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「自分にもプラスになるものがあると…」西山朋佳女流三冠との“VS研究会”を木村一基九段と行方尚史九段が受けるまで

文春オンライン / 2024年11月7日 11時0分

「自分にもプラスになるものがあると…」西山朋佳女流三冠との“VS研究会”を木村一基九段と行方尚史九段が受けるまで

西山朋佳女流三冠

 史上初の女性棋士誕生なるか!?

 将棋の“棋士”と“女流棋士”は制度が違い、藤井聡太七冠に代表される“棋士”になるためには、はるかに高いハードルが存在する。そして、これまで女性で棋士になれた者はいない。西山朋佳女流三冠が挑む棋士編入試験五番勝負第2局が、10月2日に東京・将棋会館で行われた。第1局に勝利した西山は、あと2勝で合格を勝ち取ることができる。試験官には若手の俊英たちが揃う。果たして編入試験の行末に、勝利の女神は微笑むのだろうか――。

コロナに感染するも、予定通りの対戦を決断した理由

 対局開始時間が迫っていた。しかし、試験官の山川泰煕四段は、まだ現れていない。取材陣が、さりげなく時刻を確認している。

 下座に座った西山朋佳女流三冠は、時折咳き込むとハンカチを口に当てた。明らかに体調が悪いことが感じられた。編入試験は持ち時間が各3時間で、使い切れば一手60秒の秒読みになる。昼食休憩を挟んで、終局まで7時間近くを戦わねばならない。

 この日から5日前、西山が新型コロナに感染し、療養のため白玲戦第4局が延期になったことが発表された。報道関係者の多くが編入試験も延期されることを予想したが、西山が決断したのは予定通りの実行だった。

 その理由として、彼女は編入試験と並行して女流タイトル戦の白玲戦を戦っており、さらに女流王将戦と女流王座戦も始まろうとしていた。トリプル・タイトル戦の相手はいずれも福間香奈女流五冠である。その福間は妊娠を公表し、11月中旬より休養することになった。そのため両者の対局スケジュールはかつてないほどの過密を呈して、西山は日程の変更が難しいと判断した。

 開始前4分を過ぎて、山川が入室した。一礼をして、足早に取材陣のカメラの前を通りすぎる。筆者が山川を見たのは初めてだった。小柄だが床の間を背に座した姿には、周囲の視線に動じない雰囲気があった。 

 定刻になり、先手番に決まっていた西山は初手に五筋の歩をついた。振り飛車党が中飛車を指す上で有力な手であり、研究家として知られる山川はそれを想定していただろう。しかし、彼はすぐに盤上に手を伸ばさなかった。口元を強く結び、盤を見下ろしている。やがて、ゆっくりと飛車先の歩を持つと、指先に力を込めて打ち下ろした。

試験官としての胸中「モチベーションをどこに…」

 世間の評というのは酷なものだ。今回、試験官となる5人のメンバーが発表されたとき、山川への評価は低いものだった。西山が初戦の高橋佑二郎四段に勝利したときには、メディアや将棋ファンは3戦目の上野裕寿四段戦が山場になると予想した。第2戦の山川には、西山が勝つと思ったのである。

 試験官は棋士になってもっとも間もない5人が選ばれるが、中でも上野の実績は抜けていた。デビュー直後に新人王戦優勝を飾り、今回のメンバー発表後には加古川青流戦でも優勝している。一方で山川のプロデビュー後の成績は振るわない。勝率も5割を割り込み、新人棋士らしい勢いがなかった。

 山川自身も、そうした世間の声を知っていた。

「試験官の立場を迎えるにあたって、本当にいろいろなことを考えました。最終的に自分は“将棋指し”なので、できることは目の前の将棋をただ頑張ることしかないという結論に至りました」

 彼の胸中にあったものとは何だったのか――。

 この対局後に、山川から話を聞くことができた。彼が質問に答えるまでには暫しの間があり、発せられた声が少し上ずるのを感じた。

「本当に正直に言ってしまうと、将棋界のためには、どう考えたって“西山棋士”が誕生した方がいいんじゃないかと思ったんです。その方がより一層将棋界が盛り上がるという意味で……。でも、だからといって負けに行くのは違う。次に考えたのが、自分にはこの対局に何が懸かっているのだろうかと。何もないと思ったとき、モチベーションをどこに頑張ればいいのかと」

