AIで人の「心」は再現できるのか?――『本心』原作と映画の共同的ライバル関係
文春オンライン / 2024年11月15日 6時0分
写真撮影・文藝春秋写真部
映画『本心』が公開されました。AIで人の「心」は再現できるのか?という問いに迫った平野啓一郎氏の小説に基づきながら、原作にはない要素も新たに付け加えられた映画の監督・脚本を務めた石井裕也氏。雑誌『文學界』に掲載された平野氏と石井氏の対談をお届けします。(全2回の前編/ 続きを読む )
文・「文學界」編集部
平野 映画『本心』の試写を見て、原作者でありながら、新鮮な驚きを覚えました。単に原作をなぞるのではない、映画的な「再構築」がみごとに成し遂げられていたからです。「やられた!」という箇所もありました。原作と映画は一種、共同的なライバル関係にあるのだと感じさせられました。
石井 そう言って頂けると光栄です。
この映画は、独特な成立過程をたどっています。主演の池松壮亮君が、まだ単行本化されていない新聞連載段階の2020年に原作を読み、「これを絶対映画化すべきだ」と僕に勧めてきたのです。
その背景には、僕が7歳の時に母を亡くし、小説の主人公の朔也と同じように、“母親”の不在に喪失感を感じ続けているのを知っていたことがあると思います。池松君は、これまで僕の映画に9作出てもらっており、監督と俳優という関係を超えて、人生を二人で共有しているような間柄です。
そんな彼からの勧めだけに、慌てて『本心』を読みました。そして不遜な言い方を許してもらえれば、「これは自分の物語だ」と感じたのです。
平野 僕も父親を、1歳の時に亡くしています。その欠落感は、幾つかの作品でモチーフにしてきましたが、『本心』では、母と子という形で変奏されているのかもしれません。
俳優という職業の特殊性
石井 池松君は34歳で、役者として脂の乗り切った時期です。その彼が、なぜ今『本心』をやりたいと思ったのか。その鍵は、この小説の中に通底している「身体性」というテーマにあるような気がします。
俳優という職業の特殊性は、「身体」が人の眼に常にさらされている点にあります。撮影現場にいけば、多くのスタッフに見つめられる。舞台に立てば、大勢の観客の視線を浴びる。さらにスクリーンやモニターの向こう側には、際限のない数の眼が存在します。
しかも、それら無数の視線から、「カッコいい」とか「カッコ悪い」とか常に評価され、人気の有り無しが決まってしまう。その緊張感に常にさらされている俳優の感性には常人には計り知れないものがある、と常々感じているんです。
平野 すこし補足すれば、『本心』は2040年代の日本を舞台とした近未来小説です。今よりもAI(人工知能)やAR(添加現実)の技術がかなり進んでいて、現実と仮想空間の区別がつきにくくなっている、という設定です。
その中で主人公の朔也は、依頼者に成り代わってリアルな体験をし、その感覚を依頼者に伝える、「リアル・アバター」と呼ばれる仕事をしています。
俳優も、原作の中の登場人物の代理であったり、観客が自分の人生を仮託する代理を果たしていたりします。その意味で、池松さんに切実な関心をもってもらえたのかもしれませんね。
石井 そうだと思います。さらに言えば、CG(コンピュータ・グラフィックス)の進化なども含め、俳優の身体の重みみたいなものが見えにくくなっているのではないか、という危機感も重なっているのかもしれません。
平野 さきほど言った「代理」ということが、『本心』のキー・コンセプトになっています。朔也は自分の身体を誰かに貸し出すリアル・アバターをしていますが、一方で朔也の母の友人だった若い女性・三好彩花は、かつてセックス・ワークをしていました。客は自分の欲望の対象は別にあるのかもしれないけれど、それが満たされないので、代理としてセックス・ワーカーと金銭を介した関係を持ったりする。その意味では、朔也と同じように「身体を貸し出す」存在です。そうした二人の間に共感が芽生えるのではないか、というのが当初の発想でした。
また朔也は、亡くなった自分の母親を、AI技術を使ったVF(ヴァーチャル・フィギュア)として蘇らせます。このVFも、存命中の母親の「代理」です。
彼らだけではなく、じつは我々の誰もが、誰かの代理として生きているのではないでしょうか。それも書きたかったことの一つなんです。
石井 この作品が、コロナ禍の前に書かれたことにあらためて驚きますね。「濃厚接触」を避けるため、リアルな交わりが徹底して遠ざけられ、オンライン・ツールによってコミュニケーションが「代行」されました。そういう中で、「リアルな手触り」がどんどん希薄になっていった時期だったと思います。『本心』には、その状況がみごとに予見されています。
平野 ありがとうございます。
石井 ただ映画化の過程は紆余曲折の連続でした。なにより苦労したのは、原作がとても多層的な話なので、丁寧に拾っていくと、どんどん脚本が長くなってしまうことでした。
CGを多用しなかった理由
平野 たしかに映画には2時間前後という、観客にとって快適な時間の制約がありますからね。本来、短編小説からふくらませるぐらいが丁度いいと思います。黒澤明監督が、芥川龍之介の短編「藪の中」「羅生門」から、映画『羅生門』を再構築したようにです。
もっとも今の映画状況の中では、短編が映画になるのはなかなか難しい。それなりに評判になった長編が原作でないと企画が成立しないという事情はわかります。ただその場合、2時間に収めるためにエピソードをどんどん落としてしまうと、単なるダイジェストになってしまう。
石井 おっしゃる通りです。だから、今回、原作から泣く泣く削らせて頂いた部分もありますが、逆に原作にはない要素を足している部分もあります。
平野 ええ。これからご覧になる方のために言及は控えますが、意外な再構築がいくつかありました。
石井 とくに映画は、「絵」で見せるものです。小説なら読者の想像力に委ねられる部分も、ある程度ダイレクトに描いていかなければならない面があります。
平野 『本心』は近未来の話なので、観客は前提となる世界観を知りません。その中でパッと見て状況が理解できるよう、工夫して撮られているのがわかりました。
とりわけ、冒頭の氾濫している川のほとりに、田中裕子さん演じる朔也の母が出ていく場面は、映画ならではの迫力でした。なおかつ、地球温暖化がより進み、豪雨による水害が起こりやすくなっている、という原作の世界観がうまく反映されています。あの部分は、CGを使ったのですか?
