『アンパンマン』の生みの親・やなせたかしさんが故郷の高知県南国市で「言えなかったごめんなさい」を募集した理由
文春オンライン / 2024年11月14日 6時10分
「ものべがわエリア観光博」のポスター。落書きしたくなるほど「ごめん」のインパクトは強い?(ごめん・なはり線「後免町駅」待合室)©葉上太郎
「ごめん」という町があるのをご存じだろうか。
高知県高知市の東に隣接する南国(なんこく)市。その中心市街地となっている後免(ごめん)町である。
地域おこしを提案した、やなせたかしさん
謝罪の意味で付けられた地名ではないのだが、「ごめんなさい」をキーワードにした地域おこしを提案した出身者がいた。『アンパンマン』を生んだ漫画家・故やなせたかしさん(1919~2013年)である。ダジャレが好きなやなせさんらしい発案だった。
やなせさんの案を受けて、地元の住民達が「ハガキでごめんなさい」全国コンクールを具体化させると、多くの人からハガキが寄せられた。心の奥底にしまってきた謝罪の言葉。吹き出すような失敗談。審査委員長を務めたやなせさんが第1回目に大賞に選んだのは、父親が再婚相手に考えた女性を連れてきた時、悲しくなるような行動を取ってしまった娘の悔恨だった。
「あれっ、ゴメンっていう町があるよ。面白いね~」
「ほんとだ! ちょっとカワイイ感じがする」
南国市から高知市へ走る「とさでん交通」の路面電車。
20代の旅行者らしい男性が4人、揺れる車内で路線図を見つめていた。
始発は「後免町駅」。「ごめんまち」と読み仮名が書かれていて、「ごめんにしまち」「ごめんなかまち」「ごめんひがしまち」と読む電停である。
この「面白いね~」という反応を、場を和ませるために使った人がいた。やなせさんだ。
やなせさんの「故郷」と言える町
南国市で最も交流の深かった徳久衛(とくひさ・まもる)さん(64)が語る。
「東京で活躍していたやなせ先生が、『私は少年時代にゴメンという町に住んでいたんだ』とスタジオで言うと、周りの声優やスタッフが『またそんな冗談を』と笑い、それを見た先生がまた笑うというようなことがあったそうです」
やなせさんは東京生まれだ。父は現在の高知県香美(かみ)市の出身で、新聞記者として海外赴任中に客死した。母も再婚したため、小学2年生のやなせさんは、後免の町で医院を開いていた伯父宅に引き取られた。
ここで弟と暮らし、高知市の旧制中学へ進学。18歳で官立旧制東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)へ進むまで、10年間過ごした。
「ゴメンという町」は、やなせさんの「故郷」と言っていい。
後免町の由来とは?
それにしても、なぜ「ごめん」などという名前の町ができたのか。これには歴史的な経緯がある。
江戸時代の初期、土佐藩の奉行職だった野中兼山が開いたのが始まりだ。
執政として藩政改革に取り組んだ兼山は、高知県東部を流れる物部川に堰を建造した。そこから舟入(ふないれ)川という人工河川を掘削し、高知城下に至る舟運ルートを整備した。併せて新田開発にも活用した。
「兼山が開発を進める前、この辺りは何もない荒れ地でした。舟入川は高知城下までの距離が長いので、途中に休憩・宿泊するところがあった方が便利だということになり、商売をしたり、住居を構えたりする者には、租税などが免除されました。このため『御免町』と名づけられたのです。最初は『後免』ではなく『御免』と書かれました」と、徳久さんが解説する。
交通の要衝だった後免の町
後免町の発展は、幕藩体制が崩壊し、舟運が廃れた後も続いた。
旧土佐電気鉄道(現とさでん交通)が1911年、高知市の「はりまや橋」から「後免町」方面に路面電車を開通させた。現在のJR四国が運行する土讃線も建設され、町内には「後免」駅もできた。
また、後免の町から東の安芸市方面へは、旧土佐電気鉄道が安芸線を走らせ(廃線)、2002年には安芸市を通過して、奈半利(なはり)町へ向かう第三セクター「土佐くろしお鉄道」の「ごめん・なはり線」が開業した。
「交通の要衝だった後免の町は栄え、かつての商店街は高知市に次ぐ規模でした。今はさびれてシャッター通りになってしまいましたが、昭和の頃は買物に来る人で大変な賑わいでした」と徳久さんが話す。
自治体の名称も1959年に5町村の合併で「南国市」になるまでは「後免町」(ごめんちょう)だった。今も商店街エリアの住居表示は「後免町」(ごめんまち)1~4丁目だ。やなせさんが通った小学校は、今でも「後免野田小学校」という名称である。
こうしたことから「後免の町」は高知県内で広く知られ、特に高知市から東に住む人々にとっては親しみのある商業地だった。