 この人は優しすぎる――。人間味あふれる言葉に好感を持ちながらも、彼が勝負の世界に生きることの辛さを思った。

西山朋佳 三段リーグの激闘

 木村一基九段に、作家の大崎善生から連絡があったのは7年ほど前のことだ。

「西山さんと将棋を指してもらえないだろうか?」

 西山が三段リーグ4期目を迎えた頃だった。その頃、大崎は羽生善治王座(当時)に中村太地七段(当時)が挑戦した第65期王座戦の観戦記を執筆しており、解説を務めたのが木村と行方尚史九段だった。

 木村は「大崎さんは、女性棋士が誕生することが将棋界の活性化に繋がるという考えだったのでしょう」と言う。観戦記の縁で大崎は木村と行方に、西山とのVS(1対1での研究会)を提案したと思われる。大崎の仲介があった後、西山は木村と行方に電話を入れて自分とのVSを願いでた。2人はこの申し出を受けることになる。

 棋士は親しさや温情で研究パートナーを選ぶことをしない。長く研鑽を重ねてきた相手でも、互いのステージが違えば、その研究会やVSは終了する。当時、行方は順位戦A級、木村はB級1組に在籍していた。木村はVS開始後の2019年に王位を獲得、A級復帰も果たしている。VSを受けた理由を問うと、2人は「自分にもプラスになるものがあると思ったからです」と答えた。

 大崎が西山を応援したのは、『将棋世界』誌での連載「神を追い詰めた少年―藤井聡太の夢―」の中で、西山を取材したことがきっかけだった。藤井が昇段を決めた三段リーグ最終戦で、対戦相手が西山だったのである。大崎は作品で多くの人の心を将棋界へと惹きつけたが、病のため今年8月に亡くなった。

女性が棋士にもっとも近づいた日

 木村には西山はどう映っていたのだろうか?

「棋士になりたいという気持ちは、強くあったと思います。熱心に勉強しているのを感じましたが、どこか自信のなさというか、繊細な面も見られた気がしました。それは三段リーグで戦っていれば性別に関係なくあるので、特別なことではないのですけれど。ただ西山さんは、あの頃は私の前では力強さをあまり出せていなかった気がします」

 行方は西山であれば女性棋士になれるのではと思ったのだろうか?

「それは正直わかりません。西山さんの豪快な振り飛車に魅力を感じていたので、一度指してみたいと思った覚えがあります。実際に指すようになり、三段リーグと女流棋戦の両方で大変だろうけど、ナチュラルに向き合っている姿勢にはいつも感心しました。女流との掛け持ちは、棋譜が世に出てしまうので他の三段と比べて不利な面もある。自分たちには想像がつかない厳しさもあったと思う」

 西山は三段リーグ参加8期目、最終日に連勝して14勝4敗の成績を残した。上位2名が四段昇段できる中で、惜しくも順位差による次点となったが、女性が棋士にもっとも近づいた日であった。当日は多くのメディアが将棋連盟に詰めかけており、連盟側は西山をカメラの前に晒すことを避けるために理事室で休ませた。対応にあたった理事の森下卓九段は、西山の眼に涙を見た。

「憔悴しきった感じでした。2連勝したときには、上がったという確信があったと思います。2番勝てば、必ず天が味方すると。競争相手が2人とも2連勝するとは予想しなかったでしょうから、結果を知った時のショックは大きかったはずです。もし自分が1敗でもしていたら、もっとサバサバしていたと思うんですけどね」

 西山はこの後に三段リーグを2期戦ったが、年齢制限まで1期を残して退会し、2021年4月1日、女流棋士への転向を公表した。

プロと技術的に遜色がなくてもプロになれず苦しんでいる人も

 木村は三段リーグで13期・6年半を費やした。四段昇段のためには、何が必要なのだろうか?

