって思っていたし、マネージャーともそんな話はしていたんですよ。この先何ができるか勝負だねって。でも、2011年にドラマの出演が急に流れたあたりから、一気に仕事がなくなりました。

――元々決まっていたドラマ出演が急に無くなってしまった?

城咲 台本に僕の名前が載っていて、来週顔合わせしましょう!とやってる矢先に突然切られたんです。さすがにしんどかったし、普通に考えてもあり得ない話だと思いますけど。当時所属していたサンミュージックの社長や役員もテレビ局に抗議に行ってくれましたが、何も訂正されなかったですね。結局、俺と年齢が近くて、キャラが被って料理もやってる人が代わりに出てて。これが芸能界かぁ、こっちはドラマ撮影のために今まで入っていた2、3カ月先の仕事も全部断っちゃったし、断った仕事に他の人が入ってその人がホームラン売ってる姿を見ると、「うわ、次からこっち使われるんだ!」って思ったし、毎日仕事があったのに急に無くなってとても不安。ドラマの仕事が飛んでから周りの歯車も合わなくなってくるんですよ。ニオイとか肌感でわかる。これからこっちいくな、あぶね! って。そう感じてからすぐに引っ越しましたね。

「稼ぎがないなら」と生き方を変えて

――判断は早かったと。

城咲 稼ぎがないならお金が出ない生き方を選んだ方がいいんじゃないのって、ドラマが流れて2、3カ月後には、家賃30万の家から5万8000円の家に引っ越しました。1ルームで日当たりが悪くて、中庭から湿気がバンバン入ってくるような陰気な部屋。5月にはソファーの後ろにカビが生えちゃってた。治安も悪かったですね。隣の音もバンバン聞こえてくるし。ちょっと大きい音でも出そうものなら壁を「バン!」って叩かれるし。値の張った家具とか高級品も全部捨てましたよ。置き場所がないですから。

――環境が変わって気持ちが弱っていくと、変な人が寄ってくることはありましたか?

城咲 めちゃくちゃ付け込んできますね。怪しい営業に誘われたし、「ちょっとゴルフコンペあるんだけど、顔だけだしてくれない? とっぱらいで渡すから」とか。僕も水商売やってたからわかるんですよ。利用しようとしてるやつだなって。でも生きていかないといけないから、モノによっては受けてましたよね。闇営業じゃなくて、マネージャー入れて仕事としてわりきろうって。

――テレビでは『あの人は今』といった番組にも呼ばれて出たとか。

城咲 でも、そのときは徐々に心も強くなってきて、『あの人は今』とか余計なお世話だぜ! 俺は俺で楽しい生活送ってるし、家賃や生活水準落としただけで、心の幸福度まで落ちてるかっていうと、周りに楽しい友達もいるし、必要とされる場所もあるしって思ってました。わかりますよ。何億って持ってた人がドカン! って落とされる姿を見て喜ぶとか、人の情けない姿を見て自己肯定感あげたいとか。

 でも、もしかしたら俺がテレビに出たら、自殺をやめてくれる人もいるかもしれない。俺の姿を見て笑ってくれる人が一人でもいればありなんだって思ったんですよね。だから当時のインタビューにも堂々と出てるし、電車に乗ってるところも映してますよ。今更、僕、金無くなってないですよっていうのもくそダサいですし。実際無いんだから。

「使われない」ってわかってても、できることをやる

――坂上忍さんにも相談されたそうですね。

城咲 「お前、仕事ないこと認めろ」って。あと、カンニング竹山さんには「お前、通販でそれだけモノ売れてるんだろ。そこで1位とってこいよ!」。昔、地獄を見た有吉(弘行)さんが「目の前の仕事を真剣にできないやつが、なに偉そうなこと言ってるんだ!」って言っているのをテレビで見て。全くその通りです。仮に面白くない企画だったとしても、自分がなんとか変えてやろうって気持ちでホストのときはやってたんですよ。つまらねえ裏っぴきがうじゃうじゃ居る中で、自分は自分のやり方でなんとかやってやろうって思ってトップ取ってきたんですよ。

 僕、関西の番組で感謝しているのは、二、三パチンコ番組に呼ばれてたんですよ。パチンコ番組ってアタリがこないと、ほとんどトークが使われないんですね。だけど収録の3時間、4時間でも喉が嗄れるくらい喋りながら、どこか使われたらいいな、くらい喋ってて。そしたらあるときプロデューサーに呼ばれたんですよ。「仁くん、えらい。俺また呼んでやる。他の人たちはアタリがくるまで見てるだけだけど、仁くん、使われないってわかっててもなんとかできることやろうとするでしょ」って。やっぱりホストと一緒だ。どんなに自殺考えて暗い顔の女の子が来ても、今日は笑顔で帰すぞっていうハングリーさ。あれでいいんだなって思いながら前を向いて。

〈 タレントとして“どん底時代”を乗り越え、城咲仁はなぜテレビショッピングで復活することができたのか? 〉へ続く

(松永 怜)

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