「地元の人にとっては特に意識することもない、普通の地名だったのです」と徳久さんは語る。
やなせさんから『ごめんなさいハガキ』の提案
2003年9月25日、市役所から徳久さんのもとに「企画書」が届いた。「(仮称)『ごめんなさいハガキ』事業実施募集要綱(案)」とタイトルが付けられていた。
やなせさんから事業の「提案」があったというのだ。
「目的」には次のような内容が書かれていた。
〈ごめんなさいハガキ事業は、南国市で少年期を過ごしたマンガ家「やなせたかし」先生のご提案で、中央地域商店街としてユニークな歴史と町名を持ち発展してきた町「後免・ごめん」をキーワードに、本市のイメージアップを図ると共に「龍馬空港都市」の全国展開、ならびに市民活動として発足した「ごめん町特産物開発事業」への相乗的効果などを期待して実施する〉
空港に言及しているのは、南国市内に「高知龍馬空港」があるからだ。南国市は現代になっても交通の要衝としての位置づけが変わっていない。「目的」の意味が難解だったので、徳久さんに“翻訳”をお願いすると、「要するに『町の名前がユニークだから、地域おこしの一環として利用してみたらどうか』というのが、やなせ先生からの提案でした。今まで言えなかった『ごめんなさい』を『ごめん』という町に送ってもらったら面白いんじゃないかという話でした」と噛み砕いて教えてくれた。
住民にとっても、ちょうどいい機会だった
「企画書」に記された「内容」の項目を見ると、少し具体的にイメージできる。おそらく、やなせさんの発言内容を、市の担当者がそのまままとめたのだろう。
〈『人には必ずといって良いほど、「ごめんなさい」を言いそびれていることがあるのではないか』そんな「ごめん」を一枚のハガキにしたため「ごめん町」に送ってもらう…そんなコンクールを実施しては?とやなせ先生からご提案をいただいた。
選ばれた「ごめんなさい」には、やなせ先生から記念品を贈呈したいとの申し出があり、このことは、ファンにとってはたまらないプレゼントとなる〉
提案は、後免町の住民にとっても、ちょうどいい機会だった。皆で一緒に何かやりたいという気運が盛り上がっていたからだ。
前年の2002年、高知国体が開催された。だが、高知県内には全ての選手や監督が泊まれるだけの施設がなかった。このため民泊で対応することになり、南国市では「くろしお海援隊」と銘打ち、バスケットボールやバドミントン競技に出場する約800人を受け入れた。朝夕食を提供し、風呂に入ってもらう。住民の負担は大きかった。
「まちづくり委員会」を結成
「県外から来てもらっても、泊まるところが足らないのだから、もうどうしてもやらないといけないという危機感で取り組みました。ただ、せっかく皆で一緒に頑張ったので、これで終わりにするのはもったいないという声が出ていました。そんな時に、やなせ先生の提案が舞い込んだのです」
徳久さんは後免町の住民に地元の公民館へ集まってもらい、「皆でやりませんか」と呼び掛けた。
「『やなせ先生が提案してくれるのなら、ぜひやろう』と皆が言いました」
さっそく実施団体の住民組織「まちづくり委員会」を結成し、徳久さんは副会長に就任した。
「商売をしている人が中心になりました。私はクリーニング屋。会長になった西村太利さんは家具屋さん。民泊をした時のリーダーです。野球が大好きで、非常に真面目。体育協会の仕事をはじめとして、後免町のことならば、様々な世話を焼いてくれる人です」
毎日郵便受けを確認に行ったが…
ただ、事業名は企画書にあった「ごめんなさいハガキ」ではなく、「ハガキでごめんなさい」に変えた。「おそらく市役所が付けた名称だと思うのですが、語呂が悪いですし、なんか違うなぁという違和感がありました。私が勝手に変えてしまいました」。徳久さんは笑う。
若い頃に国語の教員として教鞭をとった徳久さんは、妻の実家のクリーニング業を継ぐために退職したが、近年はまた高校の国語科講師として教えている。「言葉」には鋭敏な感覚を持っていた。
徳久さんと西村さんは、すぐにポスターを作成して、報道機関に「コンクールをやります」と発表した。
年内に募集を開始。事務局は西村さんが館長をしている地元の公民館に置いた。職員がいるわけではない。西村さんが毎日郵便受けを確認に行った。
しかし、ほとんど応募がなかった。
「もうすぐ締め切りになるというのに、50通ほどしか届きませんでした。西村さんと2人で『どうしよう、どうしよう』と言うだけで、なすすべもありません。これはもう、東京のやなせスタジオへ行って、先生に土下座しないといけないと思っていました」
ハガキがどんどん届き、最多の応募枚数に!
