「佳子さまは『お怪我は大丈夫ですか?』と…」人間国宝・山岸一男が語る〈輪島塗と能登“二重被災”〉
文春オンライン / 2024年11月13日 7時40分
佳子さまにご説明する山岸一男氏(左) ©共同通信社
10月29日、秋篠宮家の佳子さまは石川県立美術館を訪問し、自身が総裁を務める日本工芸会が主催する「日本伝統工芸展」を見学した。
佳子さまをご案内したのが、輪島塗の装飾技法「沈金(ちんきん)」の重要無形文化財保持者(人間国宝)である山岸一男氏だ。元日に発生した能登半島地震では左肩を骨折。現在は金沢市のマンションに2次避難をしている。
山岸氏が、自身が出品した≪間垣晩秋≫という紫の合子(ごうし)について説明すると、佳子さまは「お怪我は大丈夫ですか?」と気遣ってくださったという。
山岸氏が振り返る。
「佳子さまはとても優し気に声をかけてくださいました。作品に使われる貝の種類についてご説明したのですが、すぐに理解してくださった。漆芸作品の材料や技法について、とても造詣が深かったのが印象的でしたね。最後は『また良い作品を作ってくださいね』と声をかけてくれて、握手をしてくださった。他にもご案内した人間国宝の先生方がいたのですが、私が地震で怪我をしたことを気にかけてくださったのでしょう。他の先生方からは、『山岸さん、特別扱いされてるね』と言われてしまいました(笑)」
約8割が被害を受けた輪島塗の従事者
元日の能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市。追い打ちをかけるように、9月21日には奥能登豪雨が発生した。道路は濁流にのまれ、各地で電気と水道が止まり、地震後に作られた仮設住宅も次々と水没。少しずつ復興が進められる中で、異例の“二重被災”に見舞われた。
なかでも存続の危機に瀕しているのが、伝統工芸の輪島塗だ。輪島塗の従事者は市内に1000人ほどいるが、能登半島地震によって約8割が何らかの被害を受けたとされる。「文藝春秋」11月号に掲載した「 日本の顔 」では、山岸氏が、「災害に負けない」と能登の復興に向けた思いを気丈に明かした。しかし、その道のりは決して生易しいものではない。ここでは、現地取材によって見えてきた現状を伝える。
全壊した輪島市の自宅
山岸氏自身、地震で輪島の自宅が全壊した被災者だ。現在は2次避難先である金沢市のマンションで輪島塗の作品を作っている。
9月の豪雨では、輪島の自宅車庫に土砂が流入。輪島市の住民はいま、“二重被災”に苦しんでいる。
「豪雨では中学3年生の女の子が命を落としましたが、彼女の祖父は輪島塗の職人さん。私もよく知っている方ですから、衝撃を受けましたし、大変心を痛めました。なぜ1年間に2回もこれほど大きな災害に襲われるのか、せっかく復興に向けて少しずつ歩み始めたところだったのに……。そんなことを言っても仕方がないのですが、悔しい思いでいっぱいです」
取材班は豪雨の前から山岸氏に密着していた。8月5日、金沢市のマンションを訪ねて取材をスタート。マンション内に設けた工房で、制作途中の作品に、実際に刃物で文様を刻み、溝に金箔を押し込む沈金の技法をやってみせてくれた(下の写真)。
その際、数十本もの沈金刀はじめ、1976年の日本伝統工芸展で初めて入選した≪沈金草花文色紙箱≫を制作した際に、自らデッサンしたナナカマドの花の下絵も取り出してくれた(下の写真)。
だが、仮設の工房ならではの悩みも吐露していた。
「道具はすべて自宅からこちらへ持ち運びました。長年作業していた輪島の工房では、目をつむっていても、どこにどんな道具があるか把握していましたが、仮設工房はまだ慣れないですね。そもそも、日本家屋とマンションでは室内の湿度が違います。漆の作品は、365日24時間、温度と湿度を厳密に管理する必要があるので、その調整も難しい。試行錯誤しながら、制作に取り組んでいるところです」
輪島朝市は“焼け野原”に
