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「夜中にハンバーグが食べたくなった」…『探偵!ナイトスクープ』初代ディレクターが明かす西田敏行2代目局長“誕生秘話”

文春オンライン / 2024年10月20日 7時0分

「夜中にハンバーグが食べたくなった」…『探偵!ナイトスクープ』初代ディレクターが明かす西田敏行2代目局長“誕生秘話”

笑顔の西田局長 (「探偵!ナイトスクープ」公式Xより)

 10月17日、俳優の西田敏行さん(享年76)が亡くなった。西田さんと言えば、数々の映画やドラマで活躍する一方、人気バラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送)の2代目局長(2001年1月から19年11月)を務めていたことも有名だ。

 そんな人気番組の初代プロデューサーの松本修氏(74)が、西田さんとの思い出を語った。

◆◆◆

古くから「ナイトスクープ」の大ファンだった西田さん

 ナイトスクープは初代局長の上岡龍太郎さんを生かすために作った番組だったので、2代目を選ぶ際は本当に頭を悩ませました。

 ビートたけしさんや明石家さんまさん等、当時のお笑い界のトップにいた芸人の起用も考えましたが、番組の収録は大阪で行うため、東京でレギュラー番組をたくさん持っている人は、スケジュールの調整がなかなか難しい。

 そんなとき、一人のディレクターが「西田敏行さんはどうですか?」と提案してきたのです。彼によると以前、ゲストの方が、ナイトスクープに出ようか断ろうか凄く迷っていたときに、西田さんに相談したそうなんです。

 そうしたら西田さんが「きみ、絶対に出るべきだよ! あの番組は日本で一番素晴らしいバラエティ番組なんだ」って。それを聞いて、番組に出ることに決めたんだそうです。

 どうやら西田さんは、古くからナイトスクープの大ファンで、当時、東京では深夜2時半からの放送だったにも関わらず、毎週夜更かしをして番組を見てくれていた。それを聞いて僕らは「西田さんが局長なら新たなナイトスクープが作れるかもしれない」と思い、お願いしてみることにしました。

 西田さんと初めて会ったのは、あるホテルの一室。僕らは過去のナイトスクープのビデオを10本くらい持参して、それらを西田さんに見てもらうことにしました。すると西田さんは「これ知ってる!」「これ、見た!」「これも大好き!」と言って大喜び。

 そして、こんなエピソードも披露してくれました。

深夜に「いますぐハンバーグ買ってきてくれ!」と弟子に...

「いつだったかとても美味しそうなハンバーグを紹介する回があったでしょ。それを見ていたらいてもたってもいられなくなって、弟子に『いますぐハンバーグ買ってきてくれ!』ってお願いしちゃった。でも、深夜だからハンバーグ屋なんてやっているわけがない。弟子も頭を抱えちゃってましたね(笑)」

 そういった話をする中で、意を決して僕が「西田さん、是非2代目の局長をやって頂けないでしょうか?」と頭を下げたのです。そうすると西田さんは真剣な顔になってこう言いました。

「私は今までファンとしてずっと番組を見ていましたが、まさか自分が局長になるとは考えてもいませんでした。でも、そうおっしゃって頂けるなら非常に光栄です。ぜひやらせて下さい」

2代目西田局長の“全肯定スタイル”

 こうして2代目西田局長が誕生したのです。

 でも、さすがの西田さんでも初回の収録はものすごく緊張されていたように見えました。固い表情が多くて全然笑ってくれず、スタジオの空気も凍り付いたまま。一部の視聴者は「この先大丈夫だろうか」と不安になったかと思います。 

 ところが、2回目以降の収録は、ガラッと変わって西田節が満載。初代局長の上岡さんが皮肉をきかせて視聴者を笑わせるのに比べ、西田さんはVTRに登場するちょっとおかしな人物たちを「いいね~」「この人すごいねぇ」などと全肯定していくのです。

 この姿勢は、探偵たちに対しても同様で、「よくやった!」「あなたのやったことは人間愛に溢れているよ!」と大絶賛していく。西田さんのスタイルは、人情味に溢れていて、すぐに評判になりました。

西田局長の涙

 番組を見ていただいている方にはお馴染みなのが、西田局長の涙。毎回西田さんがVTRを見て涙を流すのがお決まりのようになっていきましたが、実は、最初の頃はそんなに泣かなかった。VTRが10本あれば、そのうち泣くのは1本くらい。

 ところが、涙を流すことが彼の性分に合っていたのか、そのうちどんどん泣くようになっていった(笑)。別に感動的なVTRじゃなくても涙を流すので、正直「この人は一体どこに反応して泣いてんのかな?」と不思議に思うこともありました。

 でも、そのうちツボが分かってきたんです。

 西田さんは、人の純粋な気持ちに触れると涙を流すんだな、と。これは西田さん自身がピュアな心を持っているからこそ。西田さんは、“泣きの小金治”といわれた落語家の桂小金治以来の「泣き」人情をお茶の間に届けるスタイルを確立したのです。

 西田さんの涙のおかげもあって、ナイトスクープは上岡さんの時代とはひと味違う新しい人気番組に生まれ変わることが出来ました。

 番組の最後の方の収録では、病気をされたこともあってスタジオに上がる際はステッキをついていましたが、それでも毎回元気に収録に臨んでくれました。

「ナイトスクープ」卒業に際して西田さんは...

 そして、2019年11月に番組を卒業。お別れパーティーの際、西田さんは僕にこう言いました。

「長い間、本当にいい経験、楽しい思いをさせてくれてありがとうございました」

 本当は、事務所としてはナイトスクープの仕事は4、5年くらいで辞めさせたかったそうです。映画やドラマに引っ張りだこの西田さんにとって、隔週金曜日に大阪まで来て収録をするのは、スケジュール的にとても大変だったはず。

 でも、18年もの間、局長として大活躍。西田さんにとっては、ナイトスクープで局長をやることが元気の源だったようです。

 お別れ会で話をして以来、お会いできないまま亡くなられてしまいましたが、西田さん、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

(「週刊文春」編集部/週刊文春Webオリジナル)

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