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ギャンブル漬けの“売れないグラドル”→運動経験ナシでいきなり競輪選手に転身…日野未来(31)の“勝負師”人生「あぶく銭は全部使ってました(笑)」

文春オンライン / 2024年12月22日 11時0分

ギャンブル漬けの“売れないグラドル”→運動経験ナシでいきなり競輪選手に転身…日野未来(31)の“勝負師”人生「あぶく銭は全部使ってました(笑)」

日野未来さん ©佐藤亘/文藝春秋

 女性競輪「ガールズケイリン」の選手として活躍する日野未来さん(31)。グラビアアイドルから競輪選手へと転身した異端児だ。ギャンブルで生活していたというグラドルが、なぜ運動経験がない中、競輪の世界に飛び込んだのか聞いた。(全3回の1回目/ 続きを読む )

◆◆◆

福岡ではアイドル活動に専念、チャンスを掴んで上京

ーー競輪選手の日野さんですが、もともとスポーツ経験はなかったそうですね。

日野 小学校までは新体操、水泳と習い事をたくさんやらされたんですけど、もうやるのが嫌で。運動ができる方でもなかったですし。ただスポーツは好きじゃないけど、踊るのとか歌うのが好きで、モーニング娘。の真似をしてました。

ーー高校生になると福岡の御当地アイドルの1期メンバーになります。

日野 もともと高校に入学するのも迷っていたんです。東京で芸能学校に通っている女の子たちに憧れていて。中学を卒業して、東京に行こうとも思ってたんですが、両親に「とりあえず高校は行った方がいい」と言われて。高校もイヤイヤ入学しました。

 地元大分の芸能科のある高校に入学した後、AKB48とかSKE48とかアイドルのオーディションを何度か受けているんです。ただ全部落ちて「アイドルは諦めるしかないかな」と思った時に受かりました。その頃には「学校って意味あるのかな」と思っていて。だったらアイドル活動に専念しようと高校を辞めて、福岡で活動を始めました。

ーー日野さんはオーディションに受かった当時、新聞の取材を受けているんですが、今後のアイドル活動についてではなく「東京で女優になるのが夢」と語ってましたね(笑)。

日野 どうしても東京に行きたいというのが頭の片隅にあったんです。東京のすごくキラキラした芸能界がやっぱり憧れで。

ーー当時だとアイドルブーム以前ですね。グループではどんな活動を?

日野 ザ・地下アイドルみたいな活動でした。やっていることはAKB48のほぼ真似事だったんですけど、福岡のお客さんがたくさん来てくれていたので、それを誇りに思って活動していました。15歳から21歳まで在籍して、キャプテンも任されました。

ーー上京のきっかけはなんだったんですか。

日野 ある時、福岡のどんたくで募金活動をしていたらスカウトマンが、こっそり名刺を渡してきて。東京のすごく大手の芸能事務所だし、このチャンスを逃せないと思って、所属していたグループを辞めて上京しました。

グラドルでは芽が出ずにギャンブルで生活をしていた

ーー上京後は最初からグラビアアイドルとして活動したんでしょうか。

日野 いきなりグラビアは行かずに、エキストラだったり小さい仕事をもらいながら、どういう方向でいくか事務所と話しました。事務所にはメジャーデビューしたアイドルグループがいて、最初はそこに入りたいと思っちゃったんです。

 ただそこには入れなかったし、やっぱり王道の一流アイドルにはなれないんだなって思って。そんな時、事務所の人に「グラビアのDVDを出してみる?」って言われて。DVD会社に挨拶に行かせてもらって、2014年にDVDを出すことになりました。

ーーDVD以外にもデジタル写真集を何冊か出されていますが、タイトルがバストにまつわるもので刺激的です。

日野 恥ずかしい。いい思い出です(笑)。当時はGカップを売りにしていました。ただグラビアをしていても結局は「週刊プレイボーイ」であったり、有名な雑誌の表紙になれなかったんです。やっていたらわかるじゃないですか、スター性とか。なので私には素質がないんだなと思ってました。

 私はAKB48の初期メンバーの一人を推していたんですが、その子がアイドルを辞めてAVデビューしたこともショックで。「ただでさえグラドルで売れていないのに、水着の需要がなくなったらどうなるんだろう」「もし私がAVの世界に入っても、需要はないだろうな」と思って。やりたい仕事がないし、この先、何の仕事をすればいいんだろうと考えていました。

