「冷めたユーモアや、力の抜けた笑いの感覚と……」谷中敦が奥田民生と意気投合した“もう一つの理由”
文春オンライン / 2024年11月9日 17時0分
東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦が初めて奥田民生にあったのはユニコーンのアルバム『服部』が発表された1989年ごろだったという。そのころから慕い続ける谷中にとって奥田民生はどのような存在なのだろうか?(全2回の前編/ 続き を読む)
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奥田民生とスカパラとの出会い
――民生さんとは長いお付き合いになりますよね。
谷中敦 ええ、けっこう長いですね。最初の出会いはちょっと思い出せないですけど、事務所が同じだったので、ユニコーンさんの日本武道館公演にホーンセクションとして呼んでいただいて。自分たちにとって初めての武道館だったので、それは強烈に印象に残っています。アルバム『服部』(1989)のころかな。
――民生さんとはどんな点で意気投合したんですか?
谷中 民生さんは広島出身ですけど、自分たち東京出身の人間と同じ少しとぼけた感じや、冷めたユーモアの感覚を持っている方だなって。そういう笑いの部分にシンパシーを感じたんだと思います。自分は竹中直人さんとずっと仲よくさせていただいてるんですけど、竹中さんも関西の人たちとは違う、力の抜けた笑いの感覚をお持ちですよね。民生さんは西日本出身なのに、すごく東京っぽいなと。あと民生さんはなにより人柄が魅力的なんです。
――民生さんは谷中さんよりひとつ年上ですが、先輩という感覚ですか? それとも同世代の仲間ですか?
谷中 もちろん先輩です。1年でも上だったら、自分にとっては先輩なので。民生さんは「谷中が1年下でよかった」って前に言ってました。「谷中が上だったら大変なことになってた」って(笑)。
――縦の関係はやっぱり大切なんですね。
谷中 僕はそうですね(笑)。だから本人を前にしていなくても「民生さん」。呼び捨てにしたことは一度もないです。
――93年にユニコーンが解散して、翌94年に民生さんはソロデビューしました。ソロデビュー以降の民生さんをどう見ていましたか?
谷中 つねにテレビのランキング番組でミュージックビデオが流れていて、すごいなと思ってました。しかもソロになったからといって気張るわけではなく、あくまで自然体。いつもの民生さんのまま、チャートで1位になっていたりするのがカッコいいなって。さすがですよね。
「お前は背が高いし、インチキな2枚目っぽいところが面白いから、そういう感じでいけ」
――89年にデビューした東京スカパラダイスオーケストラは、93年にバンドの創始者だったASA-CHANGが脱退して、94年にフロントマンのクリーンヘッド・ギムラさんが中心となったアルバム『FANTASIA』をリリースします。谷中さん自身はこの時期にどんなことを考えていましたか?
谷中 とにかく一生懸命でしたね。夢中でやっていた時期です。クリーンヘッド・ギムラさんがいろいろアイデアを出してくれて、「お前は背が高いし、インチキな2枚目っぽいところが面白いから、そういう感じでいけ」って(笑)。みんなが面白がってくれるキャラクターをギムラさんが考えてくれて、それをなんとか形にしようとしていた時期だったと思います。
自分は基本的に真面目なので――誰でも自分のことを真面目だって言うはずですけど(笑)――そのキャラクターを真面目に演じていこうと思っていました。そうしたら演じている間に、だんだん境目がわからなくなっていって。
――そして現在に至る、といった感じなんですね。
谷中 「なりたい自分を意識すると近づけるんだ」って、ギムラさんがよく言ってたんです。ギムラさん自身も、初めて会ったころはイタリア製のスーツを着た怪しい遊び人風でしたけど、次第に変化していったので。いま思うと、ギムラさんがそうやって考えてくれたおかげで、それなりにしっかりできるようになったのかもしれないです。
それが93、94年くらいの時期ですよね。その後、95年にギムラさんが亡くなったり、99年にドラムの青木達之が亡くなったりして、自分自身でもっと考えて動いていかないといけないなと。自分ひとりの力で立って、バンドを動かしていかなきゃいけないと思うようになるわけです。途中から歌詞を書くようにもなりましたし。
――谷中さんが歌詞を書き出したことで、男性ボーカルをフィーチャーした“歌ものシングル3部作”が生まれました。田島貴男さんが参加した「めくれたオレンジ」(2001)、チバユウスケさんが参加した「カナリヤ鳴く空」(2001)、そして民生さんが参加した「美しく燃える森」(2002)です。
谷中 実は95年にも豪華なゲストボーカルとコラボレーションした『GRAND PRIX』というアルバムをリリースしたんです。でも反響はあまりありませんでしたね。当時はまだコラボレーションというスタイルが理解されなかったのかもしれません。だから気合いを入れて作ったわりに、それほど話題にならなかったイメージがあって。
でも2000年頃、ヨーロッパ各国を毎日のように回る冬のヨーロッパツアーを行って、手応えをすごくつかんだんです。インストバンドとして、どんな場所でもオーディエンスを盛り上げられるなって。そこでもう1回、誰かとコラボレーションしてみようかという気持ちが生まれて、「谷中が歌詞を書いたら?」ってなったんですよね。『GRAND PRIX』はカバー曲も多かったので、今度は自分たちの楽曲を聴いてもらおうと。
「美しく燃える森」の歌詞は「もちろん。完全に当て書きです」
――「美しく燃える森」には、なぜ民生さんが参加することになったんですか?
