「首をノコギリとメスでちょん切ってバケツに」伝説の社会部記者が伝えた“首なし事件”の真相〈警官の拷問を告発するため…〉
文春オンライン / 2024年12月26日 6時0分
羽中田誠
ノンフィクション作家の清武英利氏は、『文藝春秋 電子版』で連載中の「記者は天国に行けない」で“伝説の記者”の群像を綴っている。その中の一人が、戦中から戦後にかけて活躍した羽中田誠だ。読売新聞の社会部記者だった羽中田が残した“足跡”を紹介する。
流転の人生
羽中田は3歳で父親を失い、母親とともに東京・市ヶ谷から山梨県に移り住んでいる。ここで少年期を過ごし、法政大学経済学部に入学したものの、2年後に中退して山梨に戻る。そして1930年の奥野田争議など農民運動に参加した。
奥野田争議は山梨県東山梨郡奥野田村(現・甲州市)で起きた小作争議である。発端は、凶作を理由に農民側が小作料の引き下げを申し立てたところ、地主が土地を取り上げるために法廷戦に持ち込んだことにある。『山梨農民運動史』(竹川義徳著・大和屋書店)などによると、小作人たちは全農県連合会に応援を求め、
「骨が舎利になっても土地は放さない」
と抵抗した。地主側が取り上げた土地に粟の蒔き付けを強行したため、農民たちは鍬や鎌を持って殺到し、17人が検挙された。全農側は近隣から約300人の全農系闘士を集め、赤旗や組合旗を立てて示威行動を展開したという。
羽中田もその列に加わって駆け回ったのだろう。21歳である。
そこから流転の人生は加速する。
31年に山梨日日新聞社に入社し、翌年に読売新聞社甲府支局に転じ、妻を迎えると、またも上京して東京の聯合映画社、旭日映画社と職場を変えた。奥野田争議から10年後の40年には、読売新聞映画部に転職し、翌々年には社会部に移っている。
さっそく海軍報道班員として、南太平洋の潜水艦基地に従軍を命じられる。それが1年半続いた。
彼が乗船した伊号第11潜水艦は、オーストラリア沿海の海上交通破壊戦に参加し、5隻の艦船を沈めている。そのたびに敵駆逐艦の執拗な爆雷攻撃に耐え、漆黒の波間に浮上しては蘇生する。喘ぎながらまた潜る。頭上の敵を破滅させようという潜水艦の苦闘を、羽中田は新聞や著書『鉄鯨魂』で生々しく報じた。
「鉄鯨」とは日本潜水艦のことだが、連合軍によって127隻が沈められ、残ったのは52隻に過ぎない。現実は「鉄の棺桶」だったのである。伊11も最後には南太平洋で消息を絶っている。
だが、羽中田は無傷で棺桶から戻ってきた。
「警官に撲り殺されたのではないか」
終戦間際、彼の姿は千葉県佐倉市に疎開していた弁護士正木ひろしの自宅にあった。正木は冤罪事件の刑事弁護を引き受け、無辜の人々の救済に生涯を捧げた抵抗人である。
48歳の彼を一躍有名にしたのは、1944年1月の「首なし事件」であった。それは正木が警察官による拷問死を立証する過程で起こしたもので、羽中田はその真相を取材しているうちに、正木と親しくなったのだった。
事件の被害者は、茨城県那珂郡長倉村(現・常陸大宮市)にあった長倉炭鉱の鉱夫頭である。賭博の取り調べ中に脳溢血で倒れたとされていた。医師の診断や水戸検事局の結論も病死だ。ところが、石炭採掘場の人々は、
「花かるたに興じた仲間が、前日にも取り調べを受け、警官に棒や素手で殴られて失神したり、厳冬の中に裸で放置されたりした」
「死んだ男は頑健で脳溢血の血統でもなかった。警官に撲り殺されたのではないか」
と言う。当時は警官や憲兵たちによる拷問が公然と行われており、警察や検事局は全く相手にしてくれない。調査依頼を受けた正木は憤然とし、深夜、埋葬された寺に忍び込んで、死体を墓から掘り返した。
それどころか、首をノコギリとメスでちょん切ってバケツに入れ、満員の列車で東京に持ち帰って鑑定に出した。乗り合わせた乗客は風呂敷に包んだバケツから腐臭がするのに気付き、鼻をふさいでいたという。他殺の証拠を捨て身で押さえたのだ。もちろん違法である。
それをもとに当局鑑定のウソを暴き、拷問致死や証拠隠滅容疑で告発したのだが、正式な鑑定人が死体を掘り出したときには、首がついていなかったから誰もが仰天した。検察当局は激怒して墳墓発掘罪や死体損壊罪で起訴する構えを見せる。だが、正木は1937年に3000部で創刊していた個人雑誌『近きより』にいきさつを詳細に暴露し、逆に警察や検察、医師の非道を訴えた。
そして、事件から10か月後、水戸地裁が拷問を加えた警官に無罪を言い渡すと、正木は裁判長を「卑怯者!」と面罵した。あきらめない男なのである。
正木が拷問死を立証し、最高裁で警官を有罪に追い込んだのは、実に11年後のことである。
日本で最も有名な弁護士
私は高校生のころに、朝日新聞論説委員の扇谷正造が編纂した『私をささえた一言』(青春出版社)を読み、正木の存在を知った。これは著名人100人を支える言葉を集めた新書だが、その中に、
〈今日にいたるまで、自己の良心を売らずに何やかやと、生計を営なみ、権力悪と闘ってこられた〉
という正木の一文があった。
——なんと格好のいい言葉だろう。
私はほれぼれとした。
首なし事件の後も、正木は三鷹事件や静岡県の丸正事件、山口県の八海事件、大分県の菅生事件など、全国各地の冤罪や再審事件を十数件も手掛け、日本で最も有名な弁護士になっていた。
※本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています。この連載「 記者は天国に行けない 」を第1回から一気にお読みいただけます。
第1回 源流の記者
第2回 アパッチ魂
第3回 第一目撃者
第4回 文と度胸
第5回 悪郎伝
第6回 「墓場に持って行かせるな」30年を超えて暴かれた電力業界の闇
第7回 執着の先のバトン 孤独な調査報道を結実させた記者たち
第8回 母は無罪だった 警察発表は疑いながら聞くものだ——オンライン記者が嚙み締めた教訓
第9回 畳の上で死ねなかった人々
第10回 赤旗事件記者
第11回 「たたずまい」の現在地
第12回 くちなしの人々
第13回 密やかな正義
第14回 メディア渡世人
第15回 パブリック・エネミーズ
第16回 朝駆けをやめたあとで
第17回 わたしは告発する
第18回 弱い人を台なしにしやがるのは人間どもだ
第19回 「捜査の職人」の遺言
第20回 時代の“斥候”
第21回 ローリングストーン
第22回 座を立て、死角を埋めよ
第23回 「やるがん」の現場へ
第24回 情けをかけてはいけません
第25回 辞表を出すな
第26回 奇道を往く
第27回 スカウトは獲ってなんぼや
第28回 それが見える人
第29回 誰も書かないのなら
第30回 OSが違っていても
第31回 志操を貫く
第32回 曲がり角の決断
第33回 告発前夜
第34回 独裁者の貌
第35回 悪名は無名に勝るのか
第36回 おかしいじゃないですか
(清武 英利/文藝春秋 2022年2月号)
外部リンク
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