「ドキュメンタリーのカメラは時に暴力装置にもなる」NYから瀬戸内に移り住んだ映画監督が改めて自覚した“怖さの正体”
文春オンライン / 2024年10月19日 6時0分
想田和弘監督 撮影 橋本篤/文藝春秋
『選挙』『精神』など、事前のリサーチを行わず、台本やナレーションも用いない独自の手法で「観察映画」を作り続けている想田和弘監督。その第10弾『 五香宮の猫 』が10月19日に公開される。27年暮らした米国ニューヨークを離れ、日本に居を移した想田監督に自身の最近の変化を聞いた。
◆◆◆
ニューヨークから岡山への移住
――1993年から27年間暮らした米国ニューヨークを離れ、2021年1月、岡山県瀬戸内市牛窓町に移住しました。いつ頃から帰国について考えていましたか。
想田 いつかはニューヨークを去るだろうとはずっと思っていましたが、具体的には考えていませんでした。きっかけになったのは新型コロナウイルス禍です。前作『精神0』のキャンペーンで20年に東京に来たタイミングでコロナ禍が始まり、緊急事態宣言が出て、ホテルに缶詰になってしまったんですよ。ニューヨークにも帰れなくて、ちょっとここから逃れたいということで、牛窓に行きました。牛窓はもともと妻(本作プロデューサーの柏木規与子さん)の祖父母や母が暮らしていた縁で『牡蠣工場』(15年)や『港町』(18年)などを撮影したりして、なじみがありますからね。そこで海に面した家を借りて昼寝をしていた時、「ああ、ここにいたいなあ」と心の底から思い、具体的に移住を考えるようになりました。
もっと自然と共に生きたいと思ったことも理由の一つでした。コロナ禍が始まった時、この世の終わりのように東京で感じましたが、牛窓に行ったら、「なんだ、困っているのは人間だけだ」と思ったのです。猫も魚もマスクしませんし、海も山もコロナ禍で閉まったりしませんからね。人間は地球の住人の一種でしかないのに、人間中心に考えていたんだなと思い、ガラリと環境を変えてみたくなりました。
妻の野良猫保護活動をきっかけに撮り始めた『五香宮の猫』
――『五香宮の猫』の撮影は移住してすぐに始めたそうですね。
想田 野良猫を保護した関係で、妻が五香宮の猫たちを避妊去勢手術する活動に参加したんです。それで自然にその様子を撮り始めました。当初は映画にしようとは思っていませんでしたが、五香宮に張り付いているうちに、いろんな面白い人が出入りしていることに気づき、割と早い段階で第10弾の作品になるなと思いました。
――これまでの作品と違っている点は。
想田 これまで僕はニューヨークからの「来訪者」の立場で、3週間なら3週間と限られた期間で撮っていました。それが今回は約2年と圧倒的に期間が長くなりました。でも、その分、撮り逃すことが多かったです。例えば、猫がケンカをしているからやめさせなければと急いで手ぶらで出て行って、ケンカが終わってから、「あ、撮影すべきだった」と思ったり。住人の立場になると24時間、映画作家でいることができなかったんですね。
加えて、これまでだったら来訪者として気軽に撮っていたものが、住人の立場としては憚られて、なかなか撮れなかったという経験もしました。ドキュメンタリーのカメラというものは時に暴力装置にもなるという怖さは、今までも自覚していましたが、さらに抑制が強くなったと思います。
これは「参与観察」の映画
――これまでの観察映画と異なり、想田さんと柏木さんが登場する場面も増えて、「私映画」になっている印象です。
想田 以前から僕は「観察することは『参与観察』すること」と言ってきました。自分が撮影をする時には、撮影する行為によってその状況が変わります。つまり、自分が参与している世界を観察しているので、自分もその一部だということです。今回は住民として被写体になったことで、撮る側と撮られる側が渾然一体となり、文字通り、「参与観察」の映画になった気がします。
――移住して3年半たちましたが、ご自身に変化はありましたか。
想田 プライオリティがガラッと変わりました。本作は4年ぶりの新作ですが、それまではだいたい1年か2年に1本のペースで撮って、発表してきたんです。映画作りは自分の仕事ですから、一番のプライオリティ。それ以外の例えば家事とか友達に会うとか、そうしたことは余計なことだと思っていました。でも今は、料理をするとか、ご飯を食べるとか、散歩をするとか、日常生活の方が忙しく、大事になりました。
