「裸でベランダに放置され…」「ライターで皮膚をあぶられた」4歳で義父から“壮絶な虐待”を受けた男性(31)が明かす、家庭内暴力が始まった“きっかけ”
文春オンライン / 2024年11月30日 11時0分
ブローハン聡さん ©山元茂樹/文藝春秋
フィリピン人の母と日本人の父を持つ、ブローハン聡さん(31)。4歳のときに母が再婚し、義父と3人で暮らすようになったが、まもなく義父からの苛烈な虐待が始まる。その後、小学5年生で義父の虐待が発覚し、児童養護施設に保護された。
現在は、児童養護施設出身者として自身の経験を発信し、当事者支援団体「一般社団法人コンパスナビ」の代表理事も務めている。
そんなブローハンさんに、義父の虐待が始まった経緯や、当時の過酷な生活環境について、話を聞いた。(全3回の1回目/ 2回目 に続く)
◆◆◆
父親から認知されず、14~15歳まで無国籍だった
――ブローハンさんの生まれ育った家庭について教えてください。
ブローハン聡さん(以下、ブローハン) 4歳まで、フィリピン人のお母さんと墨田区のアパートで2人で暮らしていました。実のお父さんはお母さんが働いていたフィリピンパブのお客さんでしたが、すでに別の家庭を持った人だったので、僕を認知はせず、何度か家に来ていたような感じです。
僕が4歳になってからはお母さんがまた別のお客さんと再婚したので、新しいお父さんと3人で住むようになりました。
――だとすると、もともとブローハンさんの国籍はフィリピンになるのでしょうか。
ブローハン いえ、実は最初は父親に認知されていなかった関係で無国籍だったんです。ただ、母方の叔母が言うには、母子手帳を100万円で買ったらしくて。
17歳のときに日本国籍を取得した
――お母さんはどうして母子手帳を買ったのでしょう。
ブローハン 病院で受診できるようにするためですね。あとは、お母さんが僕を祖父母に会わせるためにフィリピンに連れて行きたかったらしいのですが、その際にどうしても戸籍と言いますか、個人の証明ができるものが必要だったそうなんですね。それで母子手帳からパスポートを取った、という風に聞きました。
――ブローハンさんが戸籍を取得したのはいつ頃でしたか。
ブローハン 14歳から15歳のときにフィリピン国籍を取得して、17歳で日本国籍を取得しました。
ベランダに裸で放置されたり、ライターで皮膚をあぶられたり…エスカレートしていった義父からの虐待
――4歳から一緒に住むようになった義理のお父さんは、どんな方でしたか。
ブローハン 再婚当時、40歳前後くらいだったと思いますが、子どもが嫌いだったのかな、と思います。連れ子を認めないと言うか、養子縁組はしなかったようです。僕も虐待をされましたが、僕のお母さんと再婚する前に義父が籍を入れていた女性の連れ子にも、虐待をしていたらしくって。
僕に対しては「お父さんと呼ぶな、クウヤ(タガログ語でお兄さんの意味)と呼べ」と言っていましたね。
――義父による虐待が始まったきっかけは何だったか覚えていますか。
ブローハン 同居が始まってすぐだったと思いますが、よく平手で顔を殴られていたので、それが最初だったんじゃないかなと。
身体的な虐待だと、他にもベランダに裸で放置されたり押入れに閉じ込められたり、玄関のドアに僕の体を挟んだりすることもありました。水風呂に沈められて、髪の毛を引っ張って引きずり回されたり。
あとは皮膚をライターで炙られたり、つまようじで頭を刺されまくったり、鉄でできた傘の柄の部分で頭を殴られて、今でも傷が残っています。
「今日はやられる日なんだ」酔っ払った義父が寝室に来て…
――次第にエスカレートしていったような。
ブローハン そうですね、何かしら文句や言いがかりを付けてきては暴力のレパートリーが増えていくような。夜、お母さんが働きに出ているときは地獄でした。義父が酔っ払って帰ってくると、僕の部屋に足音が近付いて来るんですね。足音が寝室に向かっていけばその日は虐待をされない日なんですが、僕の部屋に向かって来る日は「今日はやられる日なんだ」って。
横を向いて寝ている僕の頭の上に枕を置いて、その上でなんどもジャンプをするんですよ。鼻血が出ることもありましたが、僕が泣けばますますエスカレートするんじゃないかと思い、ひたすらこらえるしかありませんでした。
虐待する義父が一度だけ「ごめん、ごめん!」と土下座したワケ
――お母さんや周りの大人は、義父の虐待を知っていたのでしょうか。
ブローハン 最初は知らなかったと思います。義父も、お母さんにバレないように工夫しながら暴力を振るっていたので。ただ一度だけ、義父が焦って僕に謝ったことがありました。当時、駐車場付きの一軒家の1階部分に僕たち家族が、2階部分に義父の両親と義父の前妻との子どもが住んでいたんですね。
ある日、義父が僕に暴力を振るった際に、僕は義父の両親に助けを求めようと2階に駆け込もうとしたんです。そうすると、血相を変えた義父が「ごめん、ごめん!」と言って僕に土下座をしていて。
――義父は、どうしてそこまでしたのでしょうか。
ブローハン 義父の背中には、まるでムチで打たれたような大きなミミズ腫れのような傷跡があったんです。普段の言動からも義父は父親のことを恐れていることが汲み取れたので、おそらく義父も義父で、虐待されていたんじゃないかと思います。
義父からの虐待を母親に隠していた理由
――それから、義父による虐待はなくなりましたか。
ブローハン いえ、またすぐに再開しました。その頃には、お母さんが家にいる時間帯でも、義父に駐車場まで連れ出されて虐待をされるようになっていました。
――お母さんに、虐待のことを話そうと思いませんでしたか。
ブローハン 僕が本当のことを話したら、母と義父が喧嘩になって、今度は母が殴られるかもしれない、と思っていたんです。それに、僕のことで母を困らせたり、悲しませたりするのも嫌だったので、母には暴力を振るわれていることを頑なに隠していました。
ただ僕が5歳くらいの頃だったか、母が僕の体の異変に気付いたことがあったんです。当時、義父は僕の頭につまようじを刺すというのをやっていたのですが、一緒にお風呂に入っていた母に、頭に出血した痕が無数にあるのを見られてしまって。
――虐待を知ったお母さんは、どうしたのでしょうか。
ブローハン そのあと、義父と口論をしていたのを覚えています。それからすぐあとくらいから、おそらく義父と引き離すためだったのだと思いますが、よその家にちょくちょく預けられるようになりましたね。
預けられる先は叔母の家以外に、母の知り合いである日本人夫婦やフィリピン人、バングラデシュ人の家で暮らしたこともあります。
撮影=山元茂樹/文藝春秋
〈 「局部を握らされ、お尻に入れられそうになった」小1で“性的虐待”を受けたことも…“壮絶な虐待家庭”で育った男性(31)が語る、児童養護施設に入った経緯 〉へ続く
(吉川 ばんび)
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