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「お高くとまっていては、廃れていってしまう」引退から10年…元フィギュアスケーター町田樹(34)が研究者になった理由とは

文春オンライン / 2024年11月24日 6時0分

「お高くとまっていては、廃れていってしまう」引退から10年…元フィギュアスケーター町田樹(34)が研究者になった理由とは

町田樹(まちだ・たつき)/1990年生まれ。スポーツ科学研究者。國學院大學人間開発学部准教授。フィギュアスケート競技者としては、2014年ソチ五輪個人戦・団体戦でともに5位入賞、同年世界選手権で準優勝を収めた ©文藝春秋 撮影/石川啓次

 2014年末にフィギュアスケート競技者を引退後、研究者をはじめとして言語表現の分野で広く活躍する町田樹さん(34)。“氷上の哲学者”と呼ばれた町田さんが、「競技する身体」を支える言葉の力について語った、「文學界」のインタビューを特別公開します。(全3回の1回目/ 続き を読む)

初出:「文學界」2024年3月号 2023年12月21日収録

◇◇◇

人とコンタクトを取るのが苦手だった

――町田さんは身体のエキスパートでありながら、同時に「言語」への強い信頼を著作やインタビューの中で公言されています。一方で、かつて「自分は、もともと人見知りで内気な性格で、人前で自分の考えや物事を伝えるのがいまいち苦手だった。でも、なぜか氷の上では何でも自然と表現できた」という内容の発言をされていて、そのことも大変印象に残っているんです。

町田 それは単純に、自分や、自分の考えていることに自信がなかったんです。人に間違っていると思われたくない、みたいな見栄もあったと思います。人とコンタクトを取ることが苦手な性格だったんです。

――町田さんにとって氷上での表現と言語表現は、必ずしも相反するものではなかったんですね。

言語で表現できないものは表現できない

町田 表現を論理的に理解するには、言語の介在が不可欠です。フィギュアスケートにせよ、今私が関わっているバレエなどの舞踊にせよ、表現そのものは身体運動なので、そこに言葉はありません。しかし、例えばある場面で演者が「右手を上げる」という動作をするとします。その動作には、必ずそれを支えている根拠や背景があるはず。登場人物がこういう心情だから、その運動は生じる――つまり、必然性の問題ですね。私は、言葉として実際にアウトプットはせずとも、演じる時も、あるいは振付をする時も、必ず「言語化」というプロセスを踏むようにしています。

――すべての動作に対して、そこに「どんな意味があるのか」を、「言語」で考えた上で表現する、ということですね。

町田 はい。結局のところ、自分は、言語で表現できないものは表現できないと思っているフシがあるようです。なぜそこで右手を上げるのか、しかもなぜ「力強く」「優しく」とその上げ方が異なるのか――こうしたことを言語的に説明できなかったら、その表現は空疎なものとなってしまうでしょう。言語はなくとも、演じ手・作り手の中で言語的説明がなされてないままアウトプットしてしまうと、魂が込もらないと思うのです。

お高くとまっていては、文化は廃れていってしまう

――競技者引退後、フィギュアスケートの解説者としてもご活躍されています。またご自身のウェブサイトには、振付をした作品の「セルフライナーノーツ」を掲載されていますね。

町田 音楽と身体のみで、何も語らずして伝えるのが競技者やダンサーの力量――と言われたらそれまでなのですが、じゃあフィギュアをまだ見たことがないという人に、初めからそのパフォーマンスを「見て、感じろ」と言っても、実際のところ、かなり難易度が高いですよね。これからの時代、そうやってお高くとまって鑑賞者教育を怠っていては、文化というものは廃れていってしまうのではないかと思ったのも、言語活動に力を入れるようになったきっかけの一つです。

 自分は何を訴えたくて、その芸術作品を作っているのか。それをどう鑑賞してもらいたいのか。そして、長い芸術史、あるいはフィギュアスケート史の中で、それはどういう意義があることなのか。こうしたことは、やはりきちんと言語化しなければ伝わらない。

――人間の「行動」は比較的言語化が容易に思えるのですが、町田さんが様々なお仕事を通じて取り組まれている「身体の言語化」は、それに比べると遥かに難しいという実感があります。これは一例ですが、身体の不調を覚えて病院に行った際に、医者に「不調を感じる箇所」や「どのように不調なのか」を具体的に伝えるのに難儀した経験は、多かれ少なかれ誰しもあるのではないでしょうか。

