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「人間は孤独です。それを彼の曲から強く感じます」矢野顕子が何回もリピートした奥田民生の“名曲”「これは私が歌う曲だと思いました」

文春オンライン / 2024年11月10日 6時0分

「人間は孤独です。それを彼の曲から強く感じます」矢野顕子が何回もリピートした奥田民生の“名曲”「これは私が歌う曲だと思いました」

©三浦憲治

 矢野顕子には奥田民生のある名曲を聴いて「孤独を感じた」ことがあったという。果たしてその曲とは……。(全2回の前編/ 続き を読む)

◆◆◆

ゲストとして招いたのが民生さんだったのか

――民生さんとの初対面は渋谷のジァン・ジァンの時ですか?

矢野 たぶんそうですね。

――2000年3月、渋谷ジァン・ジァンが閉店する前月に、矢野さんはジァン・ジァン最後の公演を4日連続で行いました。その最終日にゲストとして招いたのが民生さんです。それは以前から公演をしてきた特別な場所の、特別な日だったはずですが、なぜ民生さんだったんですか?

矢野 たとえば大きな劇場にゲストに来ていただくとか、そういうのにはいろいろなしがらみがあったりとか、本当に大変なんです。ジァン・ジァンのような小劇場なら、なんでも好きなことができるっていうんですか。「ちょっと来てくれる?」みたいなことも言いやすくて。

 それまでの公演は自分の仲間うちで、手の内を知っている人たちと一緒に、「この歌を一緒に歌おうよ」というふうにやっていたんですよね。でも奥田さんには私が一方的に興味を持っていて、ああいう機会だったらお願いできるかなって。あのかたちがいちばんやりやすかったんです。いまでもそれに応えてくださったことにとても感謝しています。

共通性を自分のなかで感じていた

――もちろん舞台上で初めて顔を合わせたのではなく、事前に打ち合わせみたいなことはされたんですよね。

矢野 いったいどんなふうだったのか……簡単なリハーサルはした覚えがあります。一緒にやるというよりも、私の公演に、私が一緒に歌いたい人を呼んだということで、主導権は私にあったはずですから。そのときは奥田さんが以前ユニコーンをやっていたという、それくらいの知識しかなかったんですけど、でもきっと彼と一緒にやったら面白いものができる、そういう共通性を自分のなかで感じていたと思います。

――初めて共演して、どんな感触がありましたか?

矢野 あ、この人ともっと一緒にこれからもやっていきたいなって、たぶん感じたと思います。それからも交流が続いたっていうことは。

音楽の交流というのは魂の交流

――大きかったのは、共通性を感じたという点ですか?

矢野 それがなにかというのは具体的にわからないんですけど、一緒に歌を歌うとその人の人間性が――全部出るとは言いませんけれども――ある程度どういう人間であるか、どういう人間がこういう歌を作っているのかというところがわかるんです。向こうももちろんそうだと思います。

 なので、ただ単に他愛のない話をしてお茶を飲むというのとは違いますよね。音楽の交流というのは魂の交流でもあるわけなので、そこでこの人が持っているものと、私が持っているものは合うなという確認ができたんだと思います。

彼の曲から、強く感じる”孤独”

――矢野さんは1994年のアルバム『ELEPHANT HOTEL』の中で、すでに「すばらしい日々」をカバーされていました。1994年はちょうど民生さんのソロデビューの年でもありますが、その頃から民生さんの曲、ユニコーンの曲に興味を持っていたということですよね。

矢野 そうですね。たぶんきっかけは、THE BOOMの宮沢和史さんと親しくしていたので、あの頃バンドブームで出てきた宮沢さんと同世代の人たちの音楽はよく聴いていたんです。

――ジァン・ジァンの時にも「すばらしい日々」や「大迷惑」を披露されていたと思います。民生さんが作る曲のどんな部分に惹かれていたんですか?

矢野 孤独っていうことですね。人間は孤独であるっていう、それをとても強く感じます、彼の曲から。

「あ、これは私が歌う歌だ」

――メロディーにも、歌詞にも、孤独を感じますか?

矢野 いや、メロディーは関係ないと思います。やはり詞の部分でそう思いますね。

――曲をカバーしたり、実際に共演したりする中で、その実感を強くしていったんですか?

矢野 どの曲にも同じように感じるわけではなくて、「すばらしい日々」はちょっと特別な位置にあるかな。アルバム『SPRINGMAN』(1993)のCDが出て、すぐに聴いて、「すばらしい日々」を何回も何回もリピートしました、あの曲だけ。「すばらしい日々」は、「あ、これは私が歌う歌だ」と思いました。

選曲の基準は、「私が歌いたい詞なのかどうか」

――矢野さんは民生さんの曲だけでなく、いろいろな方の曲をカバーしていますが、選曲する際の基準はどんなところにあるんですか?

矢野 いちばん大きな部分は、やはり私が歌いたい詞なのかどうかということ。私がまず歌えるかどうか。歌えるというのは、つまりその中に私が普段の日常生活では絶対に口に出さないような言葉が入っていないかどうか。そしてなによりも、その中で書かれている気持ちに、私もそう思うというふうに共感できるかどうか。なおかつ共感するだけでなく、それを私が表現したいと思うかどうか、だと思いますね。

矢野さんのカバーは、根幹をより強調した曲になる

――矢野さんがカバーをすると、どんな人の曲でも矢野さんのオリジナル曲のように再構築されてしまいます。でも曲の根幹にあるものは、まったく変わりません。

矢野 それは私が根幹の部分を表現したいと思っているからです。例えば原曲がロックンロールだったり、まったく違うかたちであっても、その根幹の部分をつかまえたと思ったら、今度は自分がそれを作り上げていくっていうか。だから結局は、まったく違う建物になってしまうことが多いですけれど(笑)。でももしかしたら、原曲がそこで表現したかったもの、あるいはその根源にあるものを、より強調した曲になっているかもしれませんね。

――今年9月に行われた民生さんとの対バンライブでは、「すばらしい日々」や「大迷惑」に加えて、民生さんのアルバム『股旅』(1998)から「海猫」、それにアルバム『FAILBOX』(1997)から「野ばら」などをカバーされていました。

矢野 私が彼の曲の中で歌いたいと思うものは、きっと奥田さんは「なんでこんな曲がいいんだろう?」みたいに思うことがあるかもしれないですけれど(笑)。「なんでこの曲を選んだの?」みたいな。でも一緒に歌ってくださると、矢野と奥田でなければ表現できないものが必ずそこに生まれるので。「大迷惑」はとても得意な曲で、あれは原曲の勢いをそのままやるわけですが、でも矢野と奥田が歌う「大迷惑」は、たぶんどこかユニコーンとは違うところがあると思いますね。

撮影=三浦憲治

◆◆◆
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〈 「今日はちょっと緊張してる(笑)」6年ぶりの奥田民生との共演で矢野顕子が話したこと「私が好きなところは変わらないし、これからもずっと好きだと思いますよ」 〉へ続く

(門間 雄介)

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