ーーグラドル時代はギャンブルで食べていたと聞きました。

日野 グラビアをやりながら、パチスロ、競馬もボートレースもと何でもやってましたし、それで生活もできてました。特にパチスロではめっちゃ儲けていました。「ミリオンゴッド」とか打って、稼げた時は1日で20万円くらいになりました。そのスロットで勝ったお金を、さらに競馬で増やすみたいな感じで。

ーーギャンブルで稼いだ金をさらにギャンブル! 勝負師ですね。

日野 そこに関しては運がよかったです。競馬は穴党(人気の薄い馬の馬券を買う人)で、一回だけ帯(100万円以上の払い戻し金)を取りました。ボートレースも1000円賭けて10万円になったり。なので結構潤っていました。ただ金遣いも荒いので(笑)。かわいいものも好きだし、ブランドものも好きだしで、ギャンブルのあぶく銭は貯めないで全部使ってました(笑)。

ーーギャンブル漬けですね。よく破産しなかったですね。

日野 波はありました。家にあるいらないものを売りに行ったりと修羅場もくぐってます。もう死ぬよってくらいお金がないときになけなしの1000円を持って新宿のマルハンでジャグラーを打ったら、いきなりペカって(ボーナス確定演出)、連チャンしたり。今思うと怖かったですね。

 でも借金とかはなかったです。グラドルだったのでクレジットカードも審査も通らなくて。逆にそこは良かったなと思います。ずっと現ナマで生活していたので。

「私は体格がいいし。選手になったら面白いかも」

ーー競輪との出会いもグラビア時代だったそうですね。

日野 そうです。グラドルが競輪を予想する番組に呼ばれて、初めて競輪を見て「何これ楽しい」って。その時は男子の競輪だったんですけど、賭けるのが楽しかったんです。競輪場にその日から通い詰めて。仕事が終わっても競輪に行って。周りはおじさんばっかりなので浮いていたんですけど(笑)。競輪が好きだった木三原さくらちゃんという子と仕事が終わったらミッドナイト競輪を賭けたり、旅打ち(ギャンブル目的の旅行)をしていました。

 ガールズケイリンを初めて見たのも競輪の予想番組で呼ばれた時でした。そのレースは奥井迪さんが先行(ラインの先頭を走る走行戦法)をしていたんですが、一本棒(選手が棒のように連なること)でレースが終わって、そのまま奥井さんが1位でゴールをしたんです。私は穴党で他の子に賭けていたのに、全く動かないまま終わったので「何してんの? こっちはお金賭けてるんだよ」と思って。当時賭けていた時はそう思っていたけど、実際に選手になってから奥井さんに対抗して先行したり自力で仕掛けていくことの難しさを知りました。

 その時は同時に「女の子の競輪ってこんな感じなんだ。私は体格がいいし、選手になったら面白いかも。奥井さんの隣で先行してやろう」と思っちゃって。今までギャンブルをやる中で競馬、競艇を見たんですが、自分が乗りたいとは思わなかったんですけど、競輪だけは自分で乗ってみたいとなったんです。なのでとりあえず乗ってみようと。

ーーすごい思い切りですよね。まさにギャンブラー。競輪への転向は周りには相談しなかったんですか。

日野 相談しなかったです。競輪選手にどうすればなれるかわからなかったので、まず競輪場に電話して「どうやってなるんですか?」と聞きました。その後、奈良競輪場に電話して、選手を目指す練習生になりたいですと伝えました。気持ちは決まったので、その時点で事務所には「辞めたいです」と伝えました。

ーー競輪場は全国にあります。地元である福岡にもありますが、なぜ奈良だったんですか?

日野 仕事で奈良競輪に呼ばれた際に、奈良のバンクは走るのがすごく難しいと教わったんです。そんな難しいバンクで練習したら、選手として強くなれるんじゃないかなと思って。

 あと当時はギャンブルだけでなくお酒も好きだったんです。なので東京だと飲み歩いちゃう(笑)。だったら縁もゆかりもない奈良で、一から一人暮らしする方が集中できるんじゃないかなと思って選びました。

〈 西麻布で飲み歩く“港区女子”が「丸刈りのモンチッチ」に…グラドルから競輪選手に転身した日野未来(31)が経験した“想像を絶する”トレーニング 〉へ続く

(徳重 龍徳)

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