町田 今のお話における「身体の言語化」は、いわば、自分の身体をどこまで細かく認識できるか、ということと同義ですね。例えば、「背中が痛い」と一口に言っても、背中も広いので、その中のどこが痛いのかを明確にしなければ相手には伝わりません。また、物理的に「この辺です」と指すことができたとしても、その示した箇所のどのへんが痛いのかまでは説明できていません。背中には、まず皮膚があり、その下には骨や筋肉といったさまざまなものが詰まっている。痛みの原因が外傷なのか、骨格レベルでの不具合なのか、筋繊維に何か問題があるのか――といったことまで考えに入れなければならず、一筋縄ではいきません。

選手時代に自然と習得していたもの

町田 身体を言語化するためには、まず、私たち人間の身体がどのような仕組みで成り立っているのかを理解する必要があります。もちろん私は医者ではなく人文社会学系の研究者なので、医学的な知識はありませんが、選手時代も、大学院に入ってからも、人体について書かれた本をしっかり読み込んで、その仕組みを頭にインプットしていました。これによって、言語化がかなり容易になったのは間違いありません。

 でも思えば、人体を構造で理解しようとする意識は、選手時代に自然と習得していたものだったとも言えるかもしれませんね。例えば、フィギュアスケーターの技の一つに「ジャンプ」があるのは広く知られていると思います。普通にいけば、骨盤と膝を曲げて、次いで足首を曲げて、まっすぐ踏み込んでジャンプする、というふうに一連の運動を説明するところですが、これは言語化としては不十分です。

「踏み込む」と一言で言っても、その時、競技者の体重がかかっているのが親指側なのか、小指側なのかによって、そのジャンプはまるで違ったものになってしまうからです。こうした差異は、外から見ている人間には不可知ですが、きちんと言語化し、意識することができなければ、競技者当人にとっても「なんとなく」しか理解することができず、結果的に、身体のコントロールの精度も低いものになってしまうでしょう。

――つまり、再現性も低くなってしまう、と。このことは、選手のコーチングにも大きな影響を与えそうですね。

町田 もちろんです。だからこそ、コーチも競技者も、ともに身体の仕組みを理解していないといけません。双方が身体を理解し、それを言語化できるようにならないと、動きの修正や身体の強化などもできませんからね。つまりコーチと競技者にとって、身体に関する知識は、ある種のコミュニケーションツールだと言っていいでしょう。

長嶋茂雄氏のコーチングは…

――では、同じ言語化でも、野球の長嶋茂雄氏の有名な「シャーッときてググッとなったら、シュッと振ってバーン」的なコーチングはどのように位置付けられるのでしょうか。少なくとも、町田さんのおっしゃるそれとは、真逆の方向性ですよね。

町田 面白いのは、長嶋さんのコーチングにおけるオノマトペ的表現というのも、決して悪いものではないのです。オノマトペも、確かに身体感覚の一つではあって、それによって「伝わる」ものも間違いなくある。ただ、かなりの天才タイプでない限り、それ“だけ”ではスポーツのコツは掴み切れないと思います。

 オノマトペ的な指導や言語化の方法というのは、その人固有の身体認識であって、仮にAさんに通じることがあったとしても、同じことがBさんにも通ずるかどうかは分からない。つまり、汎用性が低い。人間の身体は、一様ではありません。基本的構造は一緒でも、腕の長さも、関節の可動域もそれぞれ異なります。ですから、選手のコンディションが悪かったり、スランプに陥っている時などは、そうした知覚的な認識だけだと、どこをどう修正すれば良い状態に持っていけるのかが分からなくなってしまう。

言語が表現のベースになっている

 オノマトペ的なものを本当の意味で理解し、自分の身体にインストールするには、自分の身体を言語で理解し、そこから繰り出されるパフォーマンスを論理的に理解することが重要になってくるのです。こうした身体もしくは身体運動の言語化については、拙著『若きアスリートへの手紙――〈競技する身体〉の哲学』(山と溪谷社、2022年)においてさらに詳しく論じておりますので、ご興味があればぜひご一読ください。

 という具合に、私は競技者としても、研究者としても、言語表現が至上……と言うとやや語弊がありますが、少なくとも、言語がすべての表現のベースになっている、という意識があります。ですが時折、そうした持論を揺るがされる事例に出くわすことがあります。例えば……。( #2 につづく)

〈 フィギュアスケート日本代表→24歳で電撃引退→大学教員に…町田樹(34)が驚いた大学生からの“意外な反応”「目からウロコな体験でした」 〉へ続く

(辻本 力/文學界 2024年3月号)

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