「どうやったらリーグを抜けられるかというのは、今になってもわからない。結果的に一生懸命やり続けたことが実を結んだということです。ただ同じことをやっても四段になれない人もいたわけで、どこがラインかというのは、今になってもわからないところがある。私の弟子も今リーグにいますが、プロと技術的に遜色がない人たち、中にはそれ以上と自負できる人もいると思いますが、彼らがプロになれずに苦しんでいることには、複雑なところがありますね」

 三段リーグからプロデビューできるのは1期につき上位2人。次点2回による昇段、編入試験合格者が加わる場合もあるが、原則的に年間で4人しかいない。これは各棋戦の出場枠の関係で、現役棋士の数を一定に保たなければならない連盟の事情がある。

 西山が退会届を出した翌日、木村と行方は一献を交えた。急には来られないだろうと思ったが、西山にも声をかけてみるとその場に駆けつけた。誰も三段リーグの話題には触れなかったという。たわいもない話で酒が進んだ後、西山は「おせわになりました」と感謝を伝えた。約2年半に渡ったVSは、ここで終わりを迎える。

木村が西山に感じた変化

 女流棋士のレベルが大きく上がったと言われるのは、10年ほど前からである。女流五冠であった福間香奈(当時・里見姓)が、女性初の奨励会三段に昇段したのが2014年。翌年に西山も三段リーグ入りを果たした。まだ女流棋士の資格は得ていなかったが、リーグ在籍中に女性奨励会員として参加できる女王と女流王座、女流王将の三冠を達成する。2人は棋士公式戦にも参加し、勝利の実績を積み上げていく。

 西山が今回の編入試験資格を得るまでの勝利数には、木村と対戦したNHK杯戦での一局も含まれている。木村は西山に変化を感じたという。

「彼女は勝ってもおかしくないくらいの自信を持っていたんじゃないかと思います。女流棋士一本になってから、伸び伸びと指している印象がある。対局するにあたって、西山さんの棋譜を調べたのですが、同じやり方を2戦連続では使わない。的を絞らせないようにしている。序盤も緻密になっているのを感じました」

女性の奨励会員が少ない理由

 昭和の時代には、将棋は勝負が厳しく女性には向かないと言われた。しかし、頭脳ゲームにおいて性別で大きな差があるとは考えにくいので、競技人口の圧倒的な差が男性に適した印象を強くさせていたのだろう。

 現在も奨励会には女性会員は少なく、今年10月の時点で約200名の中に女性は1人しかいない。歴史的にみてもこれまで奨励会に在籍した女性は21人だけである。女性の奨励会員が少ない現状について、森下はこう話す。

「今年の奨励会試験に竹内優月女流2級が合格しましたが、東西を合わせても女性は彼女だけという状況です。受験する女の子が、ほとんどいない。奨励会を目指す子たちが入る研修会で、B1クラスまで上がれば女流2級としてデビューすることができますから、“棋士”の道を目指すよりも、“女流棋士“としてやっていく方が賢明だと判断している人が多いのではないか」

 かつては女流棋戦が少なく、賞金や対局料も棋士の公式戦とは大きな開きがあったが、現在ではだいぶ見直されてきている。女流タイトル戦だけでも8棋戦あり、最高ランクの白玲戦のタイトル料は棋士のタイトル戦と並ぶ金額だ。またABEMAやイベントなど、女流棋士が出演する仕事が増えている。

「女性が奨励会を受けないというのも、今は立派な選択の一つだと思います。やはり奨励会に入っても、棋士になれない人の方が圧倒的に多いわけですから。もし私に女の子の弟子がいましたら、女流の道を勧めると思います」

 現在の女流棋界は西山と福間が二強時代を築き、タイトルを分け合う状況が続いている。それでも西山も福間も棋士の道を目指した。森下は言う。

「挑戦して女性として初の棋士になりたいという思いは、2人ともすごく強いでしょうね。自分が初の女性棋士になりたいという気持ちは。今でも棋士の公式戦に出場していますが、あくまで別枠での参加です。まったく同じ立場、条件で藤井聡太七冠や羽生善治九段と対戦するというのは、西山さんも福間さんも憧れなのではないでしょうか」

写真=野澤亘伸

〈 「弱い試験官と思われてしまうのは…」山川泰煕四段が編入試験にかけていた“覚悟”とは 〉へ続く

(野澤 亘伸)

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