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「飛ばれた売掛金は高級外車3台分くらい」23歳で1000万プレイヤーになったホストが遭遇した“1晩で400万円失った日”

文春オンライン / 2024年12月12日 6時10分

「飛ばれた売掛金は高級外車3台分くらい」23歳で1000万プレイヤーになったホストが遭遇した“1晩で400万円失った日”

一条蘭氏

 新宿・歌舞伎町。ホストクラブが軒を連ねるこの街で、トッププレイヤーとして名を馳せたホストがいる。そのホスト、一条蘭氏(42)は23歳で1000万プレイヤーとなり、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

 だが、そんなトッププレイヤーでもいつかは第一線から退くときがくる。一条氏にホストとして業界トップに上り詰めた瞬間、プレイヤーを辞め“屈辱”を味わった瞬間をそれぞれ聞いた。(全2回の1回目/ 続きを読む )

◆◆◆

「一条蘭と申します。よろしくお願いします」

 歌舞伎町にあるホストクラブ「CLUB ALF」のテーブルに颯爽と現れた一条氏。「CLUB ALF」が所属するホストグループ「AIR GROUP」の「職業、イケメン。」というキャッチコピーにふさわしい顔立ちだ。

 AIR GROUPは歌舞伎町を中心に、大阪、名古屋、札幌、福岡でお店を運営しており、ホストクラブのグループとしては業界トップクラス。現在、「CLUB ALF」のマネージャーを務めている一条氏は、同グループ躍進の立役者とまで言われた人物だった。そんな彼は一体どんな経緯でホストを辞めることになったのだろうか。

「そもそも、僕はホストをやる気はまったくなかったんです。高校卒業後、地元の山形から上京してきてガソリンスタンドで働いていました。実家が裕福ではなかったので、専門学校への進学など自分の選択肢を広げるために、とりあえずお金を貯めたいと思っていたんです。それで2年くらい働いたら100万円以上貯まって、そろそろ地元に帰ろうと。当時の給料は寮の家賃を引かれて、手元に残るのは10万円程度だったのですが、全然遊んだりしなかったので、貯金は順調にできたんですよ」

「俺と一緒にホストをやらないか?」

 ただ、実家に帰る数日前に運命の出会いが訪れる。

「お前、かっこいいから俺と一緒にホストをやらないか?」

 昼間に渋谷のスクランブル交差点を歩いていたところ、真っ白なスーツを着た金髪の男から声をかけられたのだ。

「聞けば、埼玉でホストをやっていた男性で、これから歌舞伎町でホストをやると。でも、僕はその場で突っぱねたんです。その男性への第一印象もよくなかったですし、ホストそのものにあまりいいイメージを持っていなかったので。ただ、一応電話番号だけ交換したら、後日『お前なら絶対できる』みたいに、すごくアツく勧誘されたので、一回くらいいいかなと。そのくらいの軽い気持ちでホストを始めたんです」

ワンルームマンションからホスト生活をスタート

 こうして働き始めたのが、AIR GROUPの前身店舗である「ビームス」というホストクラブだった。ここで体験入店のような形で働き始めた一条氏だったが、働き始めてすぐにホストへの印象がガラリと変わったという。

「イメージしていたギスギス感がなくて。当時は従業員が10人ほどしかいなかったので、みんな仲良しでしたね。なので、こんな楽しい感じなら僕も働けそうだと思って、本格的にホストを始めたんです。特に大金が欲しいとか、有名になりたいとかは思ってなくて、楽しそうというモチベーションが強かったですね」

 こうして一条氏は、誘ってくれた先輩ホストとロフト付きワンルームマンションで共同生活をしながら、ホスト人生をスタートさせる。働き始めた当初は、ガソリンスタンド時代とあまり変わらない給料だったという。ただ、1年目の終わりには、月に「100オビ(100万円)はもらっていた」と一条氏は語る。

23歳で1000万プレイヤーに

「お店の先輩から、女性客が連れてきた初回のお客さんをご紹介いただいたりして、ちょっとずつ収入は増えていきました。当時のお店は、規模は小さいけどイケメンが多く、 “隠れた名店”と言われていたこともあるので、お客さんは絶えなかったですね。当時の僕は『お店でしか会えない男』という売り出し方をして、お客さんとは店外では会わないようにしていました。その代わり、毎日ほとんどのお客さんに、一人2分ずつ電話をかけていましたね。担当のお客さんは50人くらいいたので、毎日2時間近くかかっていました」

 お客さんの名前や電話番号などを手書きした表を作り、電話した人にはマルをつける。そんな一条氏の努力は実を結び、順調に客がつき始めた。一条氏のひとりの太客に頼るのではなく、組数で勝負するスタイルも奏功し、毎月の給料の“オビ”は徐々に増えていった。

「僕は23歳くらいで1000万プレイヤーになりました。今はゴロゴロいますが、当時の歌舞伎町で1000万プレイヤーは数人しかいなかったと思います」

 このほかにも一条氏は、2006年に全日本ホストグランプリで優勝するなど、歌舞伎町のみならず日本を代表するホストへとのし上がっていく。

遭遇した“修羅場”とは

 こうした実績から、一条氏はしばしば「AIR GROUP躍進の立役者」と評されることも多いが、本人としては、その自覚はないという。

「僕自身はそれなりに売上を立てられて、雑誌にも載せてもらったりしましたけど、当時の代表(現ATRグループ会長、桐嶋直也氏)が背中を押してくれたのが大きいです。当時、ホスト業界では珍しかった、音楽ユニット『A.G.E(エアーグループエンターテイメント)』の選抜メンバーでセンターも務めさせてもらい、CDデビューも経験しました。こうして周りのおかげで自然と『一条蘭』という名前が歌舞伎町に浸透していったんです。グループを背負っているという感覚はなかったです。ただ、振り返ると、そこが僕のホスト人生のピークだった気がしますね......」

 ホストといえば、近年女性客とのトラブルが報じられるケースがある。一条氏にはこうした“修羅場”はあったのだろうか。

「なんもないですよ。『彼女にしてほしい』とかは言われましたけど、僕は店外で会わないので、そこらへんの線引きはきっちりしていました。一回、僕のお客さんが会社のお金を横領して遊んでいたことがあって、お店に会社から電話がかかってきたことはありますね。一方で、お客さんの売掛金を回収できなかったこともあって、僕の誕生日で400万円のシャンパンタワーを入れてくれたお客さんに飛ばれたことがありました。そういう飛ばれた売掛金は、高級外車3台分くらいですかね......」

ホストのてっぺんとどん底を味わった

 売掛金とは、ツケ払いのことだ。客の代金をツケとして、店やホスト自身が立て替え、後日返済してもらうシステムである。

「お客さんから『ごめん、返済期限に間に合わない』『明日、持っていく』『体調が悪くて行けない』と連絡があり、次第に連絡が取れなくなるパターンが多いですね。誕生日のときの400万円が金額として一番大きくて、あとは100万円ほどがちょこちょこありました。ただ、飛ばれる側の自分にも原因があるという感覚もありました。なので、売掛で回収できなかった金額は、ホストとしての勉強代だと思っています」

 こうして順風満帆なホスト人生を歩んでいたように見える一条氏。しかしーー。

「僕はホストのてっぺんを味わったあと、考えもしなかった“どん底”を経験することになったんです」

〈 ホストで月収1000万→任せられた店が大失敗→30代で売れなくなり借金生活に…元トップホスト(42)が引退を決意した瞬間「老害っぽくなってるな」 〉へ続く

(清談社)

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