《大山のぶ代さん死去》「先生は大丈夫だとおっしゃったじゃないですか!」待望の娘・絵梨加がわずか3ヶ月で死去…絶望する大山のぶ代(90)を救った夫・砂川啓介の支え
文春オンライン / 2024年10月11日 16時46分
大山のぶ代さんを支えた、夫の砂川啓介さん ©双葉社
大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか?
「最愛の娘」を失ったときの2人の思い出を、砂川さんの著書『 娘になった妻、のぶ代へ 』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。
◆◆◆
たった3ヶ月で生涯を終えた愛娘・絵梨加
「ペコ、どうしたんだ? こんなところに座って」
「啓介さん。あの子、今、危なかったのよ……」
「ええっ。絵梨加は大丈夫なのか?」
「今は落ち着いているけれど、私、心配で心配で……。あの子、あんなに元気にしていたのに、急に動かなくなっちゃったんだもの……」
「そうか……。でも、ペコ、そんなところに座っていないで早く立ちなさい。絵梨加が元気になっても、君の具合が悪くなったらどうしようもないだろう」
「うん……」
娘の容体の急変後、保育器の中で懸命に生きようとしている小さな絵梨加を見つめながら、来る日も来る日も、カミさんは病院の廊下で手を合わせ、祈り続けた。
だが、神様は僕たちの願いを、残酷なことに、聞き入れてはくれなかった。
容体が急変してから1週間後、絵梨加は静かに息を引き取り、天国へと旅立った。母に抱かれることも、お乳を飲ませてもらうこともなく、ただ狭い保育器の中だけで、たった3ヶ月の短い生涯を終えて――。
「先生は大丈夫だとおっしゃったじゃないですか! どうして、どうしてなんですか!」
カミさんは髪を振り乱しながら号泣し、医師を責め立てた。
「私たちも間違いなく元気に育つと思っていたんですが……。心臓か肺のどちらかが完全だったら、なんとかなったのですが……」
絵梨加の死因は、心臓と肺の先天性疾患だった。
「どっちかって、そんなの最初から分かっていたことでしょ!?」
彼女はこう医師に叫び、自分でも何を言っているのか分からないまま、呼吸が止まりそうなほどの勢いで泣きじゃくっている。
「ペコ、もうよしなさい。先生を責めてどうなるんだい」
僕だって、本当はカミさんと同じ気持ちだった。でも、二人して取り乱すことはできないし、絵梨加の死は誰の責任でもないだろう。
「赤ちゃん、最後に抱っこしますか?」
看護師さんが、息絶えた絵梨加を抱いてきた。
初めてこの腕に抱いた娘の絵梨加は、思いがけないほど軽く、その軽さが僕の胸を締めつけた。
「絵梨加……」
呼びかけても、目を開くことも泣くこともない。僕の腕の中の絵梨加の顔が、涙で滲んでいった。
「ありがとうございました……」
看護師さんに戻そうとしたそのとき、カミさんが僕から奪い取るように、絵梨加を抱きしめた。
これまで、耳にしたことがないほどの激しい嗚咽だった。カミさんの泣き声は、いつまでも薄暗い病院の廊下に響き渡っていた。
「次に妊娠したら、母体が危ないです」
絵梨加の死に追い打ちをかけるように、それから間もなくして、僕たちは医師からこんな残酷な真実を告げられた。医師の説明では、カミさんが次に子供を身ごもっても、出産には自らの命の危険がかなり伴うというものだった。
彼女からしてみれば、二度と子供を産めないと宣告を受けたのに等しい。
ペコは絶句し、病院の床に膝から崩れ落ちた。後にも先にもこのときほど落ち込んだカミさんの姿を見たことはなかった。
そんなカミさんの横で、僕自身も目の前が真っ暗闇となったことを、今でも覚えている。僕は、もう子供を授かることはできないのか。こんなにも子供が好きなのに……。
「彼女と一緒に人生を生きていこう」
10年以上「体操のお兄さん」を続けてきたのも、子供が大好きだったからこそ。それなのに、僕とカミさんの間には、この先一生、子供が誕生しないなんて……。
僕にタネがないわけではないし、カミさんが妊娠できないわけでもない。それなのに、次に妊娠しても、彼女の身体では子供を産むことができない。
僕の心は揺れた。
当時、僕はまだ30代の半ば。カミさんと別れて他の女性と結婚すれば、自分の子供を持つことができる可能性はある。
だが、僕は、どうしても忘れることができなかったのだ。病院の廊下で、来る日も来る日も絵梨加を見つめて、必死に祈り続けていたカミさんの姿を……。
その必死に祈り続ける彼女の姿を見たとき、僕は心に誓っていたのだ。この先どんなことがあっても、彼女と一緒に人生を生きていこう。彼女を苦しめるものがあるなら、僕も一緒に闘おう、と。
子供を持つことに未練はある。でも、僕よりもカミさんのほうが、ずっと苦しいはずなんだ。
まだ、この世に存在していない見たこともない子供よりも、喜びや悲しみをともに分かち合ってきた彼女のほうが、やっぱり僕には大切だった。
「啓介さん、ごめんなさい、ごめんなさい……」
毎日のように泣いて詫びるカミさんに、僕はこう言った。
「ペコ、君が謝ることなんて何もないよ。子供がいなくても、二人で楽しく生きていければ、それでいいじゃないか」
真っ赤な目で僕を見つめた彼女は、再びうつむいて、長いこと肩を震わせていた。
「お母さん、がんばれ!」
絵梨加の死から30年ほど経った頃、将来的に僕たち夫婦が入るためのお墓を、東京の恵比寿のお寺に作った。そこに真っ先に入ったのは、ずっと前に短い命を終えてお寺にお骨を預かってもらっていた絵梨加だった。
以来、絵梨加の命日には毎年欠かさず、二人揃って墓参りを続けてきた。
毎年、カミさんが墓の前にひざまずき、涙ながらに絵梨加に手を合わせる姿を、僕はただ見守ることしかできなかった。子供を失った母の悲しみは、時が経っても、決して癒えるものではないのだ。
それほどまでに毎年の墓参りを大切にしていたカミさんだが、認知症になってからは、墓地に足を運ぶことさえ難しくなってしまった。
でも、もし絵梨加が元気に育っていたら、カミさんは仕事を辞めて、きっと家庭に入っていただろう。つまり「大山のぶ代のドラえもん」は誕生しなかったことになる。
そう考えると、カミさんがドラえもんになれたのは、運命の導きだったのかもしれない。
絵梨加はずっと、空の上からカミさんのドラえもんの声を聞いて、「お母さん、がんばれ!」と応援していてくれたんだろうな――。そんな気がしてならない。
(砂川 啓介/Webオリジナル(外部転載))
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