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27歳で結婚した共演俳優との別れ、2度の活動休止も…「後悔するような生き方はしたくない」49歳になった内田有紀の“まぶしい人生”

文春オンライン / 2024年11月16日 6時10分

27歳で結婚した共演俳優との別れ、2度の活動休止も…「後悔するような生き方はしたくない」49歳になった内田有紀の“まぶしい人生”

2023年2月、『アントマン&ワスプ:クアントマニア』の完成披露試写会に登壇した内田有紀 ©時事通信社

 ショートカットの内田有紀が戻ってきた!

 昨年(2023年)の秋頃、内田がイメージキャラクターに起用されたスキンケアブランドのサイネージ広告を街で見かけて、このとき48歳になろうとしていた彼女とほぼ同世代の筆者はそう思わずにはいられなかった。

 内田がショートにしたのは8年ぶりで、そのきっかけは、同年4月から11月にかけてSeason1~3が放送されたWOWOWのドラマ『フィクサー』に出演したことだった。その劇中、沢村玲子というニュースキャスターを演じた内田は、ドラマの展開に合わせ、玲子が髪を切ることを自ら監督に提案したという。これについて彼女は次のように説明している。

《沢村玲子というキャラクターは芯が強く、向上心に溢れた人物。そして時代の流れにしなやかで柔軟。そんな大人の現代女性のポジティブな気持ちを表現するのに「髪を切る」という行為がピッタリだと思ったんです。ヘアカットしたことで役柄と自分がシンクロし、気持ち的にもより軽やかになれた気がして、クランクアップ後、さらに短くカットしました》(『STORY』2023年7月号)

 玲子の髪が短くなったのは、テレビのキャスターを辞め、Season3でフリーに転じてからだった。このときはまだショートボブというぐらいだったが、上記の発言にあるとおり、撮影後にさらにカットして10代でデビューしたころを彷彿とさせるショートになった。ただし、内田に言わせると、髪を短くしたのは《決して若い時の自分を投影するということではなく、40代の新しい自分の可能性を楽しんでみたいと思い、日常の自分に新風を吹かせ、単純にファッションやメークの変化を探してみることにしました》ということらしい(同上)。

 その内田はきょう11月16日、49歳の誕生日を迎えた。彼女が初めてショートにしたのは、高校2年生になる直前、1992年3月のことだった。すでに中学時代からモデルとして活動しており、17歳となったこの年の11月には'93ユニチカ水着キャンペーンガールに選ばれた。同月にはドラマ『その時、ハートは盗まれた』で俳優デビューも果たし、人気に火がつく。

彼女と同じ髪型にするのが流行った

 ショートカットは彼女にボーイッシュで中性的なイメージをもたらすことになる。当時のファンに若い男性ばかりでなく10代の女性が多いのはそのためだとも分析された。実際、女子高校生のあいだでは彼女と同じ髪型にするのが流行った。

 CMにも多数出演したほか、1994年10月にはシングル「TENCAを取ろう!~内田の野望~」で歌手デビューした。売り上げは2週間で50万枚を突破し、女性ソロ歌手のデビュー曲では初めてオリコンのヒットチャートで初登場1位という快挙を達成した。翌月のリリース記念イベントには、会場のよみうりランドの収容人員8000人を超える3万人が詰めかける過熱ぶりであった。

イメージと素の自分との間にギャップを感じていた

 だが、その裏で内田は、世間で持たれているイメージと素の自分とのあいだにギャップを感じていたらしい。いつも元気で明るいというイメージもついていただけに、落ち込んでいるときも無理して自分を奮い立たせてきたものの、明るく振る舞おうとすればするほどギャップは広がるばかりだった。

 1997年には一旦活動を休止した。《自信がなかったから、人気があったり仕事があったりすることが怖かった。やめたいと思ってたし。それで一回ちょっと離れたいって》と、内田はのちにその理由を明かしている(『AERA』2010年12月13日号)。

 翌年夏ぐらいまで休業したのち映画『BEAT』(1998年)で復帰した。それでもなお、ファンから「内田有紀がいい」と言われても他人事みたいで、芝居や歌がうまいわけでもないのに一体自分の何がいいのかわからなかったという。そのもどかしさを克服するには中身をつけなければと思い、24歳だった2000年、劇作家・演出家のつかこうへいが主宰する「北区つかこうへい劇団」に飛び込んだ。

