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「当時の自分は異常だった」「でも、恋愛や就職を諦められず…」17年間“引きこもり”だった50歳男性が、大学に入学して社会復帰を果たすまで

文春オンライン / 2024年11月4日 11時0分

「当時の自分は異常だった」「でも、恋愛や就職を諦められず…」17年間“引きこもり”だった50歳男性が、大学に入学して社会復帰を果たすまで

糸井博明さん ©山元茂樹/文藝春秋

〈 髪は膝下まで伸び、歯はボロボロに欠け、身体はガリガリに…14歳から17年間“引きこもり”だった男性(50)が明かす、壮絶な引きこもり生活 〉から続く

 就学や就労などの社会的参加を避けて、長期間、家庭にとどまり続けている「引きこもり」。内閣府の調査によると、日本には現在、約146万人の引きこもり当事者がいるという。

 兵庫県丹波市で生活支援員として働く糸井博明さん(50)も、14歳から31歳まで17年間、引きこもりを経験したひとりだ。長期の引きこもりによって、「死ぬ一歩手前」まで心身が疲弊。31歳のときに精神科病院の閉鎖病棟に入院し、統合失調症と診断された。

 糸井さんは閉鎖病棟に入院したあと、どのように社会復帰を果たしたのか。話を聞いた。(全3回の3回目/ 1回目 から読む)

◆◆◆

入院直後は、髪の毛を抱えながらお風呂に入っていた

――31歳のときに引きこもり生活から脱し、精神科病院の閉鎖病棟に入院したそうですが、入院直後の糸井さんはどのような状態でしたか。

糸井博明さん(以下、糸井) 当時は異常だったと思います。引きこもっていた17年間、髪を切っていなかったから、髪の毛は膝下まで伸びていて。お風呂に入るときは、髪の毛を抱えながらでした。

 ヒゲもボーボーで、身体はガリガリになっていましたね。

――閉鎖病棟に入院したあと、ご自身でその髪の毛を切ったそうですね。

糸井 閉鎖病棟には、泣き喚く人がいたり、理由もなく怒っている人がいたり……いろいろな人がいるなかで、「自分はここから出なくちゃいけない」と思ったんです。

 でも、今のままの自分じゃ閉鎖病棟から出してもらえないと思って、まずは髪の毛を切ろうと。それが第一歩というか、自分が変わるきっかけになるんじゃないかと考えました。

 それで、男性の看護師さんから工作用のハサミを借りて髪の毛を切って。あとで看護師さんに散髪用のハサミで整えてもらって。それが、閉鎖病棟に入院して1か月くらい経った頃でした。

「気分が軽くなって、すっきりした」閉鎖病棟から出るために頑張った結果

――閉鎖病棟から出るために、まずは見た目から変わろうとした。

糸井 そうです。髪の毛以外にも、三食きちんと食事をして体重も増やしました。

 開放病棟に移してもらえれば、病院内を自由に移動できたり、絵を描いたり、料理をしたりする「ソーシャルスキルトレーニング」というレクリエーションを受けられるのも知って、なおさら閉鎖病棟から出るために頑張ろうと思いました。

――髪の毛を切り、容姿を整えたことで、メンタル的な変化はありましたか?

糸井 気分が軽くなって、すっきりしましたね。それまでは、自分の姿を鏡で見るのが苦痛で不快だったんです。でも容姿が整ったことで、鏡を見たときの不快感が少し軽くなった気がしました。

――その後、閉鎖病棟から開放病棟へ移ったのですか。

糸井 すぐにではないけれど、開放病棟に行くことができました。自分が変わったことで閉鎖病棟から出してもらえたのが、自分の中で成功体験になったし、自信にもつながりましたね。

――精神科病院には、どれくらい入院していたのでしょうか。

糸井 数か月はいました。5月に強制措置入院になって、年末には実家に戻って。

引きこもり生活から抜け出し…就職も恋愛も諦められなかったワケ

――そこからは、どのように過ごしていたのですか。

糸井 通院と服薬をしながら福祉作業所に通って、工賃をもらいながら紙の弁当箱を作ったりしていました。その作業をしないと、また閉鎖病棟に入院することになると医師から言われていて。

 精神障がいを受け入れて外に出たら希望が持てると思ってましたけど、常に管理・監視される生活だったので、それに対する劣等感はありました。

――福祉作業所に通うことへの抵抗感があった?

糸井 そうですね。50歳や60歳まで通い続けるのは嫌だなって。

 私は引きこもり生活から抜け出した以上、就職も恋愛も諦められなかった。諦めたら、引きこもっていたときと同じように、自分で鎧をかぶって、自分を貶めることになるんじゃないかと。だから、福祉作業所を出るためにどうすればいいか考えるようになりました。

38歳で通信制の高校に通い、41歳で大学に入学

――そこから、資格や免許の取得をされたそうですね。

糸井 そうです、社会的信用を得るために。最初に、就職したら車で職場に通えるように自動車免許を取得して。そのあと、国家資格の電気工事士2種を取得しました。

 福祉作業所に2年半通ったあと、34歳のときに豆腐店に就職して。その後、39歳から約9年間、郵便局で働きました。

――その間、学歴をつけるために38歳で通信制の高校に通い、その後、佛教大学に入学されたそうですね。

糸井 通信制の京都美山高校を卒業して、41歳で佛教大学の社会福祉学部に入学しました。

――なぜ社会福祉学部に?

