1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「処置に困っています」地下鉄サリン事件発生直後、被害者が次々に運び込まれ…病院からの切迫した“電話の内容”

文春オンライン / 2024年10月26日 6時0分

「処置に困っています」地下鉄サリン事件発生直後、被害者が次々に運び込まれ…病院からの切迫した“電話の内容”

写真はイメージ ©iStock.com

〈 地下鉄サリン事件の朝の“一部始終”「痙攣を起こしていたり、泡を吹いたり…」「瞳孔がピンホールのように小さい」 〉から続く

 猛毒サリンを使った無差別テロ「地下鉄サリン事件」からおよそ30年。『 警視庁科学捜査官 』(文春文庫)より一部を抜粋。著者で科捜研研究員だった服藤恵三氏が取材を受けたNHK「オウム VS. 科捜研 ~地下鉄サリン事件 世紀の逮捕劇~」(新プロジェクトX〜挑戦者たち〜)が10月26日に放送される。本書ではオウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)逮捕のためサリン製造の全容解明に尽力した知られざるドラマに迫る。(全4回の2回目/ #3 に続く)

◆ ◆ ◆

病院からの切迫した電話

 何よりも、被害者への対応を急がなければいけない。早く現場に知らせないと、被害者の数がどんどん増えてしまう。医療現場にも情報を開示しなければ、緊急処置や初期治療に誤りを生じる恐れがある。

 部屋に戻って検査結果のメモを作成し、急いで報告しようと所長室へ向かった。廊下を小走りしているとエレベータの扉が開き、管理官が出てきた。

「管理官、サリンを検出しました」

 それに対する言葉はなく、「どこに行くんだ?」と訊かれた。

「所長のところへ報告に行くところです」

「ちょっと待て。俺が行く」

 そこでメモを渡したが、管理官は所長室に向かわず、鑑定室へ戻って行く。

「早く報告したほうがいいと思います」

「待て。霞ケ関駅から採取した資料を、これから検査させる。その結果と併せて報告する」

「異同の可能性も大事ですが、まずは一報を入れないと、現場の被害が拡大すると思います」

 すると突然、「ガツガツするな!」と怒鳴られた。

 2つ目の資料の検査を部下が行なっている間、テレビのニュースを見ていると、消防庁からの情報として「現場に撒かれた毒物はアセトニトリルらしい」との報道があり、毒物の専門家がコメントを始めていた。

「これはまずい。ミスリードになってしまう」

 何とも言えないイライラと、抑えられない感情が湧いた。

 卓上の電話が鳴ったのは、午前10時少し前だった。交換手は「自衛隊中央病院から外線で、科捜研の毒物担当者を指定している」と告げた。代わってもらうと、電話をかけてきたのは医官だった。

「現場と被害者の状況をテレビで見ていますが、サリンの症状に似ていると思います」

 驚いた。自衛隊は凄いと改めて思った。とっさに、

「いま、その可能性も含めて検査しています。ありがとうございます」

 と答えた。また電話が鳴った。交換手が「110番通報がたくさん来て困っているので、専門的な内容はこちらに繋いでもいいか」と訊いてきた。

被害者が次々に運び込まれ…「処置に困っています」

「いいです。こちらで対応します」

 と答えて繋いでもらうと、今度は聖路加国際病院の医師だった。被害者が次々に運び込まれて大変な状況が、背後の音声で伝わってきた。

「原因の物質が何か、わかっていたら教えてください。処置に困っています」

 人の命がかかっている。責任は自分で負うと決めた。

「縮瞳は起きてますか」

「起きてます」

「有機リン系の毒物として対応してください。PAM、アトロピンはありますか。二次被害にも気をつけてください」

 PAMもアトロピンも、有機リン剤中毒の解毒剤だ。サリンだとはっきり言えないが、感じ取ってくれればと祈った。落ち着かない気持ちで手の空いていた自分が、これらの問い合わせに対応できたことは、逆に幸運に思った。

科捜研ではその後の鑑定をストップ

 2つ目の検査結果が出て報告の準備が整ったときは、ゆうに10時を過ぎていた。警視総監の下、緊急会議が10時から始まっており、報告はすでに後手に回っていた。

 11時、寺尾正大捜査一課長の記者会見で、築地駅構内の車両の床面から採取した物質がサリンであることが広報された。

 科捜研では危険性を考慮して、その後の鑑定はストップとなった。それでも資料は持ち込まれる。床の液体を拭き取ったモップやちり取り、衣類などさまざまだった。これらは屋上のプレハブに移して密閉後保管し、不要なものはアルカリで分解・除染した。

 午後になっても鑑定室は混乱していたが、私の頭の中は整理がついていた。将来の公判を考えたとき、現場などからサリンは検出しているが、その被害を受けたという事実をどう証明すればよいのかと考えた。解剖所見は得られるし、状況証拠も得られる。しかし、体内から物質として証明することも考えておくべきではないだろうか。

 自分の判断で、庶務担当管理官に進言した。

「刑事部長至急電報を打ってください。証拠として重要になるかもしれませんので、『被害者の血液などが医療行為で確保できているものは、科捜研に持ち込んでください』と。ただし、その目的のための採血はしないように、注意書きをお願いします。

 もう一点。被害者の着衣やその他の二次被害についても、注意喚起するように広報していただきたい」

「よし、わかった」

 と、庶務担当管理官は対応してくれた。速やかに各署に電発され、二次被害については捜査一課長が会見で話すことになった。

わずか29分でサリンを同定できた理由

 科警研の研究員も、科捜研に顔を出し始めた。

「服藤さん。サリンの鑑定、ずいぶん早かったね」

 毒物の研究で親しかった、主任研究官の瀬戸康雄技官から声をかけられた。先に述べた通り、前年6月の松本サリン事件で使用毒物の特定に手間がかかった経緯から、備えをしていたためだった。

 平成2年に警視庁管内で、化学剤のイペリットを使用する事件が発生した。製薬会社の研究所に勤める26歳の男が、交際相手の女子大生がほかの男性とも付き合っていたことに腹を立て、彼女のマンションや実家の門扉の取っ手、郵便受けなどにイペリットを塗りつけ、家族に火傷を負わせたという事件だ。その臭いからマスタードガスとも呼ばれ、国際法で使用が禁じられているイペリットは、この男が自作したもの。日本国内で化学兵器が使われたのは、これが初めてだった。

 その鑑定のときにはデジタルのライブラリなどなく、印刷された分析チャートを片手にデータ集とにらめっこだった。鑑定資料からはタマネギの腐ったような臭いがしていたが気にも留めずに扱っていて、イペリットらしいとわかってから大騒ぎになった。慌てて資料を密閉保管し、実験台の隅々までアルカリ除染して、身体も丁寧に洗ったことを今でも覚えている。

 ちょうど1年前、私が所属していた科捜研第二化学科では、関連分析機器を更新した。兵器として使用される化学剤を含む多くの物質の分析データがライブラリに入っていて、分析と同時に自動的に検索できるアメリカ製の機器を導入していたのだ。わずか29分でサリンを同定できたのは、そのおかげもあった。

〈 「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」「最高だった」化学兵器サリンを生成した男が語ったこと 〉へ続く

(服藤 恵三/文春文庫)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください