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美人と評判の21歳女性をムリヤリ…強姦・強盗した相手は10人以上「日本最悪のシリアルキラー」の正体(1915年の事件)

文春オンライン / 2024年11月2日 17時30分

美人と評判の21歳女性をムリヤリ…強姦・強盗した相手は10人以上「日本最悪のシリアルキラー」の正体(1915年の事件)

日本最悪のシリアルキラーとは…。写真はイメージ ©getty

 全国の尼僧(出家した女性)を手にかけたことでついたあだ名は「殺尼魔(さつにま)」…。明治、大正の時代にかけて10数名もの罪なき人々の命を奪った「恐るべき殺人鬼」とはいったい? 新刊『 戦前の日本で起きた35の怖い事件 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編を読む )

◆◆◆

「殺尼魔」と呼ばれた男

 明治時代後半から大正時代初期、全国をまたにかけ尼僧を中心に強姦・強盗殺人を働いた僧侶がいる。大米龍雲(おおこめりゅううん)。一説には十数人を手にかけたとされる通称「殺尼魔」だ。

 日本初のシリアルキラーとも言える大米の犯行形態は鬼畜にも劣る残虐なものだった。

 大米は1872年(明治5年)、東京・浅草の質屋で生まれた。本籍が定かではなく本名もよくわかっていないが、幼くして両親が亡くなり、7歳の頃に親類に財産を横領された挙げ句、大分県大分市の禅寺、曹洞宗・龍昌寺に預けられる。龍雲の法名は同寺の住職、大米龍元から授かった。

 1890年(明治23年)、18歳のとき、父親代わりだった龍元が死亡。大米は寺を出て、熊本の柔道場の内弟子となり三段を取得する。1894年(明治27年)に勃発した日清戦争に出兵した際、地雷に触れ負傷、鼻柱を失う(親の病気が原因という説もある)。

 このことについて、大米は後の予審(旧刑事訴訟法に定められていた、裁判を実施するかどうか判断するための審理)尋問調書で次のように供述している。

「私はご覧のとおり醜い容姿でありますので、これまで女に好かれたことがなく、こちらで好いたらしく思いましても振り向きもされず、惚れた気持ちを打ち明けようものなら笑われるのが落ちでありとうとう40を過ぎてしまったわけであります」

 戦地から負傷送還された大米はその後、静岡県島田町の福仙寺で住職に就くも、檀家が少なかったことから22歳のとき寺の仕事に見切りをつけ詐欺や窃盗を重ねながら全国各地の寺を転々とする。黒染の衣を着た大米は行脚僧にしか見えず、どこの寺も疑うことなく宿を提供した。

 最初の殺人は1905年(明治38年)1月。兵庫県尼崎市の真如庵に押し入り、当時72歳の老尼僧を殺害。24円(現在の貨幣価値で約48万円)を奪い逃走する。同年6月、島根県松江市の千手院で金を詐取しようとしたところ、住職に通報され逮捕。偽名を使っていたため先の殺人は露見しなかったものの、松江監獄に収監され6ヶ月の服役生活を送る。

 3年後の1908年(明治41年)12月、三重県桑名市で窃盗10件を働き、再逮捕。懲役4年の判決を受け、またも偽名で安濃津監獄に服役し、1913年(大正2年)1月に出所。以降、大米の犯行は大胆かつ残虐になっていく。

 同年4月、神奈川県小田原市の尼寺、願修寺の66歳の尼僧が寺を改修する寄付金を集めていることを耳にした大米は、信者を装って寺に訪れ5円を寄付し信用させたうえで、泊めてもらったその夜に強姦。翌日、寄付してくれる資産家を紹介すると偽り尼僧を小田原の海岸に連れ出し、海に突き落とし殺害した。この犯行で得た現金20円と、200円(現在の貨幣価値で約400万円)の預金は全て神戸・福原遊郭で散財している。

昼は窃盗、夜は尼寺へ

 同年夏、兵庫県川崎波止場で25、26歳の男性とケンカになり、相手を撲殺して福岡に高飛び。うどん屋を経営していた既婚女性の中山タマ(同40歳)と強引に関係を結び、翌1914年(大正3年)夏に共に上京し京橋の下駄屋に間借りした。妻がいれば部屋を借りやすく、目立ちにくいと考えての行動だったようだが、ここで大米は昼は仕事に出かけるふりをして窃盗を働き、夜は尼寺に押し入るという日々を送る。

 同年9月、京都・西七条の尼寺、正覚寺を襲い、悲鳴をあげた庵主の舌を引き抜いたうえ、金品を奪い逃走。庵主は出血が止まらず1週間後に死亡した。翌10月、豊多摩郡戸塚町(現在の東京都新宿区)の諏訪の森地蔵堂に押し入り、72歳の尼僧を凌辱したうえ細紐で絞殺。金がなかったので、米3升と布団1枚を盗み大阪へ。しばらく住み着きひと稼ぎした後、東京に舞い戻り、今度は神田の洋服屋に間借りした。

 翌1915年(大正4年)1月には鎌倉の感応寺に押し入り、美人尼僧として評判の教道(同21歳)を強姦・殺害し衣類数点を強奪。大米によれば、教道とは以前から情交関係にあったとのことで、後に犯行の模様を次のように語っている。

〈 嫌がる女性をムリヤリ…10人以上を強姦・強盗殺人「日本最悪のシリアルキラー」が残した“最期の言葉”(1915年の事件) 〉へ続く

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))

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