糸井 福祉を学んで障がいに対する知識をつければ、自分で自分を支援できるというか、もっと自分をコントロールできると思ったんです。

 それと、障がい当事者だからこそ、障がいのことをもっと知って、語れるようになろうとも思いましたね。

「自分が行動的になっていった」大学生活を経験したことによる“変化”

――7年半かけて大学を卒業されたそうですが、大学に行ったことでご自身の中でどのような変化がありましたか?

糸井 大学のスクーリング(対面授業)には、いろいろな職歴、年齢、地域の人が参加していたのですが、それ以外は全部自学自習だったんです。だからテキストを読んで、レポートを書いて、試験を受けるのをひとりで繰り返していました。

 クラブ活動をしていたわけでもなく、友達もいなかったから、大学生らしい大学生活じゃなかったけど、コツコツ目の前のことに取り組むことで、自分が行動的になっていった気がします。

――ご自身の変化を実感することはありました?

糸井 当時は大学に通いながら郵便局に勤務していたのですが、集荷をするために1日に100キロ以上、車で走っていたんですよ。そのときに、大学の勉強と同じように、仕事にもコツコツ取り組めるようになったなと感じました。

現在は、福祉施設の支援員として働いている

――現在は、社会福祉法人恩鳥福祉会が運営する福祉施設「ポプラの家」で働かれているそうで。

糸井 生活支援員として、利用者の方々の生活を介助したり、作業を支援したりしています。

――作業を支援。

糸井 例えば、知的障がいを持つ方が絵を描く際に、その作業をお手伝いさせていただいたり。最初は落書きのような感じで絵に見えないんですけど、私がそれを色分けして塗ったら、宇宙船に見えたり、人に見えたりするんです。

 そうやって、利用者の方々の可能性を広げられるように作業を支援しています。

自分がメディアに出ている姿を、障がいを持つ利用者とその家族に見てほしい

――支援員として働くなかで、意識していることはありますか。

糸井 利用者の方々のいいところを見つけて、それを肯定することですね。私自身、閉鎖病棟を出てから周りの人に「あれをしてはダメだ」「これをしてはいけない」と言われることはなかったし、常識に当てはめて否定されることがなかった。だから今の私がいると思っていて。

 利用者の方々にも「あれをしなさい」「これをしなさい」と制限をかけることは言いたくないし、良いところも悪いところもすべて肯定したいと思っています。

――糸井さん自身の経験をもとに利用者と接しているんですね。

糸井 あとは私が本を書いて、こうしてメディアに出ている姿を、障がいを持つ利用者とそのご家族に見てほしいとも思っています。

 そうすることで、「しんどさを抱えている糸井さんも挑戦しているんだったら、私もやってみたい」という動機付けになればいいなと。

「ほら見たことか」「障がい者のくせに」と言われる怖さも…

――今年3月に自費出版した『スイングバイ 17年間の引きこもりを経て、社会復帰を目指し一歩ずつ歩み続けた今、伝えられること』(パレードブックス)は、第27回日本自費出版文化賞の特別賞作品に選出されたそうですね。

糸井 引きこもりだった私が本を書くことで、引きこもりや登校拒否の当事者、そしてその家族の痛みや苦しみ、不安を取ってあげたり、背中を押す手助けになるんじゃないかと思って。

 生きづらさを抱える私の言葉や行動で、「できるか、できないか」ではなく「やるか、やらないか」が重要、というのが伝わってほしいです。

――書籍を出版したことで、周りからの反響はいかがでしたか。

糸井 講演依頼も来るようになりましたし、周りからは「すごい」って言われます。私に期待してくれる人も増えました。

 でもその分、怖さも常にあるんです。もし怠けたり、手を抜いたり、ミスをしたら、「ほら見たことか」「障がい者のくせに」と言われるんじゃないかと。それがイヤだから、必死に行動しています。

閉鎖病棟を出てから、心の痛みを伴う失敗も…それでも行動し続ける理由

――行動することで失敗を伴うこともあるかと思いますが、そこに怖さは感じませんか? 

糸井 今は、人生は失敗しなくちゃ面白くない、予定調和の人生じゃ物足りないと思っています。アクシデントや失敗が続くこともあるけど、その先に成功があるというか。

 閉鎖病棟を出てから、心の痛みを伴う失敗もしてきました。それでも諦めず行動したことで、就職したり大学を卒業したり、本を出すこともできた。そういう経験を積み重ねたからこそ、失敗の先に成功があると思えるようになったのかもしれません。

――まずは失敗を恐れずに行動することが大事。

糸井 行動したあとに何を感じるか、何を考えるかが大事なんじゃないかなと。行動して体験した人にしか感じられないこと、言葉にできないことがありますし。まずは何かに取り組むことで、過去の自分を振り返ることもできるのかなと。

 あとは、諦めないで何かに取り組んでいる人のところに、人が集まってくるような気もしています。私自身、行動を起こしたことで、助けてくれる人にも巡り会えたので。

――今後、何か取り組みたいことはありますか。

糸井 今は自費出版した書籍を商業出版するのが目標です。もし評価していただけるのなら、より多くの人に届けたいと思っています。そしてもし印税が発生したら、そのお金を引きこもりの支援や活動費にしたいです。

撮影=山元茂樹/文藝春秋 

(「文春オンライン」編集部)

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