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《レジェンド声優の訃報》 「残念です。あと30分早かったら……」32歳で流産、38歳で娘を授かったけど…ドラえもん声優・大山のぶ代(90)を襲った「人生最大の悲劇」

文春オンライン / 2024年10月11日 16時45分

《レジェンド声優の訃報》 「残念です。あと30分早かったら……」32歳で流産、38歳で娘を授かったけど…ドラえもん声優・大山のぶ代(90)を襲った「人生最大の悲劇」

大山のぶ代さんと砂川啓介さん夫婦を襲った「人生最大の悲劇」とは? ©双葉社

大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか? 

 

2人に訪れた「人生最大の悲劇」を、砂川さんの著書『 娘になった妻、のぶ代へ 』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。

◆◆◆

運命を大きく左右した「人生最大の悲劇」

 僕たち夫婦には、子供がいない。いや、正確に言えば、僕たち夫婦はこれまでに二度、新しい命を授かっている。けれども、その後、二人の運命を大きく左右する、人生最大の“悲劇”が、僕たちに訪れるのであった……。

 最初の妊娠は、結婚直後――。ペコ(大山のぶ代さんの愛称)が32歳、僕が29歳のときのことだ。もともと子供が大好きだった僕は、カミさんの妊娠報告が嬉しくて仕方なかった。その事実を知らされたときの興奮といったら、世界中に「俺とペコに子供が生まれるんだぞ! 俺は父親になるんだ!」と大声で叫びたいほどだった。

 だが、その喜びは露と消えた。妊娠7ヶ月を迎えた頃、カミさんが突然、破水したのだ。

 僕らは慌てて深夜の病院に駆け込んだが、何かの不手際だったのだろうか。診察してもらうまでに、夜間の受付窓口で30分も待たされた。

「残念です。あと30分早かったら、なんとかなっていたんですが……」

 処置室から出てきた医師は僕の顔を見るなり、そうポツリと言った。

「えっ、30分!?」

 僕たちは30分以上前に病院に来ていたじゃないか。いったい、どうなっているんだ? 僕は病院の廊下中に響き渡る大声で、そう叫んでいた。

 しかし、次の瞬間――。

「本当に残念です。死産です。男の子でした……」

 医師の声が僕の胸に、こう冷たく響いた。

 僕は全身がガクガクと震え出した。そして怒りと悲しみが同時に込み上げてきたが、あまりのショックで、怒りの矛先を誰に向けたらよいのかすら分からなかった。

 やり場のない思いを抱えながらも、僕が一番案じたのはカミさんのことだった。僕がこれほど辛いのだから、彼女は何十倍も、いや何百倍も苦しい思いをしているに違いない。

 僕は病室で再会したカミさんに、かける言葉が見つからなかった。

 お腹に宿った命を失うのが、女性にとってどのようなことなのか、僕は初めて知ったような気がした。

「今度こそ無事に、元気な子を産みたいわ」

「体操のお兄さんに赤ちゃんが!」

 週刊誌にこんな見出しが躍ったのは、一生忘れることのできない死産の悲しみから7年後の1971年のこと。38歳になったカミさんのお腹に、再び、念願の赤ちゃんがやってきてくれたのだ。

 2度目の妊娠が分かったとき、もちろん二人で喜んだが、最初の妊娠のときのように浮かれる気持ちはまったくなかったように思う。

「今度こそ無事に、元気な子を産みたいわ」

 そんな思いから、このときのカミさんは、用心しすぎるほど用心を重ねた。すべての仕事を休み、大事を取って何度も入退院を繰り返したのだ。

 彼女は妊娠が判明してすぐ入院し、安定期に入ったところで一度、自宅に戻り、妊娠7ヶ月に入り再び入院するという厳戒態勢。それもすべては、あの7年前の悪夢を繰り返さないためだった。

 男の子でも女の子でもいい。とにかく無事に生まれてくれさえすれば、それで十分だ。親になる身なら誰しもが味わう期待と不安の日々。僕は仕事を終えると、どこにも寄らずに、毎日ペコが入院する病院へ飛んで行った。

 カミさんが再入院し妊娠7ヶ月を一週間ほど過ぎた頃、仕事場にいた僕の元に入った、病院からの一本の電話。

「今しがた、赤ちゃんが生まれましたよ!」

「えっ? 予定日は確か3ヶ月先のはずですけど……」

 電話口でそう首をひねりながらも、僕は状況が飲み込めないまま、病院に一目散に走った。

 早産だった――。

 病院で出会ったのは、顔さえハッキリと見えない、小さな小さな女の子。小さな保育器の中に、さらに小さな僕らの娘が眠っていた。

 ところが、未熟児専用の設備が整った病院に移ったほうがいいとの医師の薦めで、僕たちの娘は、この世に生を受けたばかりだというのに、すぐさま転院することになった。

「啓介さん、お願いね……」

 保育器を抱いて病院を出て行く僕に、ベッドのカミさんが向けた、すがるような言葉と目。本当に大丈夫なんだろうか。もし、この子を失ってしまったら……。保育器を抱えた脇の下から、汗がスーッと流れ落ちたのを、今でも覚えている。

「砂川さん、ご心配なく。私たちも精いっぱい頑張りますから」

 転院先の病院では、医師の力強い声が僕と未熟児の娘を出迎えてくれた。

「先生、どうか、どうかよろしくお願いします」

 このときの僕にできたのは、かろうじて、声にならない声を絞り出すことだけだった。

僕たちが娘につけた名前は

 絵梨加――。

 これが、僕たちが娘につけた名前だ。カミさんが、字画も配慮して選んでくれた名前。彼女の退院後に二人で区役所に出生届も出しに行き、絵梨加は正式に僕たち夫婦の籍に入った。

 神様、お願いです。どうか、絵梨加を無事に成長させてやってください――。僕もカミさんも、毎日それだけを祈り続け、病院に3ヶ月間、通い続けた。

 寒さが身にしみる12月のある日。僕が病院に行くと、先に訪れていたカミさんが廊下で正座し、保育室の窓に向かって手を合わせて祈っている。僕は背筋に激しい悪寒が走り、血の気がサッと引いた。

「ペコ、どうしたんだ? こんなところに座って」

(砂川 啓介/Webオリジナル(外部転載))

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