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「もうダメかと思った」SMAP人気絶頂期に起きた“逮捕事件”…稲垣吾郎が復帰後初のスマスマ生放送で見せた“意外な行動”

文春オンライン / 2024年11月19日 11時0分

「もうダメかと思った」SMAP人気絶頂期に起きた“逮捕事件”…稲垣吾郎が復帰後初のスマスマ生放送で見せた“意外な行動”

稲垣吾郎 ©getty

〈 SMAP“公開謝罪番組”放送直前で…草彅剛に“あのひとこと”を言わせた罪悪感「いま、僕らはここに立てています」の真相 〉から続く

 2024年3月に放送作家を引退したのを機に、「小説SMAP」をうたった 『もう明日が待っている』 を刊行。SMAPの素顔を余すところなく描き出したのが鈴木おさむさんである。

 テレビの世界を離れて半年あまり。いまこそ語れる「SMAP論」を、存分に披露していただこう。今回は稲垣吾郎の、味わい深い人となりについて語る。(全2回の1回目/ 後編 に続く)

◆ ◆ ◆

SMAPで最初にブレイクしたのは…

 僕が稲垣吾郎さんとお会いして仕事をごいっしょするようになるのは、放送作家として関わっていた『SMAP×SMAP』が始まった1996年からですが、そのころすでに稲垣さんは売れていました。SMAPのメンバーのなかで、いちばん最初にフィーチャーされたのは稲垣吾郎さんだったはずです。

 稲垣さんが注目されたのは、1992年のフジテレビ系ドラマ『二十歳の約束』への出演で、それがSMAPというグループの認知度を一気に上げる起爆剤にもなりました。なんといってもあれだけの美形ですから、それだけでもう大きな話題となっていました。

 翌1993年にはフジテレビ系でドラマ『あすなろ白書』が放送され、木村拓哉さんが大旋風を巻き起こします。そのままSMAP自体もブレイクし、国民的アイドルグループとなっていきました。

 先鞭をつけた稲垣吾郎さんは、ほかのメンバーがあとから駆け上がってきたことを、どんな気分で見ていたのだろうと思います。足並みをそろえて前に進めることがうれしい半面、追いつかれる側としての焦りみたいなものも、多少はあったかもしれません。

 いつしかメンバーのうち中居正広、香取慎吾、草彅剛はバラエティに出る人たち、木村拓哉と稲垣吾郎は俳優としてドラマ出演に軸足を置く人たち、という色分けができていきました。ドラマ組の木村拓哉さんは『あすなろ白書』以降、テレビ史に残るほどのビッグヒットを連発するようになります。

本人の中では悩んだこともあったのでは

 もちろん稲垣さんも着実に俳優としてのキャリアを築いていったものの、本人の中では悩んだこともあったのではと推察します。

 とはいえ、それでメンバーとの関係がギクシャクするようなことはありません。稲垣さん自身の情緒が乱れた時期などもなかった。画面を通して受け取る印象のまま、稲垣吾郎さんはたいへん人当たりがいい人間なのです。

 どんなときでも、その場の空気をさりげなく整えるのが抜群にうまい。これは『もう明日が待っている』に書きましたが、2000年に木村拓哉さんが結婚した際も、稲垣さんの何気ない優しさが光りました。

 結婚の話がマスコミにすっぱ抜かれたとき、SMAPはコンサートツアーの真っ最中でした。木村さんたっての希望で、さいたまスーパーアリーナでの公演の冒頭、本人の口から結婚の報告をすることとなりました。ファンの方々がどういう反応を示すか、予想もつかなかったので、本番前はメンバーもスタッフも、全員が明らかに落ち着かない様子でした。

 そんななか、稲垣さんはケータリングのパスタを、ふつうに食べていました。まわりに声をかけながら、平然といつも通りにふるまっているのです。

 あとから聞いたところでは、

「あれは、あえてふつうにしていたんだよ」

 とのこと。メンバーの自分が変わらないようにしていないと、スタッフも緊張しちゃうだろうからと、気をつかってのことだったと言います。

「ズボンのチャック開いてるよ」と言われ…

 グループ内でも、空気を大切にしていつも人一倍周りを気にかけていました。木村拓哉さんとともに「役者部」を背負っているという意地やプライドもあったでしょうし、美形を生かした「二の線」で売り出した路線を守りたい気持ちもあったかもしれないのに、『SMAP×SMAP』ではコントにも力を入れて取り組んでくれました。

 やってみるとこれがまたうまいのです。稲垣さんはコントの名手でした。たとえば「ズボンのチャック開いてるよ」と言われ「え?」と返すひとことだけでも、間や言い方の妙でオチをつけることができてしまう。ヒュー・グラントのような上質で人間味あふれる英国風コメディを、ナチュラルに演じられる。これは稀有な才能だと思います。

人気絶頂期に起きた“逮捕事件”

 長いキャリアのなかで、稲垣吾郎さんのターニングポイントとなった出来事がひとつあります。2001年、東京・渋谷路上での道路交通法違反と公務執行妨害の疑いで逮捕された件です。のちに不起訴処分となりますが、その後約5ヶ月間は芸能活動を自粛しました。

 当時はメディアでも大きく取り上げられ、日本中を騒がせる事態となりました。これほどの状況になるとは、本人も思っていなかったことでしょう。ともあれ稲垣さんは活動自粛期間中、大いに反省したのだと思います。

 同時にその間、周囲に助けられ支えられることでこれまで活動できていたことも、改めて痛感したはずです。マネージャーの飯島三智さんは、何とか問題を最小限に収めようと、身を粉にして奔走しました。事件を起こしてしまったことはもう覆らないとしても、起訴されるか不起訴になるかで大きな違いとなります。起訴され裁判で罪を問われることとなれば、芸能活動はあきらめなければならなかったかもしれません。

 渦中のある日、僕のもとへ飯島さんから電話が入りました。不起訴処分が決定した旨の連絡でした。

「よかった……。もうダメかと思った……」

 飯島さんは涙声で、噛み締めるようにそう言いました。

 メンバーもできるかぎりのサポートをしました。当時、稲垣さんを除く4人でコンサートツアーを回っていました。公演の終盤にはメンバー全員が、稲垣さんの姿をプリントしたTシャツを着て登場するシーンがありました。

 活動自粛中のメンバーへの言及は、管轄する組織や事務所的には好ましくないと判断するところでしょうが、メンバーはかまわず連帯を示しました。メンバーの行動は本人にも伝わっており、稲垣さんは強く励まされたことでしょう。

 自粛が明けて、『SMAP×SMAP』出演で活動を再開させた稲垣吾郎さんは、生放送の番組内で涙を流しました。それはつらかった日々をふりかえっての涙というよりも、まわりへの想いをありがたく噛み締めながらの涙だったのではないでしょうか。

〈 稲垣吾郎が現行犯逮捕され、事件を経て“変わった”ワケ「稲垣さんに一番驚かされたことは、SMAP解散後の身の振り方」 〉へ続く

(山内 宏泰)

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