石井 あそこは本物の川で撮って、雨や川の濁流をCGで足しています。
平野 ただ全体としては、SF的な設定にもかかわらず、CGが多用されている印象がしませんでした。そこは意図的なのでしょうか?
石井 はい、CGに頼り過ぎると際限がなくなるので、どこまで抑制できるかが演出的なテーマでした。
また、最初に原作を読んでから、撮影に入るまでの3年ぐらいの間に、どんどん時代が追いついてきた感じがしたんです。メタバース(インターネット上の仮想空間)にしろ、どんどん実用化が進んでいて、『本心』の中に出てくるVFやリアル・アバターといった要素も、ことさらにCGを使って強調せずとも、自然に観客に理解されるのではないかと思ったんです。近未来ということをあまり強調せず、むしろ現代に引きつけて「今の話」にするべきだと考えました。
平野 なるほど、その意図は成功していると思います。
CGには「余白」がない
石井 そのため、敢えてクラシックな表現を多用しました。
たとえば序盤で死を目前にした老人の依頼で、朔也が幾つかの場所をめぐる場面があります。原作には教会が出てくるのですが、映画では禅寺に変えました。仮想空間の中で、大切な記憶と出会う体験を、禅のようなものとして表現したら面白くなるのではないか、と思ったからです。
平野 素朴な質問ですが、最近の映画でCGが多用されるようになったのは、CGの費用が劇的に安くなったからなんでしょうか。極端な話、どこか遠くにロケに行くより、背景は全部CGにしてしまった方が安くなるというような……。
石井 そういうケースもあるでしょうね。本当はCGを使わず、人力のアナログ表現でやった方が画面に力が出るのに、安易にCGに頼ってしまう傾向が出てきてしまっているかもしれません。そこは落とし穴ですね。
平野 そもそも映画ってたいてい物語の順番通りに撮っていないじゃないですか。撮影を効率的にするため、「中抜き」にしている。そうすると役者は、登場人物の気持ちのつながりがだんだん掴めなくなっちゃうんじゃないかと。それに加えて、背景までCGだと、実際の撮影現場では合成用のブルーバックだけを背中に演じることになる。
背景が何もわからず、脈絡もシャッフルされて、「ここは悲しい表情で演じてください」と言われると、画一的な「悲しい顔」になってしまうのではないかと思うのですが。
石井 その通りだと思いますね。CGには余白のようなものはないし、リアルで人間的な芝居には結びつきにくい。CGで作った背景には、偶然鳥が飛んで入ってくるといったことは起こりません。でもリアルな空間の中では、カメラも役者も偶然性に反応して、当初思ってもみなかった絵が撮れることがあります。
今起きている映像技術の進歩は、両刃の剣を超えて、作り手にとっては大きな脅威になりつつあるようにも見えます。
平野 映像業界の中で、なるべくCGを控えようというような揺り戻しはあるのですか?
石井 それは無いでしょうね。どうしてもCGを使った方が、予算を抑えられますから。またかつては考えられなかった、「人間と熊が戦う」といったシーンにもチャレンジできるようになったプラスの側面もあります。ただ、やっぱり安易なアプローチをとってしまうリスクも増えていると思います。
だからこそ、というか今回の『本心』の撮影では、俳優の身体性というか、生身の芝居性に特にこだわりました。
( 後編 へ続く)
ひらの・けいいちろう●1975年生まれ。99年、京都大学法学部在学中に文芸誌「新潮」に投稿した「日蝕」により第120回芥川賞を受賞。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。主な小説作品に『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』、『マチネの終わりに』(映画化)、『ある男』(映画化)など。最新作は短篇集『富士山』。
いしい・ゆうや●1983年生まれ。2007年、大阪芸術大学時代の卒業制作『剝き出しにっぽん』がPFFアワードにてグランプリを受賞。10年『川の底からこんにちは』で商業映画デビュー。14年『舟を編む』で第37回日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞を受賞。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『茜色に焼かれる』『月』『愛にイナズマ』など、精力的に作品を発表し続けている。
INFORMATIONアイコン
映画『本心』 公開中
原作:平野啓一郎
出演:池松壮亮
三吉彩花 水上恒司 仲野太賀
田中泯 綾野剛 / 妻夫木聡
田中裕子
監督・脚本:石井裕也
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024 映画『本心』製作委員会
映画『本心』公式サイト https://happinet-phantom.com/honshin/
〈 作り手にとって他者の価値観との衝突は、必要なプロセス――映画『本心』製作の裏側 〉へ続く
(平野 啓一郎,石井 裕也/文藝出版局)
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