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「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」「最高だった」化学兵器サリンを生成した男が語ったこと

文春オンライン / 2024年10月26日 6時0分

「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」「最高だった」化学兵器サリンを生成した男が語ったこと

松本智津夫元死刑(麻原彰晃) ©EPA=時事

〈 「処置に困っています」地下鉄サリン事件発生直後、被害者が次々に運び込まれ…病院からの切迫した“電話の内容” 〉から続く

 猛毒サリンを使った無差別テロ「地下鉄サリン事件」からおよそ30年。『 警視庁科学捜査官 』(文春文庫)より一部を抜粋。著者で科捜研研究員だった服藤恵三氏が取材を受けたNHK「オウム VS. 科捜研 ~地下鉄サリン事件 世紀の逮捕劇~」(新プロジェクトX〜挑戦者たち〜)が10月26日に放送される。本書ではオウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)逮捕のためサリン製造の全容解明に尽力した知られざるドラマに迫る。(全4回の3回目/ #4 に続く)

◆ ◆ ◆

「誰か、オウムの組織がわかるやつはいないかな」

 連日、分析・報告・相談に追われながら、捜査一課長室を拠点に活動していた。帰宅は深夜の3時4時になった。それまでの分析結果をまとめて「サリン生成に関する証拠の分析結果について」を作成したのは、4月17日だった。

 その直後の午前0時過ぎ、いつものように刑事部長室で石川部長に報告をしていると、寺尾一課長が加わった。この頃になると、刑事部長室で3人で話す機会が多くなっていた。一課長が部長に向かって、そろそろサリン関連の令状請求準備にかからなければいけないと言うと、

「誰か、オウムの組織がわかるやつはいないかな」と部長。

「全体がわかる者はいませんね」と一課長。

「あのぉ。それって、麻原の下に科学技術省大臣の村井秀夫や建設省大臣の早川紀代秀がいて、村井の下に次官のWやTがいる、というような組織図ですか」と私。

「ハラさん(寺尾一課長は、私のことを「ハラさん」と呼ぶようになっていた)、それわかるのか」

「服藤君、どうしてわかるんだ」

 驚いたように、2人から同時に訊かれた。

「私は捜査のことはわからないし内容も聞いていませんが、科学的な部分だけ読み込んでいても、それぐらいはわかります」

 実験ノートやフロッピーディスク、信者の手帳類、科学的な内容が記載されている箇所だけのコピーでも、読んでいると「誰に報告」「誰に指示」など、上下関係が自ずと見えてくる。登場する人物名は、ホーリーネームも併せて全部覚えてしまっていた。

 登場人物がさらに増えてきたので、プラントやサリン、禁制薬物など、各人が何をやっていたか証明できるものは全てコピーを取り、整理していた。その分量は、すでに風呂敷ひと包み以上になっている。

「ハラさん。悪いけど、それまとめてくれませんか」

 一課長から頼まれた。科学的な内容における繋がりしか掴めなかったが、後に令状を請求する段階で、各容疑者を担当する捜査員にこれらを説明することになる。地検でも同様だった。

 4月28日の朝だった。一課長から、

「土谷に会ってきてくれませんか」

 と言われた。第二厚生省大臣の土谷正実。「クシティガルバ棟」の主である。一昨日、第2サティアンの地下隠し部屋で逮捕されていたが、何もしゃべらないらしい。

「科学の話でもしてきてください」

「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」「最高だった」

 しばらくすると、新橋の分析センターでデスクを務める小山金七係長から電話がかかってきた。別名「落としの金七」。寺尾一課長が丸の内署の刑事課長だった時代に右腕として働き、数々の指名手配犯を検挙している。その金七さんからのアドバイスだった。

「服藤先生。土谷に会うんですって? いつですか」

 捜査員が科捜研の研究員を「先生」と呼ぶのは、慣例となっていた。

「今日の夕方です」

「時間がないですね。先生の場合は取り調べではないので、土谷の学生時代や研究のことなど調べておいたほうがいいと思います」

 と言って、ポイントを教えてくれた。土谷は、都立高校から一浪して筑波大学農林学類に入学。大学院の化学研究科へ進んで、有機物理化学を専攻している。すぐに筑波大学大学院の研究室に電話し、在学当時の研究内容や文献を手に入れた。

「築地署に行ったら、サングラス風の眼鏡をかけてパンチパーマのヤクザみたいな、大峯というのがいますから」

 と、寺尾一課長から言われていた。午後6時頃に築地署へ赴き、担当の大峯泰廣係長を訪ねると、本当にヤクザのような風貌だった。直ぐに土谷と対面。大峯係長が私を紹介してからも、黙秘は続いた。大峯係長は土谷に言った。

「ここにいる人は偉い先生なんだぞ。お前のやってることなんか、全部わかってるんだからな。黙っててもダメだから。さっさとしゃべっちまえよ」

 土谷は何も話さず、目を瞑っている。

「2人きりにしてくれませんか」

 と頼み、大峯係長と取り調べ補助担当に退室してもらった。

 土谷は大学院で、光による有機化合物の化学反応などを研究していた。詳細はよく理解できないが、応用範囲は広そうに感じた。研究室のことや内容に関する質問から、淡々と始めていった。

「面白い研究してたんだね」

 そのうち目を開けて、ジッとこちらを見ながら話を聞くようになった。そして、簡単な答えから自然にしゃべり始めた。

「大学院時代の研究は目標が見えなくて、ただただ日々を過ごしていた。このままでいいのかと、いつも思ってた」

「残って頑張れば、教授にもなれたんじゃないの?」

 大きく首を振って「僕なんか無理ですよ」と言う。

「博士課程にも進んだけど、教授になれるほどの能力もないし、挫折しかかってた」

 能力はあったのに、コンプレックスも持ち合わせていたのかと感じた。しばらくの間、このようなやりとりをしてから、

「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」

「最高だった」

「どんなところがよかったの?」

「何でも好きな研究をさせてくれた」

「君の研究室を見てきたよ。いろんな機械があったね。ガスマスや、高性能のIR(赤外線分光分析装置)もあったね」

「お金はいくらでも出してくれました。高性能のものを揃えてました」

「コンタラボあったね。あれは何に使うの?」

「自動的に有機合成する機械で、まだ実験中だった」

「私は学生時代は分析化学が専門だったから、あんなの見たことないよ」

3人になると土谷はサリンについて徐々に…

 このとき、取り調べ補助が部屋に入ってきた。話の内容がオウムでの研究に及んだので、記録を取るためだと思った。

「実験棟の入り口にあった反応タンク、凄いね」

「あぁ、あれね」

 明らかに、態度が硬化したのがわかった。話は途切れがちになった。

「サリンの文献があったけど、サリンの研究もやってたの?」

 と尋ね始めると、だんだん答えなくなっていく。

「実験ノートを見せてもらったんだけどね」

「………」

「沸点と融点の測定データが書かれてて、その数値がサリンのものと一致するんだけど」

 などと話しかけたが、完全黙秘になっていった。そして最初のように、目を瞑ってしまった。記録係はまた部屋から出て、2人きりになった。

〈 オウム真理教の「土谷が落ちましたよ」化学兵器サリンを生成した男が自供した“驚きの理由” 〉へ続く

(服藤 恵三/文春文庫)

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