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MRIで「がんではない」→別病院でステージ3の乳がんを宣告された梅宮アンナ(52)が明かす、検査までの経緯「場合によっては人が死にますよって…」

文春オンライン / 2024年11月24日 11時0分

MRIで「がんではない」→別病院でステージ3の乳がんを宣告された梅宮アンナ(52)が明かす、検査までの経緯「場合によっては人が死にますよって…」

梅宮アンナさん

 8月13日、希少がんである乳がん“浸潤性小葉がん”のステージ3であることを公表した、梅宮アンナ(52)。

 11月7日に右胸の摘出手術を受けた彼女に、がん発覚までの経緯、母・クラウディアさんと娘・百々果さんの反応、抗がん剤の副作用などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/ 続き を読む)

◆◆◆

右胸のサイズが縮んで「え、私の更年期ってこうなんだ」って

ーー今年の5月に、体の異変に気付いたそうですね。

梅宮アンナ(以下、アンナ)  朝、シャワーから出て、鏡を見たら、昨日の自分と違ってたんです。右胸のサイズが明らかに違うんですよ。縮んじゃったの。カップでいうと、CからAぐらいになっちゃってて。

 それががんだとはまったく思わず「え、私の更年期ってこうなんだ」って。私、51歳だけど、更年期の症状がほとんど出てなかったので。たとえば、ホットフラッシュとか頭が痛くなって「ウ~」みたいなのがなかったので、私の更年期はこれなんだって。

 それで、6月中旬にいつも行っている病院に、マンモグラフィとエコーの予約を入れて。「1箇所で調べるのは不安だな」と思って、同時にふたつぐらい受けていたんですね。頭のなかでは、セカンドオピニオンどころか、サードオピニオンまで用意をしていたので。いまは、サードオピニオンくらいまで考えたほうがいいと思った。

ーーそれは今回のことを通じて、そういった考えに。

アンナ 体験してみて、そう思った。最初に予約を入れてマンモグラフィとエコーを受けて、その結果が2週間掛かるんだけど、その2週間が待ってられないんですよ。知りたくて、知りたくて。

 だから、その合間に胸専用のMRIっていう、紹介状がいらない自由診療のところに行ったんですよ。そこの謳い文句が「マンモグラフィのように痛くありません」で、どうなのか知りたいから、やっぱり行っちゃいますよね。ドゥイブス・サーチって胸専用のMRIなんだけど、ふつうのMRIやCTは造影剤を使うんだけど、造影剤は打たないし、血液検査もしない。うつ伏せになって、機械に胸を入れるだけ。

「がんではありません」から一転、別の病院でがんの告知

ーー痛くなくて、造影剤を打たなくてもいいと聞くと、敷居は低くなりますね。

アンナ そこに行ってやってもらって、最初のマンモとエコーの診断が出る1週間前に結果が出たの。CD-ROMで画像が送られてきて、「あなたは判定Bです。がんではありません」って先生が書いているの。「がんではなくて、嚢胞です」と。でも、私は明らかに異常を感じていたから、どうしても信じられなくて。

 ママはそれを見て喜んだの。「よかったわ、本当に。これ以上もう調べなくていいから」みたいな感じで。ママは、向かっていくタイプじゃないので。いいように考えたいんだろうけど、私は「判定B、あなたはがんではありません」とはっきり言い切っているのが怖くて。その結果をゴミ箱に捨てちゃったんだけど、ママが拾って「どうして捨てちゃうのよ」って言うから、「ママ、血液検査もやってない、生検も取ってない、造影剤も使わない。おかしいでしょう。私は異常を感じてるんだから」って。

 その1週間後、最初に行った病院から、がんの告知を受けて。案の定ですよね。「ほらね」って感じで。

ーー胸専用MRIのクリニックは、「がんではなくて、嚢胞です」の診断結果を送られて終わりですか。

アンナ がんって診断が出てから、クリニックに呼ばれたんです。もちろん、機械に映らなかったってこともあるし、最終的には人が画像をチェックして判断するので見誤るってことがあるから、そこはしょうがないとは思う。ただ、私が許せなかったのは、診断書を書いた先生のほかに偉い先生もいたんですけど、その偉い先生が「僕が見ていたらこんな診断は出さなかった」とか言い出したこと。もう、そんなこと言われても遅いしね。

