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「お見合い50回しても結婚が決まらないんだったら僕が…」元・商社マンの村田知晴さん(43)が京都の名料亭に婿入りした理由

文春オンライン / 2024年11月16日 6時10分

「お見合い50回しても結婚が決まらないんだったら僕が…」元・商社マンの村田知晴さん(43)が京都の名料亭に婿入りした理由

©志水隆/文藝春秋

 京都・東山にて1912年に創業した料亭「菊乃井」の次期四代目である村田知晴さん(43)。京都人でもなく、料理人でもなかった村田さんが、10年間のサラリーマン生活から未知なる京料理の世界に飛び込むまでのエピソードと、その根底にある思いを聞いた。(全2回の1回目/ 続き を読む)

まったく知らなかったんですよ。

――京料理の老舗「菊乃井」の若主人である村田さんですが、まったくの異業種からの転身で、きっかけはご結婚だと。お料理のご経験は?

村田知晴さん(以下、村田) まったくないです。料理はつくったこともなかったです。

――料理初心者から名料亭の厨房へ、しかも次期四代目となられることに、葛藤や迷いはありましたか?

村田 葛藤というか……僕はまったく知らなかったんですよ。妻の実家が「菊乃井」であることも、料亭という世界が存在することも、いっさい知らなくて。

――えっ。

村田 もちろん料亭という言葉は知っていましたが、行ったこともなければ、そこでどんな料理が出されて、なにがおこなわれているのか、想像したこともありませんでした。

――「菊乃井」という店名は?

村田 ぜんぜん知らない。妻からは、「実家は京都で飲食店をしている」というふうに聞いていたので、頑固親父が一人でやっている町家の小さな居酒屋か、おでん屋みたいな感じかなと。

 頑固親父なんて言ったら、大将に失礼ですけれども(笑)。

――お義父さまのことは「大将」と?

村田 店では「大将」、家族といるときは「お義父さん」ですね。

奥さまとの出会い

――「菊乃井」といえば、2013年、和食をユネスコの「無形文化遺産」に押し上げるなど、三代目主人の村田吉弘さんによるご活躍を知る人も多いかと思います。

 そのご長女である奥さま(若女将の村田紫帆さん)とは、どのように知り合われたのでしょう?

村田 大学の同級生で、同じサークルだったんです。僕は群馬県出身で、京都の大学に進学して、初めてのひとり暮らし。彼女は、東山の実家から大学に通っていました。ただ在学中は顔見知りくらいの関係で、彼女の実家どころか、本人のこともあまりよく知らなかった。

 卒業後は、僕は大阪に本社がある商社に就職が決まり、配属先の東京でサラリーマンに。妻は実家で若女将業をスタートするわけですが、そのことも、当時はまったく知りませんでした。

「お見合いを何十回もしているけどうまくいかない」

――そこから、お付き合いに至るきっかけは?

村田 なんだったかな、東京に行くからって、向こうから電話があったのかな。卒業後も仲間内のメールのやりとりに名前を見つけて生存確認はしていたのですが、おそらく同級生のなかで東京に住んでいたのが僕だけだったからじゃないでしょうか。いまから思うと、「菊乃井」の支店が赤坂にあるので、出張のついでだったのかもしれません。

 そうこうするうちに友だちとしての交流が始まって、よく電話で話すようになるなかで、彼女が「お見合いを何十回もしているけどうまくいかない」と。

――何十回。

村田 30回か、50回くらいはやってたのかなあ。

なんで結婚できへんのやろ

――結婚相手との出会いにお見合いは決して主流ではないなかで、老舗のお嬢さんならではのご事情があったのではないかとお察しします。

村田 親に言われていたみたいですよ。おばあちゃんが勝手にお見合いの予定を入れてくる、みたいな。なんでもいいから結婚せえ、という感じだったんじゃないですかね。

 僕はそのときに、なんで結婚できへんのやろって、思ったんですよ。「うまくいかないのはあなたの性格に問題があるんじゃないの」とか、半分冗談で話してたんですけど、お見合い50回しても結婚が決まらないんだったら、僕が結婚するわという気持ちはありましたね。お互い30歳を過ぎていましたし、適切な単語かどうかわからないですけど、適任だなって。結婚するなら絶対この人だっていう、強い気持ちがありました。

こんな世界があるとは想像もしていなかった

――結婚を意識されたときは、もう「菊乃井」の存在を?

村田 まったく知らない(笑)。さっきもお話したように、こんな世界があるとは想像もしていなかったですから。若さもあって、多少軽く考えていた部分はあるかもしれませんが、個人同士が好きになって結婚するんだから、これは僕らふたりの話なんだ、という発想しかなかったです。

――婿入りのお話は、どのタイミングであったんですか?

村田 入籍前だったと思います。僕はサラリーマンをやっていましたから、婿に入ってほしいといわれても、具体的には「苗字が変わる」という話だったので、別にそんなのどうでもいいじゃんって。自分の苗字が変わっても、人間が変わるわけではないですから。両親からも「いい大人なんだから(自分でちゃんと考えて)好きにしろよ」と言われました。

ドラマみたいな両家の顔合わせ

――両家の顔合わせは、東京で?