そんな時、一本の記事が出た。
「共同通信が配信してくれたのです。面白おかしく書いたわけではなく、『高知県に後免町というところがあって、言いそびれたごめんなさいをハガキに書いて送ってもらう取り組みをしている』という紹介でした。これが全国の地方紙に掲載されました。Yahoo!ニュースでも流れて、トップページで扱われたのです」
ハガキがどんどん届いた。最終的に2676通。2024年度で第21回を迎える催しとしては最多の応募枚数になった。
やなせさんは第1回から第5回までの審査委員長を務めた。寄せられたハガキは、まちづくり委員会の選考委員で30通ほどに絞り込み、やなせスタジオへ送る。これにやなせさんが目を通して最終選考を行った。「当初は大賞、優秀賞だけだったのに、第2回から先生が佳作を作ってくれました」。それだけ心に響くハガキが多く、選びにくかったのかもしれない。
第1回の大賞に選ばれたハガキ
徳久さんは、第1回の大賞に選ばれたハガキが忘れられない。
高知市で暮らす50代の女性が、32年前の出来事を記していた。
〈母が逝った一年後、私は東京の短大に進学した。その次の年の夏、帰省していたある日の午後、父が見知らぬ女性と帰宅した。彼女は多分、道々摘んで来たであろう雑草の花束をテーブルに置いた。私はためらうことなく、彼女には一瞥もくれずに、その花束をゴミ箱に捨てた。誰もが無言だった。その時もそれから後も。私の行動がおそらく父のその後の寂しい人生を決定づけたのだと思う。無言で耐えた皆にごめんなさい。〉
「お父さんがお付き合いしていた女性を連れて来たのに、無視してしまったというのですね。認めてあげればよかったのにという後悔があったのだと思います。たぶん再婚話はなくなってしまったのでしょう。でも、謝れなかった。そうした行動を取ってしまった当時の娘さんの気持ちは痛いほど分かる。お父さんの気持ちもよく分かる。『人ってそうだよね』と思います。自分だったらどうするか。認めてあげただろうか、それともやっぱり嫌だなという気持ちが強かっただろうか……。ハガキには、毎回自分を投影してしまいます」。徳久さんはしんみりと語る。
人にとって「ごめんなさい」という言葉が持つ意味は大きい。特に「言いそびれたごめんなさい」を胸の内にしまってきた場合には。
吐き出して楽になる場も必要なのだろう。
やなせさんは、そうしたことまで考えて提案したのだろうか。それとも「ごめんなさい」という言葉を使った時点で、このような「場」になることを運命づけられたのか。
「ごめんの町」で「ごめんなさい」。
ダジャレから始まったコンクールが、人生を考えさせる催しになっていった。
INFORMATIONアイコン
第21回の応募は2024年11月30日まで(当日消印有効)。
問い合わせは、現在の事務局が置かれている 南国市観光協会
〈 考えさせられるハガキ、ほろりとさせるハガキ、ぷっと吹き出してしまうハガキ……。漫画家・やなせたかしさんが、あまりにも悲しい「ごめんなさい」は選ばなかった理由 〉へ続く
(葉上 太郎)
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