「ジュリアナ東京」はなぜ芝浦にあった? 巨大貨物列車の廃線跡が物語る晴海・芝浦エリアの“意外な一面”とは
文春オンライン / 2024年10月21日 6時10分
かつては倉庫街だった埋立地に現在はタワマンが屹立している
〈 タワマンが立ち並ぶ豊洲に突如現れる“地面に埋め込まれたレール”の正体は? 周囲には赤く錆びた鉄橋、茂みの中から貨物鉄道の痕跡が... 〉から続く
見上げるようなタワマン群が屹立する東京の湾岸、豊洲と晴海。子育て世代にも人気が高い豊洲・晴海エリアだが、かつてその付近には火力発電所や東京ガスの工場が立ち並び、両エリアは東京のエネルギー基地という「別の顔」を持っていた。
そして、その建物の合間を縫うようにかつてはレールが敷かれ、産業鉄道として高度経済成長期の東京の輸送を支えていた。現在は、目新しいショッピングモールやタワマンなどが立ち並ぶ両エリアで、埋もれた鉄路の跡と“倉庫街の豊洲・晴海”の面影を探しにいく。(全2回の2回目/ 最初から読む )
◆◆◆
戦後、工業地帯として発展していった埋立地
終戦直後、いまの東京湾岸部、東京港一帯はほぼ全域が連合軍に接収された。港を拠点に工業を発展させ、復興の足がかりにしたかった日本にとって、東京の海が使えないのは痛手も痛手。そこで、新たに豊洲の沖を埋め立てて、豊洲石炭埠頭を建設した。さらにその先も東京ガスや東京電力による埋立が続き、広大な工業地帯が生まれる。そして、1953年には貨物輸送を担う東京都港湾局専用線が開業し、工業地帯の豊洲を支えていた。
豊洲の交差点の南東側には、高層ビル群とは少し性質の違う町がある。豊洲で働く人たちのために設けられた住宅地や商業エリア。例のセブン-イレブンも、そうした場所に開かれた。工場で働く人が多い町からコンビニがはじまったというのも、興味深いところだ。
しかし、時代とともに豊洲の町からは、おおよそかつての工業地帯としての面影、そしてそこを走っていた専用鉄道の痕跡は、すっかり消えてしまった。1990年代には火力発電所や東京ガスの工場が姿を消して、入れ替わるようにして再開発が本格化。
1992年に豊洲センタービルが完成したのを皮切りに、段階的にいまの豊洲の町並みが形成されていった。そうした中で、専用線の痕跡を探すのが難しいのも、とうぜんなのだろう。
豊洲よりやや古い埋立地、晴海
ならば、晴海はどうか。豊洲から晴海橋梁を渡った専用線は、晴海に操車場を設けていた。晴海の接収解除によって1957年に晴海線が開業。セメントや小麦のサイロが並ぶ晴海埠頭に沿って専用線の線路が延び、その少し内側にいくつもの線路を並べる操車場。晴海もまた、工業色の強い島だった。
1931年に完成した晴海は、豊洲よりも少し古い埋立地だ。戦前には東京市庁舎を移転する計画、また皇紀2600年を記念した日本万国博覧会の会場とする計画などがあったが、いずれも実現していない。隣接する豊洲が工業化してゆくなかで、晴海も同様の役割を期待されるのはとうぜんの成り行きだった。
いまの晴海にも、専用線の跡はほぼ残っていない。ただ唯一、かつて操車場だった一帯は広大な空き地としてそのままだ。東京BRTの基地として使われているようだが、大部分は空き地のままだ。その周囲を囲む高層マンションは、およそ晴海も工業地帯だったとは思わせないそぶりである。
しかし、豊洲と比べればまだ、晴海は往年の面影が残っている。操車場跡の空き地から少し先に進むと、そこにはいくつか倉庫が並ぶ。
いまも往年の面影が点在する晴海だが……
晴海のシンボル・トリトンスクエアは、1950年代後半から1960年代にかけて建設された公団団地・晴海団地の跡地に整備されたものだ。晴海団地には10階建ての晴海高層団地もあり、のちのウォーターフロントタワマン群のハシリといってもいい。早い段階から住宅ゾーンと工業ゾーンが共存していたから、いまも往年の面影が点在しているのだろう。
といっても、そうした面影もまもなく消えてしまうのかもしれない。2020年頃にはもっと色濃かった晴海埠頭岸壁付近も、目下再開発の工事中。かつて、東京国際見本市会場(貿易センター)があった一帯は、巨大な煙突がシンボルの清掃工場、そしてオリンピックの選手村を経て晴海フラッグに衣替えを終えている。倉庫街・工業地帯としての晴海も虫の息、といったところだろうか。
ちなみに、1962年に鉄道開業90周年を記念して見本市会場で行われた鉄道博覧会では、専用線を会場まで一時的に延伸、越中島を経由して多数の現役車両が送り込まれて展示されていた。そうしたことができるのも、すべて専用線のおかげ、ひいてはウォーターフロントが工業地帯だったおかげであった。
