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「NHKの36年間、この本を手掛かりにトレーニングを続けた」山根基世氏が“話し言葉の本質”を学んだ1冊《アナウンサーのバイブル》

文春オンライン / 2024年11月17日 6時0分

「NHKの36年間、この本を手掛かりにトレーニングを続けた」山根基世氏が“話し言葉の本質”を学んだ1冊《アナウンサーのバイブル》

近年はナレーターとしても精力的に活動 ©文藝春秋

女性初のNHKアナウンス室長を務め、現在はフリーアナウンサーとして活躍する山根基世さん。アナウンサーとしての人生の中で、自身の確かな糧となってきた本について語ります。(取材・構成 稲泉連)

◆◆◆

「ただ読む」のは本当に難しい

 山口県の高校を卒業後、東京に出て来て早稲田大学に通い、1971年にNHKに入局してアナウンサーという仕事をするようになりました。

 10代から20代にかけて、私にはとにかく経済的に自立したいという強い願望がありました。というのも、さっきも言ったように母が少し支配的なタイプで、洋服を一緒に買いに行っても自分の着せたい服しか買ってくれないような人で……。母の選んだ洋服を着るのが悔しくて、自分で自分の着たい洋服を買えるようになりたい、とずっと思っていたんです。だから、就職の時もなるべく長く働けそうな仕事を探しました。

 でも、アナウンサーになってからは苦労の連続でしたね。私が入った頃のテレビやラジオの世界では、アナウンサーと言えば先輩の読みをお手本にする職人風で、「節をつけるな、歌うな。まっすぐ読め」とばかり研修所で言われる。「日本語を読む」方法論が、まだほとんど確立されていなかったのです。

「ただ読む」のは本当に難しいことなんです。記者の書いた原稿を一字一句変えず、そのまま読むとはどういうことなのか。テレビで自分の顔をさらして、話し言葉とは乖離した書き言葉である原稿をにこやかに、いかにも自分の言葉のように読む。すると、やはりどこかに必ず矛盾が生じます。

 それは私だけではなく、アナウンス室の全員がいつも悩み、苦しんでいたテーマでした。例えば、書き言葉は一節一節が話し言葉よりも息が長いでしょう? 普通の話し言葉であれば1、2秒で一つの意味の塊を喋るけれど、書き言葉では5秒くらいかかるような文章が平気で出てきます。その原稿を話し言葉のようにひと息で表現するためには、大変なトレーニングが必要なんですね。

 そんななか、「アナウンサーはいかに原稿を読めばいいか」という問いに対して、初めて答えてくれたのが、アナウンス室の中核を担った杉澤陽太郎さんが書かれた『現代文の朗読術入門』でした。

体系化されたアナウンサーの「話し言葉」

 この本はアナウンス室を離れた後の杉澤さんが、NHKアナウンサーが蓄えた話し言葉の知識・体験を社会還元する目的で立ち上げた日本語センター(現・ことばコミュニケーションセンター)で、仲間のアナウンサーや言語学者、音声に関わる技術者らとともに行った研究をまとめた一冊。「まえがき」で杉澤さんは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に登場する伊藤一刀斎という剣客の「一境地をひらくごとに一理を樹てた。理があってこそ、万人が学ぶことができる」という言葉を引いています。この言葉通り、杉澤さんの研究によって私たちは「アナウンサー」としての話し方を、初めて体系的に学ぶことができるようになったと言ってもいいと思います。

 NHKに日本語センターが作られる際、大きな影響を与えたのが、ドイツ文学者であり演出家の岩淵達治さんが新聞に寄稿した「イントネーション研究のすすめ」という原稿でした。そこで岩淵さんはNHKのアナウンサーについて、一語一語の発音やアクセントは確かに正しいが、一方でイントネーションが間違っているのではないか、という問題提起を行いました。

 この記事は当時のアナウンス室で大きな衝撃をもって受け止められました。私が若い頃のNHKには「使ってやる」と言わんばかりの威張ったディレクターもいたけれど、アナウンス室の面々には「公共放送の担い手として自分たちが日本の話し言葉を担っている」という誇りがあった。ところが、思わぬところから「話し言葉」に対する批判があり、私たちは「アナウンサー」の話し言葉の本質を考えることを迫られたんですね。

 そこで杉澤さんが日本語センターで行ったのが、日本語の音の仕組みがどうなっているのかを科学的に調べ、それを理論化する試みでした。『現代文の朗読術入門』はその研究の成果を収めた第一弾として出版され、私たちのバイブルになっていったわけです。

 伊藤一刀斎の言うように、朗読も先輩から「こうやりゃいいんだよ」と教わるやり方では万人に伝わらない。私がこの本を読んですごいと思ったのは、様々な機器を活用して日本語のイントネーションを研究した杉澤さんが、人間の普段の話し言葉の奥に潜む日本語の音の法則を確かに発見し、それを言語化していたことでした。この研究によって私たちは「朗読」を論理的に学び、意味と言葉の塊を呼吸と合わせていくトレーニングを体系的にできるようになった。この本を本当に何度も読み込みました。NHKにいた36年間、私はこの本に書かれた内容を手掛かりに、読むためのトレーニングを続けた、という思いがあります。

山根基世氏の本記事全文は、「 文藝春秋 電子版 」に掲載されています。

 

全文では、山根さんが幼少期に「身体とつながるような読書体験」を感じた本や、現代詩との出会いとなった本、「この本の著者は私だ」と痛切に感じた本などについても詳細に語っています。

 

■連載「 達人の虎の巻 ~人生を変えた『座右の書』~ 」
第1回「 谷内正太郎 『100点よりも51点の答案を』安倍外交の中心人物が読書で培った姿勢とは 」
第2回「 大村智 ノーベル賞受賞者は、なぜ北里柴三郎にほれ込んだか 」
第3回「 栗山英樹 僕は中国古典を読んで大谷翔平の『二刀流』を信じた 」
第4回「 山根基世 『普遍的なものを言い当てていた』元NHKアナウンサーが仕事の支えにした一冊 」

(山根 基世/文藝春秋 電子版オリジナル)

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