「三途の川が見えた」喋ることも食べることもできない…余命わずかの森永卓郎(67)が直面した「慣れないがん治療の辛さ」→「それでも復活できた理由」
文春オンライン / 2024年10月24日 11時0分
がん治療を始めた森永卓郎さんに起きた異変とは? 写真はイメージ ©getty
〈 体重89キロ→69キロに激ヤセ…森永卓郎(67)が医者から「来年の桜は見られない」と“余命宣告”を受けた理由 〉から続く
2023年に医師から余命宣告を受けた森永卓郎さん。慣れないがん治療のなかで、直面したトラブルの数々とは? そして、なぜ不自由な状態から復活できたのか? 新刊『 身辺整理 死ぬまでにやること 』(興陽館)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)
◆◆◆
このまま自分は死ぬんだな
医師の指示で、とりあえず詳しい検査をすることになった。
PET検査(がん細胞が多くのブドウ糖を取り込む性質を利用し、放射性のフッ素を添加したブドウ糖を体内に入れると、全身のどこにがんがあるのかが分かる検査)の結果、胃と膵臓だけに反応がみられた。
胃の反応のほうが強かったので、まず内視鏡で観察するだけでなく、組織を採取して、徹底的に検査したが、がん細胞はまったく出てこなかった。
そこで膵臓がんの可能性が濃厚になり、膵臓を超音波内視鏡で徹底的に調べたが、病変はまったくみられなかった。
胃と膵臓しか候補がないのにどちらでもないとなると、どういう判断が下されるのだろうと思っていたのだが、主治医の見解は「膵臓がんでしょう。膵臓のどこかにがんが隠れているとしか思えない」というものだった。
私は、その診断が納得できなかった。膵臓には何の病変もみられなかっただけでなく、膵臓がんに反応する腫瘍マーカーも正常値だったからだ。
そこで、東京の順天堂大学に出向いて、がんの画像診断の名医に、画像とデータをみてもらった。
セカンドオピニオンを求めたのだが、順天堂大学の医師も、「膵臓がんステージⅣ」という、まったく同じ見立てだった。
それでも納得がいかず、国立がん研究センターでサードオピニオンを求めたが、結果は同じで「膵臓がんステージⅣ」だという。
がんのプロである3人の医師が口をそろえて同じ見解を述べるのだから、これはもう膵臓がんなのだろうと受け入れざるを得なくなった。それが2023年12月のことだ。
だから、私はがん宣告を受けた時期を聞かれると、2023年12月と答えている。
私は膵臓にがんが隠れていることを前提に、膵臓がんを標的にした抗がん剤治療を受けた。年の瀬が迫る12月27日のことだった。
その日、私はいつもどおり午前中にニッポン放送の『垣花正 あなたとハッピー!』の生放送に出演し、その足で電車を利用して抗がん剤治療を受けるべく近所の病院へ向かった。その時までは、すこぶる元気だったのだ。
病院で点滴投与を受けたのは「ゲムシタビン」と「アブラキサン」という2種類の抗がん剤だ。
事前に主治医から「アブラキサン」は副作用が強く、毛が抜け落ちる可能性が高い、ほとんどの人が吐き気に襲われると説明を受けたが、私はすでに毛は薄くなっていたし、我慢強い質なので吐き気も乗り越えられるだろうと楽観的にとらえていた。実際、点滴投与を終えた時点ではなんともなかった。しかしその翌日、容態が急変した。
想像を絶するほど気分が悪くなり、食欲はたちどころに失せた。
驚くほどの速さで生気がなくなり、立っていることもままならない。
横たわっても自分が刻一刻と衰弱しているのがわかった。最悪だったのは2日後の29日だった。寝込んでから苺を3粒口にしただけの体は弱り切っていて、喋ることさえできなくなっていた。
そればかりか思考能力が失せ、家族の質問に対して一応は「うん」とか「はい」とか答えていたようだが、その実、頭は働いていなかった。
ただ人生の中で初めて「このまま死ぬんだな」と思ったことだけは覚えている。
正直な話、三途の川がくっきり見えたのだ。
どうしても半年は生きたい!
死の淵から救ってくれたのは一種の「気つけ薬」だった。
話は少し遡るが抗がん剤を投与した日の午前中に出演した『垣花正 あなたとハッピー!』の冒頭で、リスナーに膵臓がんステージⅣであることを報告した。
私のもとへは普段から毎日100通を超えるメールが届いていたのだが、がんの報告をして以降、届くメールの数が爆発的に増えた。
励ましと共に、がんの治療法について、とてつもない種類の情報が寄せられたのだ。
私はベッドで朦朧としていたので対応していたのは妻とマネージャーだったのだが、寄せられた情報の中に、これは信憑性がありそうだと判断できるものがあり、一か八か、それに賭けてみようということになった。
患者が殺到すると対処しきれないという事情から、クリニックの名前も薬の名称も明かせないので、ここでは「気つけ薬」を点滴したと記しておく。
「気つけ薬」の効果は…
膵臓がん用の抗がん剤は絶望的に私の体質に合わなかったが、気つけ薬のほうは奇跡的に大当たりだった。点滴を受ける前は意識が朦朧としていたのだが、翌日の朝には思考能力が回復し、喋ることもできるようになった。
ただ、私は直後から東京の総合病院に2週間の入院をすることになった。がん治療のためではない。
抗がん剤でボロボロになってしまった体を、治療に耐えられるところまで回復させるのが目的だった。
その病室で次男に口述筆記をしてもらい、『書いてはいけない』は完成することができた。ただ気力が戻り、思考に余裕が生まれたのか、やっておきたいことが次々と頭に浮かんできた。
優先順位の一位は獨協大学経済学部の教授としての責任を果たしたいというものだ。獨協大学経済学部では、1年生の秋にゼミ生の選抜が行われる。
森永ゼミも、すでに選抜を終えていたが、ゼミが始まるのは2年生になった4月からだ。だから、その時点では、森永ゼミの新入生には、私は一度も授業をしていなかった。
「すでに仲間入りした新入生を放り出すわけにはいかない」と私は考えたのだ。
しかしゼミ生にモリタクイズムを叩きこむのには少なくとも半年はかかる。とにかく半年は生きてゼミの活動を続けたいと、強く思ったのだ。
(森永 卓郎/Webオリジナル(外部転載))
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