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「弱い試験官と思われてしまうのは…」山川泰煕四段が編入試験にかけていた“覚悟”とは

文春オンライン / 2024年11月7日 11時0分

「弱い試験官と思われてしまうのは…」山川泰煕四段が編入試験にかけていた“覚悟”とは

山川泰煕四段

〈 「自分にもプラスになるものがあると…」西山朋佳女流三冠との“VS研究会”を木村一基九段と行方尚史九段が受けるまで 〉から続く

 編入試験第2局は、山川泰煕四段の完勝だった。西山朋佳女流三冠の投了と同時に、カメラマンと記者は一斉に対局室に向かった。普段であれば勝者に向けられるカメラの多くは、西山の姿をとらえていた。無数のシャッター音が響いた後、代表記者の質問が勝者に向けられる。

 山川は一つ一つの言葉を慎重に、心を辿るように答えていた。質問が敗者へと移る。西山の声はいつになく細かった。体力的にも精神的にも疲れを感じさせた。

たった5局で判断されるのは酷なこと

 森下卓九段は、編入試験の厳しさをこう表現する。

「西山さんと福間さんが、棋士になっても通用する地力があるのは言わずもがなです。藤井聡太七冠が負けることがあってもおかしくない。ただ、これまで頑張ってきたことが、たった5局で判断されるのは酷なことだと思わざるを得ないです。アベレージの力で判断されるならともかく、試験ではどうしても手が伸びなくなる。福間さんもそうでしたが、負けられないと思うと、どうしても……。落ちれば、またゼロから始めなければなりませんから」

 感想戦が終わり、西山が席を立った。山川はまだ残っていたが、カメラマンと記者は配信のために一人、二人と退室していく。筆者以外の取材者が誰もいなくなっても、山川は姿勢を正して盤を見つめていた。瞑想するような静かな時間が流れた後、礼をしてゆっくりと立ち上がる。少し間を置いてから、その背中を追った。4階のエレベーター前に山川の姿が見えた。挨拶をした後、これから少し話を聞けないかと聞くと、彼は「大丈夫です」と受けてくれた。

 近くの店に入り、彼にオーダーを聞くと飲み物だけでいいという。二人分のソフトドリンクと軽めの食事を頼んだ。初めて話す山川は、物腰の柔らかい礼儀正しい青年だった。

調子自体は悪くないと感じたので悲観はしていなかった

 現在ではネット上に非公式ではあるが棋士の実力を示すレーティングが公開されており、リアルタイムでの強さが可視化されている。SNSには五番勝負を予想する様々な声が書き込まれていた。

「確かに思うように勝ててはいない部分はありますが、自分が負けている相手は、活躍して勢いのある方が多かった。内容を振り返ったときに、調子自体は悪くないと感じたので悲観はしていなかったです。ただ将棋ファンの方は成績だけを見られると思うので。勝っていないですからね、私は……。今回のように試験官をしても弱い相手と思われてしまうのは仕方ないです」

 世論が期待しているのは、女性棋士の誕生だ。そして、自分はこの対局に何を懸ければいいのかわからない。山川は、2022年に行われた里見香奈(現・福間)女流五冠の編入試験で試験官を務めた岡部怜央四段に気持ちのことを相談した。岡部もやはり、どのような心境で試験官という立場を務めればいいのか悩んだという。そのときに、ある棋士に言われた言葉を山川に伝えた。

「編入試験を受ける立場の人は、何か特別な力がかかっている。そういう相手と戦うのは、いつもの対局よりも難しい。だからこそ、勝つことに意味があるんじゃないのか」

 試験官に決まってから、師匠の広瀬章人九段との研究会があった。

「自分は棋士として舐められているところがあるので、勝つつもりでいきます」

 山川の言葉を聞いた広瀬は試験日を聞いた。

「10月2日です」と答えると、「その日は空けておくよ」と言った。

「師匠はABEMAで私の将棋を解説したかったみたいです。他の先生が担当されることになって、残念だったと思うんですけど」

父親から盤と駒を買ってもらうとすぐに夢中になった

 山川が将棋を覚えたのは、小学1年のときだった。一人っ子で体が弱く、スポーツや友達と外で遊ぶことがあまりできない息子に、父親は何か一つでも自信を持たせてあげたかった。将棋なら家の中でも遊べるし、良いのではないか? 自分もルールくらいしか知らない程度だったが、息子に盤と駒を買って与えるとすぐに夢中になった。

「棋書を買ってもらうと、漢字が読めなくても逆さまにしたりして図面を見ていたそうです。学校から帰ってくるとすぐ将棋で、もちろん土日も。当時宮城県に住んでいたのですが、天童の駅前交流室に通っていました。でも雪の時期になると車で通うのが不便で、仙台にある杜の都加部道場に行くようになりました」

 しだいに体力もつき、病気をすることも少なくなっていた。

 小学4年のときに父親の仕事の関係で家族は東京へと引っ越した。山川はアマ強豪や奨励会員、若手プロが集う蒲田将棋クラブに通うようになり、棋力が目覚ましく向上していく。小学6年で全国小学生名人戦、倉敷王将戦高学年の部で優勝を飾る。奨励会を受験したいと言ったとき、母親は「あなたは優しすぎるから勝負の世界には向いていない」と心配した。それでも一人息子の気持ちを尊重し、賛成してくれた。

