「他の誰かのものになる前に」男でもギャンブルでもなく…10年間で10億円を横領した女性の“貢ぎ先”とは
文春オンライン / 2024年11月18日 7時0分
『私の馬』(川村元気 著)新潮社
すぐに返せばいい――。造船所の事務員として働く瀬戸口優子は、ひとりで経理を務める組合の金に、いま手をつけようとしている。罪だとはわかっている。でも、「彼」のために、450万円、月々の預託料20万円が必要だ。彼が他の誰かのものになる前に。あの時、国道の真ん中に佇み、漆黒の瞳で優子を見つめていた彼、ストラーダのために。〈見つけた。/私が思うより少し先に、馬からそう語りかけられた気がした〉
川村元気さんの『私の馬』は、10年間で10億円もの会社の組合の金を横領し、男でもギャンブルでもなく、馬に注ぎ込んだ女性の事件から着想を得た小説である。
「まるで喜劇のような事件が気になりました。横領事件と自分の生活実感が繋がれば、物語となる予感もあって。当時、2020年は、僕の周りで犬や猫を飼う人が急激に増えたんです。コロナ禍で人との直接の接触は減る一方、スマホの中にはトイレの落書きのような罵詈雑言が溢れていた。史上最も多くの言葉を費やして互いを傷つけあう時代に、みんな疲れ、言葉を必要としない動物とのコミュニケーションに惹かれているのではないか。馬に10億円を貢いだ女性の気持ちに繋がった気がしました。それで馬の取材を始めたんです」
〈私がそちらに曲がろうと思うよりも“少し先に”彼は左に曲がった〉。優子はストラーダと通じ合う悦びにのめり込んでいく。「これは僕の実体験。馬が僕のことを理解してくれている、と感動しまして……」と川村さんは自嘲気味に振り返る。
「乗馬クラブや牧場を訪ね、100頭を超える馬に出会いましたが、馬の懸命さ、純粋さには確かに惚れました。一方で、馬が動かないときは、動くまで待つしかない。即レスが当たり前の僕らは、もう待てなくなっている。でも本来のコミュニケーションは、自分の思い通りにはいかず、相手がいつも同じ方向を向いてるなんてありえない。そんな当たり前のことに気づかされました」
作品全体に通奏低音のように流れる〈ドゥダッダ、ドゥダッダ〉のリズムも、川村さん自身が感じた馬の律動だという。
「走る馬を見ると“パカラ、パカラ”という乾いた音ですが、実際に乗ると、体重500キロの巨体が動くずっしりと重い音が響き、それが自分の拍動とシンクロして、人馬一体という感覚が生み出されてゆく。馬の嘶(いなな)きは金管楽器のようですし、音楽のセッションのような心地よさすら感じました」
調教師の麦倉は言う、〈笑ってご機嫌取るのは人間だけだ〉、媚びるな、〈息を合わせろ。お互い動物だ〉。
「馬とのコミュニケーションはフィジカルなものです。彼らは噛んだり蹴ったり、人を振り落として意思表示をする。乗馬クラブの方は、馬とのコミュニケーションは、むしろそこから始まるとみな口を揃えます。野生的で、原始的で……」
馬を知るほどに、人間と動物の関係性というより、動物としての人間のありようを描くことになった。翻って、いかに私たちが歪な社会を生きているかも。
「人は言葉に頼りきっていると実感を得たので、優子は他人との接触を拒み、ほとんど喋らない人物として描きました。頷きや愛想笑いがあれば周りが勝手に汲み取ってくれます。いまは、口を開けば嘲笑や批判の対象になりますから、沈黙こそが正解かもしれない。でも、言葉のないコミュニケーションに偏る人間は幸せなのか。ラストシーンには僕なりの答えを込めました」
言葉に絶望するか、希望を見出すか。「僕は現代の幸福論を書きたい」。稀代のストーリーテラーは微笑んだ。
かわむらげんき/1979年、神奈川県生まれ。映画プロデューサーとして『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』『怪物』『きみの色』『ふれる。』などを製作。2011年、史上最年少で「藤本賞」を受賞。12年に発表した初小説『世界から猫が消えたなら』がベストセラーに。著書に小説『億男』『4月になれば彼女は』『神曲』『百花』など。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年11月21日号)
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
5億だまし取られた被害者は「警察署で火をかぶろうかと…」ドラマより大胆な地面師チームの信じられない手口
プレジデントオンライン / 2024年11月15日 12時15分
-
「ガンバレ!中村くん!!」中村役に小林千晃、広瀬役に榊原優希 山口勝平、竹内順子も出演
映画.com / 2024年11月13日 23時0分
-
“ギャンブルなどに使った”造園会社の資金着服か 元経理担当の男逮捕
日テレNEWS NNN / 2024年11月13日 10時43分
-
「小栗旬が動いたのか」伊藤健太郎の事務所移籍に賛否「どうせまたやらかす」拭えぬ負のイメージ
週刊女性PRIME / 2024年11月3日 19時0分
-
「この先1人じゃ老後が不安…」バツイチ独身アラフォー女性が、マチアプ婚活で直面した「仰天の事実」
Finasee / 2024年11月1日 17時0分
ランキング
-
1マンション購入で始めた「夢の自宅サロン」はわずか半年で閉店 “見落としたルール”に翻弄された30代女性の結末
まいどなニュース / 2024年11月16日 18時35分
-
2「ここまでやりゃ清々しい」「絶対地上波にそぐわないテーマ」衝撃のマンガ実写化ドラマ
マグミクス / 2024年11月17日 21時25分
-
3セブン「上げ底疑惑」で思い出す"最強のコンビニ" 徹底的にファンに向き合う「セコマ」の凄さ
東洋経済オンライン / 2024年11月16日 8時30分
-
4学生服の下に着る「シャツ」→西日本では「ワイシャツ」と呼ばない!? SNS驚き「別の何かかと思ってた」
オトナンサー / 2024年11月17日 22時10分
-
5新潟名物『イタリアン』販売中止 みかづきが発表「製麺設備故障のため」
ORICON NEWS / 2024年11月17日 21時32分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください