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オウム真理教の「土谷が落ちましたよ」化学兵器サリンを生成した男が自供した“驚きの理由”

文春オンライン / 2024年10月26日 6時0分

オウム真理教の「土谷が落ちましたよ」化学兵器サリンを生成した男が自供した“驚きの理由”

松本智津夫元死刑(麻原彰晃) ©SPUTNIK/時事通信フォト

〈 「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」「最高だった」化学兵器サリンを生成した男が語ったこと 〉から続く

 猛毒サリンを使った無差別テロ「地下鉄サリン事件」からおよそ30年。『 警視庁科学捜査官 』(文春文庫)より一部を抜粋。著者で科捜研研究員だった服藤恵三氏が取材を受けたNHK「オウム VS. 科捜研 ~地下鉄サリン事件 世紀の逮捕劇~」(新プロジェクトX〜挑戦者たち〜)が10月26日に放送される。本書ではオウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)逮捕のためサリン製造の全容解明に尽力した知られざるドラマに迫る。(全4回の4回目/ #1 、 #2 、 #3 より続く)

◆ ◆ ◆

化学兵器サリンを生成した土谷正実

 そこで、用意していた白紙の束を机に出し、無言のままゆっくりと、サリン生成の工程や実験ノートに記録されていた反応式などを書いていった。全て記憶していたので、その作業を淡々と続けた。

 しばらく続けると土谷は目を開け、反応式や科学データを気にし始めた。そして、ある反応式を書き始めたとき、その過程をじっと目で追っていた。私が書き終えた式を見つめながら身体を起こし、もう一度見入ってから天井を見上げたりしていた。

 この式は、表紙に「ウパヴァーナ」と記載されたノートに書かれていたもので、ウパヴァーナとは、サリンプラントの建設責任者だったTのホーリーネームだ。Tが土谷からサリンについて教示を受けながらメモしたのがこの反応式だったことが、後にわかった。

 それは、文献では見つからなかった反応で、原料の中に四塩化ケイ素があり、中間生成物もガスが主体で反応が進んでいく、非常に特殊な式だった。しかし私は、クシティガルバ棟の冷蔵庫で四塩化ケイ素の褐色薬品瓶を現認していたので、合成実験を行なっていたという確信をすでに持っていた。

 自分で考えた合成法だから「なぜ知っているのか」と、土谷はいぶかしく思ったのかもしれない。押収資料を科学的に深く読み込んでいなければ理解できないし、まず目に留まらない内容だったからだ。

 土谷は、しばらくすると椅子から腰を上げ、記載した内容全てを覗き込むように見入り始めた。見ては腰を下ろし、目を瞑って天を仰ぐ仕草を繰り返した。その後しばらくして、身体を前後左右に揺らす仕草が加わった。見ると手や指が小刻みに震えている。動揺している様子が、取り調べに素人の私でも見て取れた。

 ここで大峯係長が入室し、私は退室するように促された。トイレに向かったが、なかなか尿が出ない。自分では気付かなかったが、極度に緊張していたのだ。すでに午前0時を回っていた。感覚では1時間ぐらいだったが、5時間以上も2人きりで話をし、延々と反応式を書いていたことになる。

「土谷が落ちましたよ」

 翌日、大峯係長から電話があった。

「土谷が『先生に会いたい。話がある』と言っているんで、来てもらえませんか」

 しかしその日は余裕がなく、そのままになってしまった。5月11日になって、寺尾一課長が言った。

「土谷が落ちましたよ。『警視庁には凄い人がいる。私がやったことはみんなわかってるんだったら、黙っていてもしょうがない』と言って、喋り始めました」

 土谷は、ウパヴァーナのノートに書かれた反応式について、

「自分で考えて合成してみた。サリンは出来たが、収率が悪くて中間生成物もガスで取り扱いにくかったので、不採用にした。大した内容ではないが、そこまで解明しているのかと思った」

 と語ったという。その日以降、寺尾一課長を経由して、毎日のように土谷の手書き資料が届き始めた。初めは、クシティガルバ棟の見取図。次が、サリン生成の反応式だった。押収資料からすでに解明していた反応式を、土谷が自供して初めて示されたものとして見ているのが、奇妙な感じがした。自分の解析が正解かどうか、答え合わせをしている気分だった。そして、その答えはすべて一致した。