ともあれ、専用線の痕跡は、越中島から豊洲までのエリアには当時を彷彿とさせる形で残っている。が、それが豊洲、晴海へと渡ってゆくと、晴海橋梁や地面に埋まったレールを除けば、完全といっていいほど消え失せてしまった。
巨大貨物駅の専用線が設けられていた日の出・芝浦エリアは
では、海を挟んだ向こう側、日の出・芝浦エリアはどうだろう。こちらにも、芝浦駅と汐留駅という巨大貨物駅を連絡するための専用線が設けられていた。その痕跡は、どれだけ残っているのだろうか。それを探すべく、豊洲からゆりかもめに乗ってお台場を一周、レインボーブリッジを渡って芝浦ふ頭駅で降りた。
かつての専用線は、ちょうどゆりかもめの高架に沿うように走っていた。専用線があるくらいだから、芝浦ふ頭から日の出、竹芝あたりまでは、まったくの倉庫街。日の出埠頭は1926年から運用を始めた、東京港で最も古い埠頭だ。1941年には芝浦にも埠頭が設けられている。
専用線が開業したのは、この間の1930年。新しい埠頭に接する芝浦駅が開業し、汐留貨物駅と芝浦駅を結ぶ目的で専用線が設けられた。
開設当初の日の出埠頭は関東大震災の復興物資の水揚場、芝浦埠頭は軍事目的の色が濃く、東京港が本格的な港湾として形を整えたのは戦後になってからだ。つまり、専用線は東京港の歴史とまったくともに歩んできたといっていい。
そんな芝浦、日の出、竹芝を歩く。日の出や竹芝はいまも旅客船のターミナルとしての機能を持つ。お台場路線のイメージが強いゆりかもめも、実はこれらの旅客船ターミナルへのアクセスを担っているというわけだ。芝浦と日の出の間の運河には、ゆりかもめよりもやや海沿いに専用線の橋台が残っていた。
すぐ脇には倉庫が並び、いまもこの一帯は倉庫街。ゆりかもめや首都高の高架をくぐって内陸に歩を進めても倉庫が目立つ。東京港の中心機能はより南の大井埠頭などに移り、このあたりもだいぶマンションなどに変わってはいるものの、まだまだ港湾都市・東京の一面はこの町に見ることができる。倉庫を眺めながらいくつか運河を渡ってゆけば、山手線の田町駅も近い。
80年代終わり専用線は姿を消し、時代はバブルへ
しかし、ここでも専用線の痕跡は薄れている。倉庫街があるだけ豊洲・晴海とはだいぶ印象は違うが、ここに線路が通って貨物駅があり、多くの貨車が行き交っていたなど、誰が想像できようか。しかし、東京・湾岸エリアの移り変わりの中では、避けて通ることのできない歴史の一幕である。
専用線は、1960年代をピークに徐々に輸送量を減らしてゆく。工業地帯・倉庫街としての役割の低下はもう少し先のこと。町の移り変わりは、まず鉄道が貨物輸送の主役から転落したところからはじまった。1985年には、豊洲物揚場線や芝浦線、日の出線が廃止される。1986年には深川線から豊洲埠頭に向かう路線が廃止され、最後に残った越中島から晴海への晴海線が1989年に廃止となって、東京・湾岸エリアの専用線はすべて姿を消している。
ちょうどその時代は、バブル景気の真っ只中だった。芝浦の倉庫街もバブルの余波が及び、倉庫を改装した大型ディスコ「芝浦ゴールド」が生まれている。かのジュリアナ東京も、芝浦の倉庫街のほど近く。倉庫街という武骨なエリアが、流行の発信地としての一面を持ち始めたのだ。
長く戦後の日本の復興と経済成長を支えてきた、東京の港湾部の変貌は、専用線の廃止とバブル景気によって促されたといっていい。ウォーターフロント、などという言葉が使われるようになったのも、この頃からだ。
タワーマンションが建ち並ぶなかに
豊洲、晴海、芝浦も、そして専用線も。東京と日本を支えた港湾部の営みは、1980年代後半からの四半世紀ですっかり姿を変えてしまった。せいぜい、芝浦にまだ残る倉庫街に面影を残すくらいだろうか。時代の移り変わりの中で、徒花のごとく消え去った東京港の専用線。もうもうと煤煙をあげながら貨車が走った町には、タワーマンションが建ち並ぶ。そうした劇的な変貌を生き残ったのが、最初に見つけた晴海橋梁なのだ。
晴海橋梁は、遊歩道として整備するための工事の最中だ。鉄道橋としては国内で初めてローゼ桁や連続PC桁を採用するなど、建築史においても高い価値を持っているという。もちろん、東京、ひいては日本の経済成長を支えた専用線があったことを伝える存在としての価値も小さくない。
いまのところ、2025年の夏頃には工事が終わる予定だ。そうなれば、ほとんど唯一といっていい、専用線の鉄橋を歩くことができるようになる。晴海橋梁が結んでいる豊洲も晴海も、見上げるほどの背の高い大きなビルが建ち並んでいる現代的なウォーターフロントである。
写真=鼠入昌史
(鼠入 昌史)
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