 診断書を書いた先生に「一言『嚢胞が多いから、大きい病院で調べたほうがいい』って、どうして書けないんですか?」って言ったの。「これ、場合によっては人が死にますよ」って。向こうは私が弁護士を連れてくると思ってたらしいけど、そのときにはがんの告知を受けてたから、そんなことやってる暇ないし、それだけ言って帰りました。

先生がすごいカジュアルに「浸潤性小葉がんですね」って

ーー罹患したのは、浸潤性小葉がん。乳がんでも希少がんにあたるもので、部位は右乳房、ステージは3A。リンパ節への転移もあったと。

アンナ 7月の頭に告知を受けたんですけど、先生がすごいカジュアルに「浸潤性小葉がんですね」って言うんですよ。数十年前に父ががんになったときは、本人には言わない、家族には気を使って知らせるって感じだったのを知ってたから、「先生、今日は結果を教えてくれるんですよね。ママも来てるんですけど、大丈夫ですか?」って聞いたら「どうぞどうぞ、ご一緒に」って言うから、昔と違うなって。

 昔は「告知は、家族同席でもよろしいですか」とか確認を取ってたはずなんだけど、サラッと「ご一緒に」って。いつもお花畑にいるクラウディアさんには、さすがにこれは衝撃すぎるなって。相続のときにも、いろいろショックを受けてるのを見てたから、病院に連れてきちゃってママに悪いことしちゃったなって。

ーー淡々と告知を受けたのですか。

アンナ なんか、ママの心配しかしてなかった。私はちっちゃい頃からそうなんだけど、どんな衝撃にも結構耐えられるタイプで、あんまりパニックにならないんですね。「ああ、そうか」みたいな感じで、そこから調べていく。目の前に来たものをビックリしないようにというのが、小さい時からモットーなんです。だから、パパが亡くなったときもパニックにならなかったし。

 よく「がんと聞いてガーンとなる」みたいなこと言うけど、「乳がんです」って言われてもさほど驚かなかった。それよりも「梅宮さんの場合はフルコース」と言われたことには、さすがにガーンというかビックリした。

抗がん剤はキツいけど、お外に行こう、人に会おう

ーーフルコース?

アンナ 治療の期間を聞いて、ガーンと来たの。で、私の場合は術前化学療法といって手術前にふたつの抗がん剤治療をやるんだけど、ひとつがAC療法、もうひとつがパクリタキセル療法。で、右胸の摘出手術。そのあともいろいろと。

ーー抗がん剤治療は辛いと聞きますね。

アンナ 昔はみんな抗がん剤がキツくて吐いていたし、吐き気止めがなかったんですって。でも、いまは吐き気止めがあって、その薬を30分かけて入れてくれて、抗がん剤を投与した次の日からも3日続けて吐き気止めを飲むんです。そういうのも日進月歩で、昔とは違うなって。

 今回、私は「がんになったらどうするの? どうやってやっていくの?」ってところにフォーカスしていて、そこがすごく重要なポイントで。「抗がん剤、キツい」って気持ちになったら、そのままどんどん落ちてっちゃうんですよ。でも、キツいけどお外に行こうとか、人に会おうってなると、忘れられるので。

朝、シャワーに入ったら「あ、来た」と感じた瞬間に髪が抜けて…

ーー告知のとき、お母さんはどのような様子でした?

アンナ すっごい泣いてた。「それでも、あなたが笑ってるから、元気だから良かったわ」って、何度も言ってた。それよりもママが一番ショックだったのは、抗がん剤の副作用で私の髪が抜けたとき。

 抜け始めて4日間ぐらいで全部抜けるんだけど、段階があるんです。朝、シャワーに入ったら「あ、来た」と感じた瞬間に抜けて。その抜けた毛が抜けてない毛に絡まって、ドレッドみたいになっちゃったんです。その日、生放送があったんで「やば、どうしよう」と焦って、慌ててコンディショナーしたけど、全然なにも変わらなくて。で、「ママ、悪いけど切ってくれる?」って言って。

 そうしたら、もう泣いてるわけ。ショックだったとか、怖かったとか、「自分の娘がこんなになっちゃっていてかわいそう」とか、いろんなことが入り混じってたんだと思うんですけど。

「梅宮アンナが髪の毛ないってありえないんだけど」とか思って…

ーー抜け毛に備えて、髪型を変えたりしていたのですか。

アンナ バリカンで刈っちゃう人がいるけど、チクチクするって聞いてたから、それはやめてたんです。とりあえず、ボブをもうちょっと短くした感じにして。

 ほんとは自分で切りたかったんだけど、頭の上だから見えないし、ママに切ってもらって。そうしたらフランシスコ・ザビエルになって、「いや~、ここなくなっちゃった」みたいな。

