「快速急行 奈良」「準急 尼崎」…“近鉄奈良線の方向幕を回すだけ”の謎アプリが人気? “重度の鉄オタ”ならではの異様な作り込みとは
文春オンライン / 2024年10月25日 7時0分
実物の方向幕をNintendo Switchで再現するアプリ (筆者撮影)
電車の先頭に表示される「行先表示幕」を再現したアプリが、鉄道ファンの心にジワジワくる。趣味的におもしろく、再現度が高いので資料価値もある。そして、沿線の人々にとっては懐かしい。思い出を呼び起こすツールにもなっているようだ。
タイトルは「くるくる回そう!方向幕コレクション for Nintendo Switch(TM) -近畿日本鉄道編 part1 近鉄奈良線- 鉄道方向幕シミュレーター」だ。長い。しかもpart1とあるからには今後part2も出るはずで、近畿日本鉄道編と言うからには、今後は他の鉄道会社版も出す予定だという。公式Xによると第2弾は「西武新宿線」だ。11月7日に発売予定とのこと。
このアプリはゲームではない。電車の先頭車のデザインに、電車の行先と運行種別を表示するだけ。行先表示幕は「急行 ○○」や「各停 △△」など、電車に乗ったことがあるなら誰もが見ている表示器だ。これを見て、自分が乗るべき電車を確認するわけだ。電車にとってはアイデンティティである。
鉄道廃品の中でもっとも人気があるグッズの1つ「方向幕」
この行先表示は終点に着くとスライドして次の行先に変わるけれど、実は長いフィルム状になっていてモーターで巻き取っている。そしてお気づきかと思うけれども、この方向幕の時代が終りつつある。いまやほとんどの電車で、行先表示はLEDによる電光掲示になっているからだ。
新しい電車は始めからLEDだし、古い電車もリフォーム時にLED式に交換されてしまう。その結果として方向幕の役目は終り、廃棄される。状態の良いものは鉄道廃品市などで販売されることもあり、好事家がこぞって買っていく。具体的な役割があり、身近な駅名が出てくるから、鉄道廃品の中ではもっとも人気のある商品の1つだ。これを徹底的にリアルに再現したアプリが「くるくる回そう!方向幕コレクション」だ。
開発元は「カエルパンダ」という東京のゲームメーカー。ニンテンドーゲーム機向けのミニゲームや、3DダンジョンRPG『残月の鎖宮 -Labyrinth of Zangetsu-』の開発元でもある。社長の奥田覚氏は近鉄ファンで、重度の鉄オタともお見受けしたけれども、鉄道をビジネスにしてこなかったようだ。
奥田氏と私は、共通の友人の樋口浩路氏(パパイヤ電池開発)を介して知り合った。樋口氏はJR北海道の「流氷物語号×オホーツクに消ゆ」コラボで尽力してくれたスタッフだ。今年の3月、流氷物語号の運行が終ってすぐに樋口氏から「鉄道のアプリを作っている友人がいて、鉄道ライターの意見を聞きたいって」と連絡があった。
話を聞けば「Nintendo Switchで方向幕を作りたい。値段は1000円くらいで」という。正直「バカだなあ」と笑ってしまった。もちろん良い意味で。この笑いは軽蔑ではなく敬意だ。我が意を得たり、よくぞ考えてくださいました。きっとこのバカなノリをわかってくれる鉄道ファンはたくさんいるはず。なにより私がほしくなった。「やってください。すぐにやってください。どこかにマネされる前に!」とお願いした。
それから2カ月後、奥田氏から「近鉄さんが本物の方向幕を貸してくれました。見に来ませんか」とお誘いをいただいた。奥田氏によると、近鉄にライセンスしてほしいと電話したら、法人であれば対応できると言われ、企画書を送りサンプルを持参したところ、同席した数人の社員全員が面白がってくれたという。
つなげると通勤電車1両とほぼ同じ長さの20m!