 師匠の広瀬とは蒲田将棋クラブでの出会いが縁だった。当時、広瀬はすでにプロデビューしており、早稲田大学にも通う学生棋士であった。

「師匠は学業と棋士を両立されていて、とても尊敬していました。私から弟子にしてほしいとお願いしました」

奨励会員から見た編入試験制度

 奨励会には全国から天才と呼ばれる子たちが集まる。山川は2級のときに壁にあたり、昇級できずに精神的にも追い込まれた。

「自分一人では、どうにもできなかったと思います。家族の支えがあり、共に切磋琢磨してきた同世代が先へ行って棋士として活躍している姿を見て、自分も頑張らねばと気持ちを保っていました」

 三段に昇段したのは19歳のときだった。入会から7年が過ぎていたが、奨励会では「三段になってやっと半分」ともいわれる。正に、山川にとっての正念場は、ここからだった。リーグ戦では勝ち星が伸びず、指し分けか負け越しが数年にわたって続く。

 高校卒業後は大学に進学せず、将棋一本で頑張る決意をする。だが、周りが学生生活や就職をしていく中で、何も肩書きのない宙ぶらりんな自分を苦々しく感じることもあった。

 この期間に編入試験が3度行われ、折田翔吾(元奨励会三段)と小山怜央の2人が合格した。小山は奨励会を経ずに現行制度で初めてアマチュアから棋士になり、棋界関係者の中にも驚きの声があった。奨励会12年目を迎えていた山川の胸中に、複雑なものはなかったのだろうか?

「自分の対局で精一杯で、気にしている余裕はなかった。編入試験については、将棋界は割と閉鎖的に思える中で、開かれた制度に思えます。不公平とか反対するような気持ちはありませんでした」

失いかけた自信を救ってくれた母の言葉

 永瀬拓矢九段の研究会に誘われたのは、23歳のときだった。永瀬の将棋に対する姿勢に触れ、己の努力の足りなさを知った。意識なのか、技術なのか、何かが変わり始めていく。リーグでの勝ち越しが増えていき、リーグ13期目には14戦目を終えて12勝2敗で、初めてトップに立った。次の例会で連勝すれば、最終日を待たずに昇段の可能性がある。しかし、プレッシャーから、よもやの連敗を喫してしまう。このチャンスを逃せば、26歳の年齢制限まで残り2期しかない。

 自分は何者にもなれないまま、終わってしまうのか……。

 失いかけた自信を救ってくれたのは、母の言葉だった。

「精一杯やって駄目だったら、それはあなたが進む道ではなかったのです。でも、必ず他にあなたが輝ける道があるから、失敗を気にせずにやりなさい」

 最終日、「よい将棋を指そう」とだけ思った。千駄ヶ谷駅を出て将棋会館へと向かう。見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。

 その日は連勝してトップでの昇段を決めた。最初に連絡をしたのは母だった。

「四段になれました」

 そう伝えると、涙が溢れてきて言葉が出ない。電話の向こうの声が、力付けるように言った。

「これから取材とか会見があるのだから、泣いていては駄目ですよ」

「将棋世界」誌に載った永瀬の言葉を胸に刻み、対局に臨んだ

 奨励会では20歳を過ぎると誕生日が来るのが怖くなるという。山川は、もし棋士になれなかったらと考えたことはあったのか?

「年齢制限ギリギリになっても不思議と将棋以外のことをしている自分の姿が、想像できなかった。何をやっていただろうと思うことはありますけど、他のことをしている自分は、あまり浮かんでこないです」

 同世代が先を行く悔しさは感じていたのだろうか?

「彼らが本当に苦労して頑張っているのを見てきているので、悔しい気持ちがないわけではないのですけど、みんな報われて良かったなという気持ちが先行しちゃうんですよね」

 編入試験直前に、「将棋世界」誌に載った永瀬の言葉を読んだ。

 試験官の棋士には、本当に人生を懸けて戦ってほしい――。

 それを胸に刻み、対局に臨んだ。当日の西山の体調は良くなかった。試験の延期も可能だったが、過密日程の中でスケジュールの調整が難しいと西山自身が判断したようだ。山川はいう。

「できれば万全の西山さんと、こうした状況下で戦ってみたかった。彼女が延期を望めば、それでも良かったのですが、今日、盤の前に座るという決断をした以上、その気持ちをリスペクトして、相手がどういう状況であっても、私は目の前の将棋に集中するだけだと思っていました」

 当日はいつも通りの時間に家を出たという。対局場にギリギリで入ってきたのは、電車の遅れのためだった。ただ現場の空気に呑まれないように、遅めの方がいいのではと考えていた。もし普段通りに席に着いたならば、多くのカメラが向けられる中で、繊細な山川の感性は西山の勝利を望む声に包まれていたかもしれない。

現在の若手棋士たちの日常

 気付くと店に入って1時間が過ぎていた。山川は疲れていたはずだが、質問に誠実に答えてくれていた。

「対局の後は、家に帰って必ずその日のうちに棋譜を振り返ります。それを終えた時点で、次の対局へと気持ちが切り替わる。明日も研究会です。月に15日から20日くらい入れていたのですけど、さすがに20日はなかなか回らない」

 公式戦やイベントなど普及の仕事を入れれば、月のスケジュールはほとんど埋め尽くされるだろう。山川だけに限ったことではなく、これが現在の若手棋士たちの日常なのだ。

 西山の編入試験成績は1勝1敗となった。上野裕寿四段との第3局は、11月8日に関西将棋会館で行われる。

写真=野澤亘伸

(野澤 亘伸)

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