 やっぱり、髪の毛がなくなるのは、怖くて、イヤで。「梅宮アンナが髪の毛ないってありえないんだけど」とか思って。「髪の毛なくなるなら、抗がん剤やめたいな」って一瞬考えるくらいイヤだった。

ーー現在の髪の状態は。

アンナ ほぼ9割ないんですけど、いまは「楽ですね、髪の毛ないの」って言ってる。5分ですべてが終わって、ブローする時間もいらない。最高、みたいな。私のこれまでの人生って、髪の毛を洗ってブローする時間が、こんなにも占めていたんだと思って。

 抗がん剤が終わると、髪の毛はまた生えてくると言っているし。ただ、毛の質が変わる可能性もあって、どういう質になるかわからないけれども、人生のなかの4ヶ月から半年ぐらい髪の毛がないって体験も悪くないかなと。

 昔、ハゲている人と付き合ったことがあって。バーコードみたいな。で、髪の毛をすごい大事にするから、ケンカになったときに、こっちも頭に来てクチャクチャにしてやったことがあるわけ。そうしたら、相手は「やめろ、やめろ!」って。いま、私自身の髪がこういう状態になって、その思いがすごくわかりました。その気持ちがわかって、申しわけなかったなって。

ーー娘の百々果さんには、どのタイミングで病気のことを。

アンナ 百々果には、胸の異変を感じたときから言ってる。5月20日に自分の胸の写真を撮って、「大変、見て。こんな感じ」って送ったら、すぐに「ママ、それマズイよ」と言ってきて。そこから百々果は、私のことで眠れない日々を送ることになるんだけども。

 家族にどう伝えるかとか、家族がどういうふうに受け止めるかって、本当に人それぞれだし、性格もあってのことなので。今回、いろんな方からお話を聞いて驚いたのが、意外とみなさん「がんになった」って言えないってこと。たとえば、「がんになりました」って会社に報告したら、仕事がなくなってしまうかもしれないっていう恐れがあって。言えなくなってるっていうね。

がんという経験を通して、考えたこと、学んだことを発信できれば

ーー家族以外には言えない方は少なくなさそうですね。

アンナ 「言えないと余計に悪くなっちゃう。吐き出さないと」って、私は思ったの。こんなことをひとりで抱えていたら、どんどん悪くなるから。気持ちとか精神状態ってすごい大事で、それが病気を左右することって私はあると思うんですよ。見えない力というか。

 そういうのもあって、「がんになって、これからどうやって生きていこう」と考えたときに「言おう」って思ったよね。それで、がんだってことを公表して、今日みたいに話したいなって。

ーー公表することを、誰かに相談は。

アンナ 先生には止められてはいないけど、「アンナさん、ステージ3Aってのは言わないほうがいいかも」とは言われた。「なんで?」って聞いたら「世の中の人は、ステージをすごい気にしてるけど、実際のところ、詳しくは知らない」って。「ステージ1だから助かるとか助からないとか、そういう話ではない。アンナさんの場合は、ステージ3Aだと言うと、重いと思われるし、言うとお仕事がなくなっちゃうかもしれないですよね」って。

ーーイメージ的にいろいろと。

アンナ 先生は、すごく親身になってそう話してくれけど、私は「でもね、先生。私ね、新しいお仕事がしたいんです」って言ったの。お仕事をさせてもらっていたことに対しては感謝しかないけど、がんになっても、これまでのような感じの仕事を続けていかなくてもいいかなって。

 がんという新しい経験を通して、考えたこと、学んだこと、現実を発信できればと。私がステージ3Aだと言うことで「ああ、梅宮アンナって3Aなんだ。まだ私のほうがマシかも」って思ってくれるだけでも良いわけだし。すこしでもガッカリしたり、怖がったりすることが減ればいいなっていう。

 でも、先生の言う通りっていうか、がんを公表したことで「さよなら」となった人はいますね。マネージャーさんとか。

写真=鈴木七絵/文藝春秋

〈 がん公表でマネージャーと決別、免疫治療は一切やらず…梅宮アンナ(52)が語る、がんになって一変した価値観「日本が素晴らしい国だなと」 〉へ続く

(平田 裕介)

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