方向幕の確認会の場所は都内の小さなスタジオだった。グラフィックデザイナーで鉄道のフォントに詳しい石川祐基氏も同席し、カレンダーの筒のような方向幕を次々に広げた。長い。
1つの行先のサイズはヨコ約64cm、タテ約24cm。それが82枚ぶんつながっていて、1ロールは余白を含めて約20mもある。通勤電車1両の長さとほぼ同じだ。こんなものが搭載されていたのか。全部広げられないので、両端を持って、少しずつスクロールして眺めた。
慎重にロールを広げ、行先や種別を眺める。大阪難波、京都、奈良、行ったことがある駅名を見つけると嬉しい。大和西大寺で盛り上がる。この駅は奈良線と京都線と橿原線が平面交差する駅で、線路が複雑に行き交い、線路好きにはたまらない場所だ。瓢箪山、生駒、新田辺、このあたりは沿線の人々にとって身近な駅名だ。
そして石川氏が、「これ、PCにはないフォントですね。写植だと思います」という。さすが「もじ鉄」を広めた石川氏の気付きだ。
そもそも方向幕はパソコンが普及する以前からあるもので、DTPのフォントは使われていない。当時の印刷は写植といって、文字をひとつずつ撮影してフィルムに焼き付けていく方法だ。しかし、この方向幕はひとつの写植フォントだけではなさそうだという。漢字のトメ、ハネの傾向が統一されていない。もしかしたら、職人が手書きした文字があるかもしれない。
たとえば、「高安」のローマ字部分「TAKAYASU」の「S」は、文字の端が水平だ。しかし、となりの「東山」の「HIGASHIYAMA」の「S」は、文字の端が45度で切れている。なぜ統一されなかったか。実は、方向幕はいったん完成してからも、少しずつ改変されていくという。行先を追加していくうちに枠が足りなくなったとき、使わない枠を消して、新たな行先を書く。そのときにフォントが変わる可能性がある。
フォントが明確に変わるところもある。近鉄線と阪神電鉄線を相互直通運転する電車方向幕は、近鉄線内で角ゴシック、阪神線内で字は丸ゴシックになる。同じ「三宮」でも、近鉄線内から向かう場合は角ゴシックを使い、阪神線内に相互乗り入れした電車が向かう場合は丸ゴシックだ。「相互直通の相手をリスペクトしているのだ」と感心した。いつも阪神や近鉄の電車に乗っている人はお気づきだろうか。
「本当に幕を回すだけで笑った」「ウチの6歳児が喜んでいます」
同じ行先と種別が並ぶところも興味深い。これは電車側面の方向幕と連動しているから。同じ行先でも、側面の表記に「この車両は○○まで」などの注釈があり異なる場合は、それぞれの側面に対応した正面方向幕がセットされる。方向幕界隈の深淵が見えた……。
奥田氏は、「行先と種別を実物どおりに、似ているフォントで作る」という方針では納得できなかった。愚直にも、ひとつひとつの種別と行先をすべて撮影して、ブラッシュアップして取り込んでいった。愚直のようでいて、しかしこれが最適な方法だった。
実物の方向幕の職人と、近鉄へのリスペクトをこめて、まじめに手間を掛けてデータを整えた。その結果、発売当初からネットで話題になり広まっていく。「本当に幕を回すだけで笑った」「思った以上に面白い」「かなりリアル」「ウチの6歳児が喜んでいます」「ひたすら見つめている」「車両を選べるのはアツい」などなど。
リアルだという声が多いけれど、実物を再現しているから当然だ。実物だからこそ、ふだん表示されない種別や行先の組み合わせもある。それを見つけて喜ぶ人がいて、事故などによる突発的な折返し運転に対応するためだろうと予測する人がいる。ただ実物どおりに作っただけなのに、宝探しのような発見と考察の面白さがある。
なかには「ああ、もう1つ先の駅に行ってくれたら帰れたんだよなあ」と、終電車の恨めしい思い出を語る人も。通勤だけではなく、通学で友達と乗ったり、デートで乗ったりした路線だとか、方向幕から連想する思い出がある。
「これを遊びたくてNintendo Switchを買った」という声もいくつかあった。ゲームに興味のない人がハードを買う現象もおもしろい。これを機会に、ニンテンドーSwitchの鉄道ゲームを楽しんでくれるかもしれない。
方向幕の作動音、ドアの開閉音も本物の電車で収録した本気度
方向幕の作動音も本物の電車で録音した。近鉄の協力で、大和西大寺の車庫に招かれて録音させてもらったという。方向幕だけではなくドア開閉音なども収録しており、これも鉄道ファンを唸らせている。なんだか、電車そのものを手に入れたような喜びようだ。
「近鉄さんは、弊社のような零細企業にも、本当に親切に対応してくださいました」と奥田氏は言う。鉄道ホビーグッズは鉄道会社が趣味を理解してくれないと商品化できない。そして理解が深いほど、情報を公開してくれて、良い商品ができあがる。第2弾を制作している西武鉄道もとても親切で、ほぼ新品の方向幕を貸してくれた上に、ふだんは公開していない保存車両の作動音も収録させてくれたという。これは期待大だ。
奥田氏によると、「近鉄は第2弾、第3弾も制作するつもりですが、商品としての2本目は関東の私鉄にします。将来はLED表示器も検討しますけれども、まずは消えゆく方向幕をデジタルでアーカイブしたいと考えています」とのこと。
公式サイトや公式Xアカウントには、商品化してほしい会社や路線の要望もたくさん寄せられているという。鉄道会社が歓迎してくれるほど、商品化の可能性が高まり、より充実した内容になる。若い人が遊ぶゲーム機向けだけに、鉄道会社のファンを増やすことにもつながるだろう。
値段も手頃だし、身近な路線の行先を表示して部屋のアクセサリーにしても良いかもしれない。10月22日のアップデートで、スクリーンセーバーのように自動的に行先を変更する機能が追加された。今後のラインアップが楽しみだ。
(杉山 淳一)
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