 土谷はさまざまな犯罪の謀議や、現場の実行部隊に参加したことがない。興味もなかったと思われる。科学の知識、すなわち反応式とそれに付随する専門的知識が、彼の自供のすべてだった。自供は、地下鉄で使われたサリンの反応式や生成方法に移っていく。メチルホスホン酸ジフルオライドから生成する最終工程のみで、第7サティアンのプラントとは別の反応式だった。

 土谷の凄いところは、実験器具や装置の設置図まで、記憶だけで詳細に書き示したことだ。取調官は、三ツ口フラスコや滴下ロート、オイルバスやマントルヒーター辺りはまだついて行けるかもしれないが、ジムロート冷却管や分留管、リービッヒ冷却器、さらにアスピレーターやエバポレーターに至っては、何をしゃべっているのか見当もつかないと思われた。ましてや核心部分は、聞いたこともない化学物質名のオンパレードで、それらの有機合成反応式だらけだ。

供述が記憶違いやウソでも…

 ほかの容疑者の自供内容についても、同様だ。科学的な内容を理解できる取調官はほとんどいないと思われ、供述が記憶違いやウソでも、気付くことができない。一歩進んで、被疑者が科学的に不可能な内容をわざと自供し、それを採用してしまえば、裁判で不能犯となってしまい立証ができない。自供内容には、科学的な裏付けが不可欠だった。

 オウム真理教の科学技術省次官だったWという幹部がいた。東京工業大学出身で、サリンプラント第4工程の責任者だった。

「すみません。嘘をついていました」

 第3工程で生成したメチルホスホン酸ジクロライドから、サリンの直接的な原料となるメチルホスホン酸ジフルオライドを生成するのが第4工程だ。Wは反応タンクを作ったことを認め、原料の投入方法なども全て図に描いていた。その図では、反応タンク下部にある配管を経由して、生成物がその下のタンクへ落ちるようになっていたが、これが虚偽だった。

 プラントでは、生成したジフルオライドを加熱装置で気化させ、タンク上部の冷却装置で液体として回収し、最終第5工程へ運ぶ構造になっていることを、私は現地で確認していた。Wの図にある底部のタンクは、副生成物のNaCl、つまり塩を貯める場所なのだ。自供のままでは、メチルホスホン酸ジフルオライドは生成できないことになってしまう。

 私はWに会い、図と反応式を示して尋ねた。

「ここに溜まるのは塩じゃないの?」

「いっ。いや、違いますよ」

 そう答えながら、どぎまぎとし始めた様子が感じ取れた。底部のタンクはプラスチック製で、上の配管との間に隙間もある。ジフルオライドはすでに有毒で、空気中の水分にも反応してしまうのだ。

「このポリタンクに入れたら分解してしまうし、危ないでしょう」

 と指摘すると、Wは黙ってしまった。

「気化させて蒸留して、タンク上部の冷却装置で回収するんじゃないの? サンプリングして調べたら、そこからジフルオライドの分解物が出てきたよ」

 科学的事実を一つ一つ指摘すると、もう何も喋らなくなってしまった。

 翌日。

「すみません。嘘をついていました」

 と取調官に事実を自供し始めた。

なぜ化学者が闇に魅かれたのか?

 土谷は、供述内容を私が確認していることを聞かされていた。いつからか、調べ官を介してキャッチボールをしているようになった。それを強く感じたのは、VXの生成反応式が届いたときだ。中間生成物の一部に「カルバミミドイル」という表現が出てくるが、私は当初、違う名称を使っていた。

「そういう言い方はありますが、有機合成をする者は使わない」

 と土谷が言っているという。調べてみると、彼が正しかった。土谷は結局、サリン、VX、イペリットなどの化学兵器、RDXやHMXなどの爆薬、覚せい剤、LSD、メスカリンなどの禁制薬物、その他オウム真理教の製造した化学物質のほとんどすべてを合成し、その方法を確立していた。

 土谷は、私とのキャッチボールを楽しんでいるように感じた。今どのように考えているのか。なぜ化学者が闇に魅かれたのか。確認したいことや聞きたいことが、本当はたくさんあった。

(服藤 恵三/文春文庫)

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