つかこうへいからの容赦ない指導

 同劇団では入団したその年に『蒲田行進曲完結編 銀ちゃんが逝く』、翌2001年に『新・飛龍伝 私のザンパノ』に出演する。後者は筆者も観に行ったが、ほかの出演者が全員若い男優というなかで、内田が立ち回る姿はただただまぶしかった。彼女自身はつかから指導を受けた経験を次のように振り返っている。

《つかさんが教えてくれたことはたくさんありますが、一番大きかったのは、自分をさらけ出すことがいかに大事かということ。「人間というのは、元来かっこ悪かったりダサかったりするものだ。それをさらすことが、人間同士、一番通じ合えることなんだから、とにかく噓をつくな。失敗でも恥さらしでも何でもいいから、恐がらずにやるだけやってこい」と、言われました。私、そういうところにすごく共感したんです》(『婦人公論』2002年2月22日号)

 もっとも、そのためにつかは容赦なく役者の弱点を突いて追い込み、丸裸にした。内田もさんざん攻め込まれ、ときに屈辱感も味わった。たとえば、食事中に箸についたご飯粒をペロッと舐める癖を見られており、いつのまにか劇中に、相手役から「おまえ、箸ペロペロッて舐めるけどよぉ」と言われる場面が用意されていたという。

 つかとの出会いは、内田に責任というものを意識させることにもなった。自分で選んだ演技をつかにぶつけるとあって、悩みに悩んで食事が喉を通らないこともあったらしい。

《でも、そういうときに、自分を追い詰めるんじゃなくて、どこまでも面白がっていられればいいなと思ったし、それを面白がれる人でいたい、と願うようにもなりました。私、これまで常に「明日、結果を出そう」としてきたような気がするんです。でも今は無理にそうしようとは思わない。今日やったことは絶対明日に残るはず、そう信じて、今を精一杯生きたいんです》(『FRaU』2001年2月13日号)。

結婚→芸能活動を休止した理由は…

 これは『新・飛龍伝』の公演直前のつかとの対談における内田の発言である。翌2002年にはドラマ『北の国から 2002遺言』で共演した吉岡秀隆と結婚。それから2005年に離婚するまでの約3年間、再び芸能活動を休止する。これについて彼女は《私は不器用なので、いろんなことを一度にはできない。家事をしながら外で仕事をすることが想像できなかったし、誰かを支えることや主婦業をちゃんとやりたかったので休業しました》と説明しているが(『CLASSY.』2016年11月号)、そこには、つかとの出会いで芽生えた「今を精一杯生きたい」との思いもあったはずだ。

 結婚生活にピリオドを打ち、30歳にして俳優の仕事に戻ったのも「きちんと生きていきたい」という決意からだった。

「もう絶対に後悔するような生き方はしたくない」

《その頃は『もう絶対に後悔するような生き方はしたくない』と意気込んでいました。不完全燃焼な気持ちが大きかった今までを払拭する、いい機会だと思ったんです。リスタートした時、周りの方々の見る目がすごく変わったとも感じました。30代になった私を、面白がってもらえているという感覚。自分の中で抱えていたイメージみたいなものも払拭できたと感じて、もう人から求められるイメージを常に演じていなくてもいいんだと、ふと肩の力が抜けたんです》(『STORY』2021年5月号)

 2007年、9年ぶりに主演した映画『クワイエットルームにようこそ』では、閉鎖病棟に収容された女性が悶えながらその理由を延々と自問自答するさまを演じた。同作の公開時のインタビューでは、《やっと生々しい女性を演じられると嬉しくてたまらなかった。10代のときは正義感の強い、勝ち気な女の子を演じることが多かったですから》と新たな役に出会えた喜びをあらわにしている(『読売ウイークリー』2007年11月4日号)。

 35歳からは演技コーチについてもらうようになり、そこでさらに自分の足りていない部分に気づいた。本人いわく《意気込んで復帰し、進んできたものの、“魂を動かす”ということはどうしたらいいんだろう? と次の壁にぶつかったことで、また一段成長できたような気がします》(『STORY』前掲号)。

 そうやって壁を乗り越えたのち、40代に入ってからの出演作には、二人の女性の関係性をスリリングに描いたものが目立つ。2016年に放送されたドラマ『はぶらし/女友だち』と『ナオミとカナコ』では、それぞれ池脇千鶴、広末涼子とW主演した。前者では内田演じる脚本家がある日、池脇演じる高校時代の同級生が幼い子供を連れて家に転がり込んできたことから、やがて生活も仕事も侵食されていく。後者での役は専業主婦で、暴力を振るう夫を広末演じる親友と二人で殺害し、完全犯罪をたくらむ。

