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元“ジャニーズの長男”近藤真彦(60)が捨て身の“正念場”を迎え…「すっかりあの不倫疑惑はなかったことに」

文春オンライン / 2024年11月18日 11時0分

元“ジャニーズの長男”近藤真彦(60)が捨て身の“正念場”を迎え…「すっかりあの不倫疑惑はなかったことに」

「往年のアイドル」(ACジャパンのテレビCMより)

〈マッチ60歳、聴力検査デビューします!〉

 往年のアイドルが大きく映った公益社団法人ACジャパンの広告を目にしたことがあるだろうか。

 還暦を迎えたマッチこと近藤真彦が、同世代に向け耳鼻咽喉科などでの聴力検査を促す広告だ。

「ステージからファンに向けて『マッチでぇ~す!』、『盛り上がってますか~!?』と呼びかける。『イエ~イ!』とかえる嬌声に、『声が小さいな』と近藤が繰り返す。耳が遠くなりだす世代に向けて、ある意味“捨て身”の登場です」(芸能記者)

数年前のあの出来事はまるでなかったかのように…

 15歳のときにドラマ「3年B組金八先生」でデビューし、芸能生活45年。誰もが知る元ビッグアイドルはこの啓発にはうってつけかもしれない。

「でも、古くから彼を見ている芸能マスコミからすると、どうにも過去のロンダリングに見えるんですよね。数年前のあの出来事はまるでなかったかのようになっている」(同前)

世間をガッカリさせた、マッチの“不倫騒動”

 1980年12月。「スニーカーぶる~す」でレコードデビューしたときにはすでに「たのきんトリオ」(田原俊彦・野村義男・近藤)の一員としてその人気を確固たるものにしていた。まさに“アイドル全盛期”の80年代に、売り上げ1位を獲得し続けていた存在だ。

「トシちゃん派とマッチ派。当時の少女たちはどっちなのかが日々の話題だった。マッチ派はイメージカラーの黄色のものを買い揃えて応援していたんです」(同前)

 時代はジャニーズ事務所が巨大化していく初頭だ。たのきんトリオ、シブがき隊、そして少年隊というスターが生まれていく80年代から退所せずにトップで走り続けてきた近藤は、「ジャニーズの長男坊」と称された。

 車好きを生かして、ドライバーとしてレースに参加するアイドルの先駆者でもあった。

 1994年には一般女性と結婚。現在高校生の男児の父親でもある近藤をファンは長い間応援してきたわけだ。

 ところが、そんなファンたちのみならず世間をガッカリさせたのがマッチの不倫騒動だった。

25歳年下の女性との“5年に及ぶ不倫疑惑”

 2020年11月に発売された「週刊文春」で報じられたのが25歳年下の女性との5年に及ぶ不倫疑惑だ。友人たちとの沖縄旅行、近藤が監督を務めるカーレース会場、さらには自らが主催したジャニー喜多川の誕生日パーティにもその女性を同伴していたといい、妻以外の女性にうつつを抜かした“長男坊”の実態が明らかになったのだ。

 さすがのジャニーズも事態を鑑み、数日後に

〈〈家庭を持つ一社会人による振る舞いとして大変軽率であり、自覚と責任に欠ける行動であったと弊社といたしましては重く受け止めております〉〉

 とコメント。

 さらに近藤本人も、

〈〈家族とは、話し合い、謝罪し、理解してもらいました。昨日、芸能活動を自粛させていただきたい旨を事務所に申し入れました。皆様の信頼を回復できるよう、自分を見つめ直し精進いたします〉〉

 と、無期限の活動自粛を発表した。

「その年の12月にデビュー40周年記念のイベントがいくつもあったが、すべて中止。さらに驚いたことに、その後は口を噤み“信頼回復”を果たさぬまま2021年4月末でジャニーズを退所してしまった。

 辞めたあとはカーレースや、長年の仲間である野村義男とのライブツアーなどをこなしていましたけれど、ここのところの動きを見るとすっかりあの不倫疑惑はなかったことになってるみたいですね」(同前)

「さんま御殿」や「ダウンタウンDX」、「ぽかぽか」に出演

 最近、近藤に目立つのは「踊る!さんま御殿!!」や「ダウンタウンDX」、「ぽかぽか」などのトークバラエティや昭和の歌謡界をテーマにしたテレビ番組への出演。軽く明るいトーンのものが大半だ。もちろんスキャンダルの話の気配もない。

 なかでも目立つのが、タレント川崎麻世との“交流”だろう。

「ここのところ、川崎のSNSでは近藤と一緒の写真をアップして『弟の様な存在』と記していたり、酒を酌み交わした様子をブログでアップしたりが続いています。さんま御殿で、再婚した新妻を紹介した川崎と一緒に登場したのも近藤でした。

 もとをたどれば、昨春の川崎の還暦パーティのサプライズゲストのオファーを受けた近藤が、快く出演したあたりからより親しく付き合っているようですけれど……」(テレビ局関係者)

「結局マッチも“元ジャニーズ”になってみて…」

 川崎麻世がジャニー喜多川にスカウトされ、上京してジャニーズ所属となったのは1976年。近藤真彦が所属したのは1977年。同じ釜の飯を食べた仲なのは確かである。近藤もインタビューなどでは、「いちばんお世話になった先輩で、背中を追いかけてきた」とよく言っていた。

「でも数年後、ジャニーズ事務所はたのきんトリオが売れたことでアイドル全盛となった。俳優志向だった川崎はアメリカ修行に行って舞台の仕事を得たりと、近藤とは違う種類の苦労をした。そして35年前、元妻のカイヤさんとのあいだに子どもができたことがきっかけで、ジャニーズをやめることになったんです。喜多川姉弟が手塩にかけて育てたタレントだったのに、退所の事情はそれなりに深刻だった。

 そのあとですよ、マッチがよく先輩である川崎について陰で厳しいコトを言ってたのは。『なんでジャニーズにいられなくなったのに偉そうにしてるんだ』とか、『やめたのはスキャンダルがきっかけじゃないか』とか。いま思えば、結局その矛先はマッチにも向かっていったわけですが……(苦笑)」(同前)

 その後の川崎は、ほぼジャニーズのイメージもなくなるほど独自で活躍をしてきた。たまにクイズで、「実は元ジャニーズなのは誰!?」と使われていたほどだ。

「結局マッチも“元ジャニーズ”になってみて、川崎の苦労を身をもって知った部分があるんじゃないですかね。

 過去を知る先輩・後輩同士として、世間的に仲良くしていたほうが仕事はスムーズだということがわかったんでしょう。お互いの還暦祝い、川崎の再婚などにそれぞれの名前があれば華やかでしょ」(同前)

真顔で「いつ俺たちに色々あったの?」

 今年の12月、大阪・新歌舞伎座、名古屋・御園座、東京・明治座で控えているのが、「Thank you very マッチ de SHOW ギンギラ学園物語」なる近藤の主演舞台。構成・脚本は鈴木おさむ。脇を固める小堺一機や松本明子のほか、ここにも川崎麻世の名前がある。

「最近、近藤さん・川崎さんを含め何人かが居合わせたところで、とある後援者が『いろいろあったけど、見事に払拭なさいましたね』と言ったそう。そうしたら近藤さんに、『いつ俺たちに色々あったの?』と真顔で返されて気後れしていたそうです。その場の空気が凍ったと」(芸能事務所関係者)

 聴力検査は勧めつつ、聞こえないままのほうがいいコトもあるのかもしれないけれど——。

(山本 雲丹)

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