「実力もさることながら…」当時14歳だった藤井聡太が、三段リーグの対戦相手に与えた“衝撃”とは
文春オンライン / 2024年11月16日 7時0分
〈 「2時間くらい号泣していました」“棋士のタマゴ”たちが切磋琢磨する中で「負けたから強くなれた」原点とは 〉から続く
昨季は昇級・昇段を果たし、服部慎一郎六段と組んだ漫才コンビ「もぐら兄弟」の活動も話題となった冨田誠也五段。インタビューの中編では、過酷だった奨励会三段リーグ時代の思い出やプロデビュー後について聞いた。
冨田さんの天敵
――冨田さんの三段時代には里見(現・福間)香奈、西山朋佳という2人の女性三段がいました。
冨田 特に同学年の西山さんは天敵で、小学生時代から勝てません。直接対決の勝率でいうと古森君や出口君との数字よりも悪いです。西山さんは私が上がった1期前のリーグで14勝していますし、棋士編入試験に合格してもまったく不思議ではないと思います。もっとも、試験官を務める新四段も、注目を集める舞台ですから気合を入れてきますよね。
他に女性の三段というと中さん(七海・現女流三段)ですが、彼女とは入れ替わりの形になったので、三段リーグでは指していません。しかし公式戦で負かされました。中さん、2歳年下なので昔から七海ちゃんと呼んでいますが「まさか七海ちゃんに負けるとは……」というおじさんじみた気持ちも出てきましたね。実はプロになってから私は福間、西山、中の全員に負けているんです(福間に1勝1敗、他の2人には0勝1敗)。
――あと、冨田さんの三段時代は、藤井聡太竜王・名人が奨励会を駆け上がって行った時期でもありました。
冨田 三段まで来ないと直接当たる機会がありませんから、それまでは警戒していませんでした。正直なところ、リーグがかぶるとも思っていませんでしたね。強い少年がいるんだ、というくらいです。
――ですが、藤井竜王・名人が1期抜けした三段リーグで対戦がありました
冨田 ラス前の日に当たりましたね。藤井さんが11勝で、私が10勝という昇段を争う一局です。こちらは上位者をたたくチャンスですから、当たりたかった気持ちがありました。でも将棋は完敗で、相手に我慢強く指されて自分が先に暴発です。実力もさることながら、中学生に我慢比べで負けるのが情けなかったです。兄弟子の池永さんも藤井さんと昇段を争っており、そういう意味でも勝たなければと思っていました。
「大学卒業の時にプロになれていなかったのはショック」
――冨田さんが四段昇段を決めたのは2020年、24歳の時です。それまで、プロになれないのではという思いが頭をよぎることはありましたか。
冨田 自分が昇段を逃してショックを受けたことなら、17年の第61回リーグで古森君が上がった時ですね。同じ12勝6敗で、自分が頭ハネでした。当時はまだ21歳で年齢制限までは余裕があり、プロになれないとは思いませんでした。ですが、大学卒業の時にプロになれていなかったのはショックでしたね。
――大学卒業後の年齢でプロになった棋士から「同級生は卒業や就職で環境が変わるのに、自分の環境はまったく変わらないのが情けなかった」という言葉をよく聞きます。
冨田 そうですね。特に自分の場合は大学入学時も三段でしたから。もちろん自身の中では紆余曲折がありますが、傍から見ると何も変わっていないのはつらかったですね。研究会などを重ねることで、上に近づいている手ごたえはありましたが、あと少しの壁がなかなか突破できませんでした。古森君のあとも、出口君や黒田君が上がって、自分だけが取り残されている感じはありました。
――最後の壁を突破出来たきっかけは何だったのでしょうか。
冨田 だらだらやってもよくないのは
わかっていました。自分は自身に甘いので強い気持ちを持たないといけない。ですから19年4月からのリーグで、ここからは一度でも負け越したら退会しようと思っていました。ここからは自分の中でも一番将棋の勉強をやっていた時期だと思います。
――その19年度前期、第65回リーグでは8勝10敗の負け越しです。
冨田 このリーグはラス前でとんでもない逆転負けをしました。三段リーグの戦い方もわかっていたはずなのに、まだこんな負け方をするのかと自身に呆れましたね。その時は気持ちが切れていましたが、次の相手が伊藤君(匠叡王)です。なぜか相掛かりを採用して勝ちました。無心でやれば強い相手には勝てると。覚悟を決めるために、当時の幹事である北浜先生(健介八段)に「退会届をください」と言いました。出すつもりはなく懐に忍ばせてと。この時はまだプロになれると思っていました。この時点で、次の半年がダメだったらやめると、都成さん(竜馬七段)にだけは伝えていました。もちろん止められましたけど。
