《福井15歳少女顔面めった刺し事件》殺人罪で7年間服役した男性(59)の再審がついに決定 検察が隠していた“驚きの証拠”とは…
文春オンライン / 2024年11月10日 10時0分
10月23日、冤罪被害者の遺族らと喜び合う前川彰司さん(右) 撮影・粟野仁雄
大昔、記者になって岡山地裁で初めて殺人事件の法廷を取材した時のこと。裁判長が「では検察官、証拠の提出をお願いします」と指示した。現場の遺留品でも出てくるのかと期待したら、検事は取り調べの調書を渡していた。
「そんなものが証拠なのか」と大いに疑問を持ったものだ。
調書を証拠とする危険性が招いた象徴的な冤罪事案が、このほど事件から38年ぶりに男性の再審が決定した福井市の女子中学生殺人事件である。
1986年3月20日未明、福井市の市営住宅で、市立光陽中学3年の高橋智子さん(当時15歳)が殺されているのを帰宅した母親が見つけた。両親は離婚しており智子さんは母親と2人暮らし、母親は19日午後6時ごろからスナックにホステスの仕事に出かけていた。
智子さんが殺されたのは19日の午後9時40分頃。2本の文化包丁で顔面や首、胸をめった刺しにされた上、ガラス製の灰皿で頭や顔面を殴打され、電気カーペットのコードで首を絞められていた。死因は出血、脳挫傷、窒息の複合だった。鴨居から電気コードがぶら下がっていたなど自殺を装うような跡もあったが、それなら刺したり殴ったりはしまい。
玄関などで争ったような跡はなく凶器はすべて智子さんの家にあったもの。室内物色の様子もなく、智子さんの着衣に乱れもなかった。
暴力団員Aの「事件の夜、血だらけの前川を見た」という証言
福井県警の捜査本部は強盗や強姦目的ではなく、夜、智子さんが1人になることを知っていた顔見知りの怨恨による犯行とみて、智子さんの交友関係者の他、シンナー中毒の若者も捜査対象とした。当時、若者のシンナー中毒が社会問題になっていた。中毒患者で21歳だった前川彰司さん(59)は、事件の2週間後に聴取を受けたが、無関係とされて放免されていた。
有力な物証も決め手もなく捜査は難航したが、1年後の1987年3月29日、捜査本部はスカイラインに残されていたO型の血痕が智子さんと一致したとして前川さんを殺人容疑で逮捕したのである。
決め手となったのは前川さんの遊び仲間の暴力団員Aの「事件の夜、血だらけの前川を見た」という証言だった。警察と検察はその他5人の遊び仲間の証言から次のようなストーリーを作った。
3月19日の午後9時頃、知人のBが前川と会い、スカイラインに乗せて現場に行った。前川が下りて智子さんを訪ねて殺した。Aは前川をかくまうために知人女性H子の部屋に前川とBと別の知人Nを連れてゆき、その後前川はそこを出てAとI子が暮らす部屋を訪ね、シャワーを浴びて寝た。翌日、Aが前川を自宅に送り、途中で川に血の付いた衣服を捨てた。智子さんにシンナー吸引をすすめたが断られて激高したのが動機だった。
血痕は後に智子さんとは別人の血痕だと判明した。衣服は見つからなかった。
暴力も振るわれた取り調べに屈しなかった前川さんは「智子さんなど知らない。会ったこともない」と一貫して犯行を否認し自白調書も作らせなかった。
1990年9月、一審の福井地裁は(1)目撃証言は信用できない(2)毛髪鑑定は指紋のような絶対的なものではない、という2点から前川さんを無罪とした。
知人らの証言の信用性を否定した理由は(1)彼らがいずれも覚せい剤やシンナー事案等の犯罪歴や非行歴があり捜査官の意向に反論しにくい(2)供述が事件から7、8か月経過している(3)重要な点で変遷している、などだった。
実際、一審公判中の88年9月頃、Nは前川さんの弁護人の吉村悟弁護士を訪れて、「事件の夜は前川に会っていない。それを言っても警察は『それは勘違いだ』と言って受け入れられなかった。2日間、抵抗したが押し切られた」と告白していた。NもNを支える他の証人もこれを法廷で証言し一審で認められていた。
吉村弁護士が面談したI子は「警察に『Aが言ってるから間違いない』と言われて、記憶もないのに調書作成に応じてしまった」と打ち明けた。さらに、留置中のAが「殺人事件のことが俺の情報で逮捕できれば、俺は減刑してもらえるから頼むぞ」と書いてI子に送った手紙も見せていた。
高裁で逆転有罪となり、満期で服役することに