 冒頭でとりあげた『フィクサー』でも、Season2において内田演じる玲子が東京都知事選に出馬するに際し、支援を取りつけるため面会した富田靖子演じる総理大臣からその覚悟を試されるシーンなど緊張感たっぷりだった。奇しくも富田も前出の広末も、時期こそ違うものの内田と同様、舞台でつかこうへい演出の洗礼を受けた経験を持つ。

米倉涼子との「サッパリした」関係性

 二人の女性の関係性といえば、2012年にスタートした人気ドラマシリーズ『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』で演じ続けてきたフリーランスの麻酔科医・城之内博美と、米倉涼子演じる主人公・未知子の組み合わせも外せない。放送開始から5年経った2017年には内田と米倉がそろってインタビューに応え、お互いについて次のように語っていた。

内田「私たちの関係ってサッパリしていて、ちょうどいい距離感なんですよ」

米倉「そうそう! プライベートでは全然会わないしね(笑)。ただ、やっぱり5年の付き合いですから、信頼関係が年々厚くなっているのは感じますね。今では、深いこともサクッと言い合うことができる関係なんですよ。しかも、その話を引きずらない!」

内田「なので、とても心地いいですね。米ちゃんはどんなに大変な撮影も力強く乗り切ってくれるので頼もしいし、とても信頼できる人です」
(『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』公式サイト、2017年11月13日配信)〉

 さっぱりした関係性は劇中の博美と未知子にも重なる。なお、米倉は内田と同い年で、俳優デビューの前後にユニチカの水着キャンペーンガールを務めた点も共通する。そんな二人が出会った『ドクターX』は来月(2024年12月)公開の劇場版でシリーズが完結することになった。

 10月8日に行われた映画の完成報告会見で内田は、「彼女(米倉)が大門未知子を降りて、これを最後にすると決めたその決断を私たちはただただ応援するのみだと感じたので、いつもどおりやっていこうと思いました」と語った。その切々とした言葉からは、米倉が難病と闘いながらシリーズの幕を下ろす決断を下したその心情を慮りつつ、長年共演してきた同志として、せめて花道を飾らせてあげようという内田の思いが伝わってくるようであった。

公私ともに支える“俳優”パートナーの存在

 一昨年には、内田に公私ともに支えるパートナーがおり、それが俳優の柏原崇であることが報じられた(『週刊文春』2022年5月5・12日号)。この事実は内田自身が今年9月、中居正広司会のトークバラエティ『だれかtoなかい』に出演時、相手の名前こそ出さなかったものの告白して話題を呼んだ。

 2歳下(学年でいえば1つ下)の柏原とは10代のとき、CMで共演したのが馴れ初めである。2001年にはドラマ『ビッグウイング』で、空港ターミナルの受付で働くヒロインを内田、その上司を柏原が演じている。劇中ではけんかしてばかりの設定だったが、撮影中に行われた対談では、内田が柏原について《幼なじみみたいに10代のとき仕事をした人って気になる》と言うので、彼が《はじめて会ったときには、おねえさんみたいな感じがしたけど》と返すと、《けど? けどって何?(笑)カッシーが大人になったんだよ》と彼女がツッコミを入れるという具合に、文字どおり幼なじみのような親密さをうかがわせた(『CanDo!ぴあ』2001年2月13日号)。これを読むと二人がのちに一緒になったのも腑に落ちる。ただ、その関係は、互いに紆余曲折を経て、きっと成熟したものになっているに違いない。

過去の自分を認めることが、自信へと繋がるようになった

 3年ほど前のインタビューで内田は、40代に入って過去の自分を俯瞰で見られるようになったとして、《今こうして立っていられるのは、20代の頃、戸惑いや悩みを抱えながらも必死に乗り越えてきたから。そんな過去の自分を認めることが、自信へと繋がるようになった気がします》と語っていた(『STORY』2022年1月号)。

 どうやら黒歴史などという言葉は内田には無縁らしい。ショートカットにしても、パートナーにしても、新たな意味をもって受け容れられているのも、過去の自分に対する肯定感があってこそだろう。来年には50歳を迎える彼女だが、経験の積み重ねとともに輝きを増し、10~20代のころ以上にまぶしく見える。

(近藤 正高)

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