村田 顔合わせはねえ、京都です。まさに、この部屋です(「菊乃井 本店」の座敷の個室)。そのとき初めて、「え、こういうお店をやってるんだ」って。ちょっと自分がイメージしていた感覚と違うなと。

――建物もしつらいも静謐で趣があって。お部屋の窓から眺めるお庭も素晴らしいです。

村田 うちの両親なんて緊張しちゃって。僕もすごくしましたけど。

 じつは顔合わせよりも前に、妻から「家族を紹介する」と言われて、僕はてっきり向こうの家に行くものだと思っていたんです。そうしたら、まずは女将さん(義理の母)と四条通の喫茶店でお茶をして、次に京都ホテルオークラ(当時)のフランス料理店で、初めて大将に会いました。そのときは、女将さんと、おっきい女将さん(義理の祖母)も一緒で、妻も含めて5人で食事をしました。

――ご自宅には、あえて招かれなかったのでしょうか。

村田 家に行くと必然的に店の前を通ることになるので、従業員の目があったからだとは思いますが、結婚して何年か経って、おっきい女将さんのところにお仏壇を拝みにいったときに、大女将さんがぽろっと言ったのは、「菊乃井の娘やって、言わんときよしって、紫帆に言うときましたんや」って。「そんなん言うたら、(相手に)逃げられますさかいに」「紫帆ちゃん、言わんときよし」って。

「あーそうですかー、ありがとうございまーす」って、部屋を出てきたんですけど。

――ドラマみたいですね。

面接みたいな、店の常務取締役との食事

村田 それと、女将さんに会うよりも前に、うちの店の常務取締役と東京で会いましたね。

――番頭さんのような方でしょうか。

村田 そうですそうです。あとから聞いたところ、「紫帆と結婚するやつと一回会っとけ」って、大将から何回も言われたらしくて。いまでもよく覚えてるんですが、日曜日のお昼に品川駅近くのレストランに呼ばれて出かけて、「お仕事は何をされているんですか?」とか、いろいろ質問されて。この人は誰なんだろう、よくしゃべる人だなあと思いながら、ビールを飲んで食事をしました。

――その次のステップとして、女将さんと四条通の喫茶店で。

村田 いま考えると面接みたいですね(笑)。

 そのときはわかりませんでしたが、女将さんは毎日ものすごく忙しいので、お店の昼と夜の営業時間の合間に、わざわざ時間をつくって来てくれたと思うんですよ。ちょうど時間帯もそれくらいでしたし、簡単に自己紹介して、「どんなお仕事をされているんですか」という質問をされて、一瞬で終わりました。

嫌だったら、そもそも会社を辞めていなかった。

――村田さんの場合、それまでのキャリアを手放して、料亭の世界に入られたわけですよね。なにかを選ぶとき、なにかを手放す勇気が必要で、それはある意味すごく怖いことでもあるのかなと。

村田 これはネガティブに捉えないでいただきたいんですけど、僕は自分のキャリアを捨てるつもりはなかったので。結婚してもしばらくは、サラリーマンをやっていましたから。

 結婚が決まったとき、なんとなく将来的に、妻の実家を手伝うのかなあということは察していました。ただ自分の人生は自分で選ぶものですし、僕にはサラリーマンとして、商社の営業職としてお客さんがたくさんいるし、上司もいるし、部下もいる。このまま仕事を続けようと、入籍後、会社に事情を説明してひとまず京都に近い名古屋支社に転勤になりましたが、最終的には「家の仕事を手伝う」ということで退職しました。

――どれくらいのタイミングで?

村田 10カ月後くらいかなあ。でも、よかったと思ってますよ。僕が本当の意味で(家の仕事を手伝うのが)嫌だったら、そもそも会社を辞めていなかった。

 当時僕は34歳で、いずれ店を継ぐことになるのなら、なるべく早いほうがいいと思いましたし、そのときは「菊乃井」とか「日本料理」とか「料亭」がどういうものであるか、「(三代目主人の)村田吉弘」や「京都」がどういうものなのか、なにもわかっていなかった。だからできたことかもしれないです。

愛する人が幸せに近い状態でいるには、どうすればいいか

――知らない世界に飛び込むのは、怖くなかったですか?

村田 怖かったですよ。不安だらけで。どんな人がいるのかもわからないじゃないですか。存在すら知らなかった世界で、僕はなにをするんだろうって。

 ただ僕はいつも優先順位を考えるんですよ。そうなると、妻の存在なんですね。彼女にとって、何がベストな状態か。何をもってベストとするかは考えにくいにしても、どうすれば彼女がベターな状況になるのか。自分が愛する人が幸せに近い状態でいるにはどうすればいいか考えたときに、いますぐ家の仕事を手伝ったほうがいいよねって、自分なりに考えたのだと思います。

――紫帆さんからこうしてほしいと言われたことは?

村田 一度もないですね。一緒にやってくれとも言われないし、店に入ってくれとも言われない。いまだになんにも言われないです。

撮影 志水隆/文藝春秋

〈 「トルドーさんの料理は2倍の量で」30代で下足番からキャリアをスタートさせた老舗料亭の“養子さん” 村田知晴さん(43)が、広島サミットで料理をつくるまで 〉へ続く

(中岡 愛子)

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