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認知症になった実母と義母、脳出血の夫、6人の子どもたち…ある日“限界家族”になってしまった女性が2年後には「すべての苦しみ」から解放された理由

文春オンライン / 2024年11月4日 6時0分

認知症になった実母と義母、脳出血の夫、6人の子どもたち…ある日“限界家族”になってしまった女性が2年後には「すべての苦しみ」から解放された理由

写真はイメージ ©getty

〈 「それまでお袋に責められて居場所がなかった親父ですが…」認知症による徘徊をやめられなかった94歳男性が“徘徊をやめた”もう1つの理由 〉から続く

 認知症になった実母と義母、脳出血の夫、6人の子どもたち…家族全員を支えるために、奮闘したある女性。ときには認知症の実母と、ほかの家族との間に軋轢が生じたことも。この長く、つらい戦いをどうやって乗り越えたのか?

 長年、認知症当事者を多く取材してきた著者のノンフィクション作家、奥野修司氏の最新刊『 認知症は病気ではない 』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。なお、登場する認知症の人とその家族はすべて仮名である。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

暴言・暴行の背後にあるもの

 家族を悩ませる周辺症状の中で、「徘徊」に次いで多いのが「暴言・暴行」だといわれる。認知症の人がそんな手荒い行動をとるのには、〈暴言・暴力のような攻撃性の背景には不安がある〉からだという(参考文献:山口晴保『認知症ポジティブ!』協同医書出版社、2019)。

 認知症の人は、自分が壊れていくような不安感でいっぱいだ。症状の進行次第で数分前の記憶も保持できなくなる。記憶が消えたら自己の存在があやふやになり、身の置き所がなくなって不安感が増大する。そんなとき、失敗した記憶がないのに失敗したと詰られたら、本人は不満だろう。それが毎日のように重なれば、やがて耐えられなくなって暴言や暴行につながっても不思議ではない。

 アパートで一人暮らしをしていた邦子さんに、ATMが使えなくなるなど認知症の症状があらわれたのは80歳になる手前だった。

 娘の絵美さんがそのことを知ると、嫁ぎ先の家族の承諾を得て母を引き取った。ただ当時は家に子供が6人もいたうえ、夫は脳出血で倒れて全身が麻痺してから胃ろうを造設していて、さらに姑は93歳と高齢で認知症の症状もあった。いわば、家族全員が絵美さんの肩にかかっていたようなもので、当時の彼女は「自分が自分でないような」毎日だったという。息を抜く暇もなかったから、認知症の母親を引き取ったものの、ゆっくり話し合う時間はなかった。

 邦子さんのほうは、娘の嫁ぎ先に馴染めなかったのか、突然、癇癪を起しては大声をあげたり、家を飛び出したりするのでたびたび大騒ぎになった。思春期を過ぎた子供たちは、そんな邦子さんに反発した。すると「感情の起伏が激しい母だから、大きな声でああだこうだと言うので、子供たちもカッとなって言い返す」ことがあり、暴言のバトルになった。そんなときは邦子さんを車に乗せて、落ち着くまでドライブをしたという。ただ子供たちも、おばあちゃんが行方不明と聞けば真っ先に探し回るほどだから悪意があったわけではない。掛け違えたボタンを修正できないまま、互いに反発した状態が2年ほど続いた。

 その当時のことなのか、邦子さんはこんな手記を綴っている。

〈前ではわすれたことをきにしていました。今はわす(れ)た事もおぼえていません。

おとなになったからことばもわすれました。ごめんなさい。字をわすれました。ごめんね。わたしはおはなしがすきです。でも話(し)た(く)ございません。(略)私が話すと人がぐじゃいっとられていやになった。「おはなしはやめます」と云った。だから家でもだまっています。

むすめ(と)話したいことがありますが、口でとめました。我が家でむすめにはなしたいが、むすめもいそがしいのでやめました。(邦子)〉

 それが、今ではすっかり穏やかになったと絵美さんは言う。

「私にはいつも凜としていた母のイメージしかなくて、はじめは認知症になった母をどうしても受け入れられませんでした。認知症になったことを考えたくなかったのかもしれません。もう少し私に認知症の知識があったら手助けもできたのですが……。変わったのは『小山のおうち』で他のご家族からお話を聞かせてもらったりしたことで、悩んでいるのは私一人じゃないんだと知ってからです。それからありのままの母を受け入れられるようになりました」

 ケアマネたちと相談しながら、試行錯誤で介護をしていたある日のことである。

「お風呂で母が苦労しながら身体を洗っているのを見て、私が背中を洗ってあげればいいんだと思い、一緒にお風呂に入ったんです。そこで肌にふれたり、おしゃべりしたり、そんなことが良かったのかもしれませんね」

「あんたがおるけん、私もがんばるわ」

 やがて姑が亡くなり、時間に余裕ができたことも追い風になった。

「それまでなら『茶碗、洗ってあげるわ』と言われても、どうせあとで洗い直さないといけないんだから『いいよ、いいよ』と断っていました。それが、洗うことは本人にとって幸せなんだと気付いてから、『お願いね』って頼むようにしました。洗ってもらったら、素直に『ありがとう』と感謝もするようになったんです」

 絵美さんは次第に、ありのままの母を受け入れられるようになった。すると、母も不安が消えたのかすっかり穏やかになったという。その後、夫が亡くなり、子供たちも大人になって家を出て行くと、絵美さんは独り取り残されたような気分になった。

 ふと「どげんしたらいいのかな」と沈んでいると、邦子さんがそっと近づき「あんたがおるけん、私もがんばるわ」と、絵美さんの肩をポンと叩いた。絵美さんは思わず涙がこぼれそうになり、目を閉じたまま「うん、うん」とうなずいていたという。

 そんな絵美さんに介護のコツをうかがうと、こう言って笑った。

「しっかりご飯を食べて、十分な睡眠をとり、心を豊かにしておく。そして感謝です。自分をいたわり、そのうえで母をいたわることです」

 介護する家族がぐっすり眠ってこそ在宅介護は可能なのだ。介護するには、心と体に余裕を持て、ということだろう。

〈 トラックドライバー歴30年、怒りっぽい77歳の夫に悩んでいた妻を救った「あるお医者さんのアドバイス」 〉へ続く

(奥野 修司/文春新書)

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