気兼ねなくインタビューに応じてくれた山岸氏の様子が一変したのは、翌8月6日のことだ。この日、レンタカーを借りて輪島市に向かった。地震により各地で陥没していた能越自動車道はようやく通行止めが解除され、1週間前に両側通行が可能になった。だが、輪島市内に到着すると、全壊した建物があちこちにあり、まだまだ復興には程遠い現状。自宅が近づくにつれ、山岸氏の表情が曇っていった。
「そこの十字路をまっすぐ進むと私の家です」
山岸氏はそう言って道案内してくれたが、道路は大きく隆起し、車が通ることはできない。一本手前の道を曲がり、自宅前に車を止めると惨状が広がっていた。隣の家は全壊しており、無数の瓦礫が駐車場に停めた軽自動車を押し潰している。テレビでよく目にした市内中心部にある7階建てのビルも、基礎部分から横倒しになったまま(上の写真)。被災から半年以上経っているものの、ほぼ何も変わっていないのではと思われる光景だった。
山岸氏の自宅玄関のドアも大きく斜めに傾き、正面から邸内に入ることはできない。山岸氏は庭から敷地内に入ると、粉々になったガラスドアをこじ開け、土足で部屋の中に入った。
「お正月の準備をしていたけれど、全てダメになってしまいました」
床の間の壁は剥がれ落ちて内部の断熱材はむき出しとなり、初日の出が描かれた掛け軸は破れている。居間の壁には<新しい風>と記された、孫娘の書初めが掛けられていた。
「地震直後の記憶ははっきりしませんが、天井に吊り下げていた蛍光灯が落下して頭を直撃しました。ハッと意識が戻ると、同居している息子の妻が『お義父さん、早く逃げなきゃ!』と助けに来てくれ、すぐに家の外に避難したのです」
仕事机の前に腰かけた山岸氏は、こう溢した。
「前を向かなきゃいけないけど、この現状を見ると、やりきれないよね……」
この日は、地震直後の火災で全焼した「輪島朝市通り」も訪問した。だが、建物は一つもなく、文字通り“焼け野原”で、通りに200以上の露店がかつては並び、毎朝多くの人で活気を帯びていたとは信じられないほどだ。山岸氏も「これは酷いもんだね……」と呟くばかりだった。
被災直後は毎週東京へ
佳子さまが総裁の日本工芸会で参与兼漆芸部会副部会長を務める山岸氏。被災直後から、後進のために力を尽くしてきた。今年1月末には、東京で行われた日本工芸会の会議に出席。被災から間もない中で、自ら輪島の被害状況を報告した。被災時に骨折した左肩を三角巾で吊るす山岸氏の姿に、集まった役員たちからは、「山岸さん、来てくれたのか」と驚きの声が上がったという。
「輪島の職人さんたちは、自宅や仕事場が全壊して、いまだに道具や材料が充分に揃っていない人もいます。地元から選ばれた工芸会の役員として、『あの作家さんは、いま金沢の親戚を頼って避難していますよ』などと報告するのも大切な役目です。5月くらいまでは毎週のように東京に行っていましたから、妻からは『自分の身体のことも心配したらどう?』と言われるほどでした」
地震後は金沢市のマンションから週に1回、自宅の片づけのために輪島を訪れていた山岸氏。地元住民との交流は励みにもなった。毎朝、散歩の途中に立ち寄っていた自宅近くのカフェを訪れた時のことだ。知り合いが店にやってくるたびに「大丈夫か?」と労りの言葉をかけあい、笑顔を見せる。自宅近くの仮設住宅が立ち並ぶ一画の飲食店を訪れた際も、顔なじみの店主と長く談笑していた。
「知り合いが精いっぱい頑張っている姿を見ると、勇気づけられますね。ただ、お世話になった両親や師匠、先輩の職人さんたちのことを考えると、いま輪島を離れていることは、後ろ髪を引かれる思いがある。なかなか複雑な心境です」
本記事全文は、「 文藝春秋 電子版 」に掲載されています。
全文では、山岸氏が若者が漆を学ぶ環境を作るために尽力する姿、また復興のための政権への提言などを知ることができます。さらに、山岸氏の能登や輪島塗に対する思いは、以下の記事でも読むことができます。
■ 「山岸一男『輪島塗は災害に負けない』」〈日本の顔 インタビュー〉
■ 「日本の顔 山岸一男」
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 電子版オリジナル)
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