ところが1995年2月、控訴審で名古屋高裁金沢支部の小島裕史裁判長は「知人らの証言は十分信用できる」として逆転有罪とし、シンナー吸引による心神耗弱を認めて懲役7年とした。「自分の量刑などへの配慮を得るために、供述した疑いがある」と一審が認定した元暴力団員の証言については「調書が作成された時点で覚醒剤取締法違反容疑の取り調べは終了していた」とし、供述の変遷も「信用性を損なうとまでは言えない」とした。
これが97年に最高裁で確定し、前川さんは満期服役した。
前川さんは出所後に再審請求し、2011年に名古屋高裁金沢支部の伊藤新一郎裁判長が「各証言に疑問がある」と再審開始を決定したが、検察の異議申し立てで2013年に同じ名古屋高裁の志田洋裁判長が決定を取り消し、前川さんが第2次の請求を起こしていた。
そしてことし10月23日午前10時、名古屋高裁金沢支部。正門で筆者も支援者らと待ち受けていた。女性弁護士が庁舎からゆっくり歩いて出てくるので「駄目だったのか」と思ったら再審開始決定の垂れ幕を広げた。
「ありがとうございました。これからも続きますんで。今日はひとつの区切りになります」
拍手と歓声の中、裁判所から両手を突き上げて現れた長身の前川さんは中学時代、バスケットボールのエースだった。逮捕から37年以上が経っていた。
再審開始を決定した山田耕司裁判長は「知人供述に警察の誘導の疑いがある」などとし、「前川さんと現場付近に行き、前川さんの服や手に血がついているのを見た」というAの証言の信用性を否定した。
さらにAの証言について、決定は「供述を取引材料に自らの減刑や保釈などの利益を図ろうとする態度が顕著」とし「確定判決はこうした危険性に注意を払わなかった」と指弾した。
「事件の夜、テレビ番組でアン・ルイスと吉川晃司が卑猥な動作をしていた」という供述が…
再審開始決定の決定打は200点以上の捜査報告書などの証拠開示だった。前川さんが犯人と証言していたNは「事件の夜、テレビ番組の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系列)でタレントのアン・ルイスと吉川晃司が卑猥な動作をしていた」と供述していた。
ところが、番組の放送は事件よりも後だったと判明した。これで供述の信用性は一挙に崩れ去った。
この事実を警察は捜査報告書に記載し、検察も知っていたが隠していた。山田裁判長は当時の検察官について「公益の代表者としてあるまじき、不誠実で罪深い不正だ」と厳しく断罪した。
吉村悟弁護団長は「証拠開示が大きかった。テレビ放送の食い違いを検察が知ったのは一審の途中でした」と話した。
前川さんの母、真智子さんは1回目の再審請求をする直前に69歳で亡くなった。父親の礼三さん(福井市役所OB)は91歳の高齢で老人施設に入っている。今回、前川さんは「再審開始だよ」とメールを送った。それを見た父は涙を流したという。筆者はかつて福井市役所のOBだった礼三さんを居酒屋で取材したことがある。「息子が犯人だとは一秒たりとも思ったことがない」と話していた。
記者会見で前川さんは「私は金沢の刑務所に服役した。冤罪に苦しむ人はたくさんいますが簡単には再審にはなりません。弁護士さんや支援者の皆さんのおかげで再審を勝ちとることができました。浮かれることなく。戦いはまだまだ続きます」と話した。嘘の証言をした仲間について問われると「恨みがないと言えば嘘になりますが、仕返しはしませんので」と話した。
10月28日は検察の異議申し立ての期限だった。前川さんと吉村弁護士らは午後4時から福井県弁護士会館の会議室で会見準備をしていたが、その最中に、報道陣から「異議申し立て断念」の一報が入った。吉村団長らと笑顔で握手した前川さんは「ちょっと喜んでいます。安堵しました」と落ち着いていた。
筆者が「検事の取り調べはどうでしたか?」と尋ねると、「体格のいい人でしたが、強圧的とかではなく穏やかでした。わかってくれるのかなとも期待していました」と話した。前川さんは検察について「取り調べをした匹田信幸元検事らには間違えてしまいましたとわびてほしい」と話したが、人がよすぎる言葉だった。
「間違えてしまった」などのレベルではない。無罪証拠を隠す卑劣な捏造だったのだ。
若き日の好ましからぬ人付き合いが招いてしまった、大きすぎた人生の犠牲。
だが、還暦を目前にした大柄な男は「多くの支援を受けた自分は幸せだったと思えるようにしたい」と、どこまでも前向きだった。
(粟野 仁雄)
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