谷中 最初の歌ものシングルだった「めくれたオレンジ」は、田島貴男をフィーチャーしたことをいっさい言わずに、単にスカパラの曲としてリリースしたんです。でも田島の声は誰もが知っているので、「あれ? スカパラの音だけど田島貴男だよね?」って。その話題性も含めて、みんなに面白がってもらえたんだと思います。たぶんそのあとで、続けてシングルをリリースすることになったんですよね。
民生さんに参加してもらったのは、あるとき一緒に飲んでいたら、「最近、田島とかと一緒にやってるらしいじゃん」って言ってきたんです。それを僕が売り言葉と勘違いして、「え、呼んだらやるんですか?」と言い返したら、民生さんが「やるよ!」って。すぐに「民生さんがやるよと言ってる」ってみんなに伝えました(笑)。
――「美しく燃える森」の歌詞は、民生さんが歌うことを想定して書いたものですか?
谷中 もちろん。完全に当て書きです。「美しく燃える森」というタイトルの映画に、本来は自分自身で監督も脚本も演技もできる人に俳優としてのみで出てもらって、僕たちが演出する感覚がありました。
僕のアイデアとしては、照れずに、大人の雰囲気でラブソングを歌ってもらいたかったんです。しかもスーツを着て歌うとしたら、すごく色っぽくてカッコいいものになるんじゃないかって。そう思いながら、歌詞を書いた覚えがあります。見事にその通りになりましたよね。
――ちなみにその時期、谷中さんが歌詞を書くようになったのはなぜなんですか?
谷中 わりとやさぐれていて、お酒ばかり飲んでいた時期なんです。たしか二日酔いだったと思いますけど、ツアー中にふと東京駅で携帯電話を買ったんですね。お酒を飲むと放浪する癖があったので、ちゃんと連絡が取れるようにしなきゃと思ったのかもしれない。
ところが携帯のメール機能を使って、いろんな文章を打ち込んでいたら、それが面白くなってきて、ためしに題名を付けたら「これは詩だ」って。それでまわりの人たちに、その詩を送りはじめたんです。1年くらいたった時ですよね、「だったら歌詞も書いたら?」と言われたのは。
――2001年前後だったと思いますが、音楽関係者のあいだでは「谷中さんから詩が送られてくる」という声が多数聞かれました。
谷中 見境なく送ってたんです(笑)。飲みにいくと、その場にいる全員に「詩を送るから教えて」って、連絡先を聞いてましたから。取材を受けるたびに、全然覚えてないようなメディアの人から、「詩が送られてきました」って言われるんですよ。
ドラムの青木が亡くなったあと、音楽に限らず幅広い業界関係者とつながりを持っていた彼の社交性を、僕が引き継がなきゃなと思ったんですよね。そういう責任感と、飲酒によるだらしなさが混ざった結果(笑)、いろんな人に連絡先を聞いていました。その頃は本当にあらゆる人と仲良くなろうと思ってたんです。
写真=三浦憲治
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〈 「本当の俺のことは誰も知らないんだ」谷中敦だけが気が付いたジョン・レノンと奥田民生の“共通点” 〉へ続く
(門間 雄介)
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