勝ち負けに執着することが減り、怒りも減った
――牛窓という場所のせいでしょうか。
想田 場所の影響は大きいかもしれませんね。牛窓では、朝起きる時間が季節によって変わるんですよ。明るくなったら起きるみたいな。洗濯も、ニューヨークでは夜中の2時、3時でもコインランドリーを回していたけれど、こちらではお天道様次第。自然のサイクルに合わせて生きる感覚です。
もう一つ、瞑想を8年前から始めたのも大きいと思います。それまでは、映画を1本作ると、たくさんの人に見てほしい、評価されたいという気持ちが強かった。そして成功すると、次も成功を求めました。でも、常に勝ち続けるなんて無理なことですよね。それなのに、常に勝ち続けようという価値観を体現しているニューヨークという街に住んでいた。苦しかったんですよ。でも、瞑想して自分を観察すると、勝っても負けてもすべては無常であり特段の意味はないし、勝ち負けに執着すること自体が自分を苦しめているのだということに気づいて、だいぶ楽になりました。僕、すごく怒りっぽかったんですが、それも減りました。
――本作にはそんな想田さんの変化も表れていますか。
想田 表れていると思います。今までは何だかんだ言って、撮影中に事件や刺激を求める気持ちもありましたが、今回はそういう助平心はあまりなかったです。
――次回作はもう取りかかっていますか。
想田 全く取りかかっていません。もしかしたら、映画を作ることへの関心の比重が、僕の中で変わってきているかもしれないです。今、惹かれているのは仏教的な生き方です。瞑想仲間を増やそうと、瞑想の会も始めました。一緒に瞑想するだけなんですけど。
怒りからの解放はまだ修行途中
――あまり怒らなくなったそうですが、映画作家ですと「(作品作りに)怒りは必要だ」とか「もっと怒れ」と言われたりしませんか。
想田 しますね。でも、それは怒りに対して誤解があるからです。何かに対して怒りを持って強い態度を示すことが必要だと思われがちですが、怒りには必ず暴力性という副作用が伴います。「バーカ」と言われてムッとして「バーカ」、「バカ、バカ」と言われてさらにムッとして「バカ、バカ」と言い返すように、必ずエスカレートします。怒りを持っていると力が出るし、伝播しやすいから、社会運動をする時などに便利ですが、怒りを使わずに非暴力的、平和的に対処することが大事だと思っています。その方が社会運動もうまくいくと思います。
――怒りっぽくなくなって、ご家族は喜んでいますか。
想田 どうでしょう。実は今も夫婦ゲンカはしょっちゅうしているんです。理由は「何でここに物を置くのか」とか、くだらないことです。でも、一度ムカッとしても、自分のその怒りを平静に観察すると怒りは弱まってきます。怒りが弱まって、怒りによる支配から解放されれば、言い方を変えて言えたりするんですけどね。まだ修行途中ですね(笑)。
そうだ・かずひろ 1970年、栃木県生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科卒。台本やナレーションを用いない「観察映画」の手法でドキュメンタリー映画を作り続ける。主な作品に『選挙』『精神』『港町』など。フォトエッセイ「猫様」(ホーム社)も10月18日に発売。
『五香宮の猫』【イントロダクション】
瀬戸内の港町・牛窓。古くから親しまれてきた鎮守の社・五香宮(ごこうぐう)には参拝者だけでなく、さまざまな人々が訪れる。近年は多くの野良猫たちが住みついたことから「猫神社」とも呼ばれている。伝統的なコミュニティとその中心にある五香宮に、台本やナレーションを用いない独自の手法でドキュメンタリー映画を作り続ける想田和弘監督がカメラを向けた「観察映画」第10弾。
【ストーリー】
2021年1月、映画作家の想田和弘と妻でプロデューサーの柏木規与子は27年間暮らしたニューヨークを離れ、瀬戸内の港町・牛窓に移住した。新入りの住民で猫好きの2人は、地域が抱える猫の糞尿被害やTNR(不妊・去勢手術)活動、さらには超高齢化といった現実と関わっていく。
(井上 志津/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)
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