自分を見つめ直す2ヵ月間
――次の第66回リーグでは6勝12敗でした。これは冨田さんの三段リーグでもっとも悪い成績です。
冨田 出だしが1勝7敗で、かえってやめられなくなりましたね。競っての結果ならまだしも、こんなボロボロでは。地元の三田にも恩返しできておらず、それでやめるのは自分勝手だなと。プロではなくとも、奨励会三段の肩書なら指導などの活動はできます。年齢制限までの2年は恩返しをするつもりで退会は踏みとどまりましたが、もうプロになれないと思っていました。
――ところが、第67回リーグでは14勝4敗の好成績で四段昇段を決めました。
冨田 身のふり方を相談した友人の一人が起業家で「アカンかったら何とかしたる」と言ってくれました。本気で世話になるつもりはなかったのですが、自分にそこまで言ってくれるんだということは大きかったです。あとはそのリーグ開始がコロナの流行し始めの時期で、本来は4月にスタートするリーグが6月スタートに延期されました。この2ヵ月で自分を見つめ直そうと、米長先生(邦雄永世棋聖)の言葉じゃないですが、「無双」と「図巧」を全部解きました。
――江戸時代の名棋士である伊藤宗看・看寿兄弟が作った詰将棋作品集の「無双」「図巧」をすべて解けばプロになれると言ったのが米長永世棋聖ですね。それだけの熱意を込めればという意味だとされています。
冨田 そうですね。あとこの時期には立命のOBも含めた世代対抗戦がネット対局で行われたのですが、そこで3連敗しました。相手は横山さん(大樹さん。アマ竜王などアマタイトルを多数獲得)、中川さん、木村君(孝太郎さん。第27期銀河戦でプロを4人抜き)だから強いんですけど、現役の奨励会三段が3連敗はまずいですよね。その時の感想戦での様子を見た親に怒られました。将棋のことで親に怒られたことは相当に記憶がありません。自分にとってもショックなことで、これで三段リーグもさんざんだったら人として恥ずかしいなと。
まだ将棋を指してもいいんだということが、うれしかった
――その期は5連勝スタートでした。それからも星を重ねて、リーグの後半で昇段が現実的な数字になると多少なりとも意識されるのではないでしょうか。
冨田 それでもプロになれるとは思っていませんでした。自分の中では一度けりがついているので。ただ、伊藤君や古賀君(悠聖六段)といった若手有望株と同じ時期に将棋を指せているのはうれしかったですね。有望な若手と言えば上野君(裕寿四段)もそうで、このリーグで上野君とぶつかった時は立命の人から教わった作戦を指して勝ちました。
――冨田VS上野戦はラス前の16回戦ですが、16回戦の結果、伊藤さんが14勝2敗で四段昇段決定、冨田さんが12勝4敗で自力、古賀さんが11勝5敗で他力一番手という状況になりました。
冨田 その時も「残る2つを連勝できればプロか」という意識はなかったですね。逆に以前の三段リーグ最終日を三番手で迎えた時は「プロになったらどうしようか」などと思っていた記憶はあります。最終日は古賀君に逆転される可能性もありましたけど、その前の直接対決で負けているので、どこか納得する面はありました。
最終日の1局目は大作戦負けで「やっぱりプロにはなれないのか」とも思いましたけど、逆転勝ちです。勝てばプロ入りという2局目は「前局がひどかったから、もう少しましな将棋を指せるだろう」と考えていました。その最終盤で数手後の勝ちを読み切って、手洗いで席を立ちましたが、洗面所の鏡を見た時に涙が出ていることに気づきました。まだ将棋を指してもいいんだということがうれしかったですね。やっぱり将棋が好きなんで。最終戦を井田君(明宏五段)や徳田君(拳士四段)といった弟弟子が見に来てくれたのもうれしく、昇段を決めて師匠に電話したら、師匠も泣いていました。
負けた時の痛みは、プロになってからの方がきつい
――奨励会では苦労されましたが、プロになってから実質的な1年目である21年度は32勝16敗の成績でした。対局数ランキングでは10位タイです。
冨田 最初の半年(20年10月~21年3月)は4勝5敗で、やっぱりプロの先生は強いなと思いましたね。三段リーグの時と比べると、よりファンの方の声も届きます。応援してもらっているのに不甲斐ないなと、いろいろ深く考え過ぎていました。持ち時間の長い将棋を丸一日かけて負けるというのも初めての経験です。それでも絶対に何か結果を残さなくてはいけないという思いがあったから、30勝できたのではとも考えます。
――一局一局の勝ち負けについてはいかがですか。
冨田 負けた時の痛みは三段時代と比べてもプロになってからの方がきついですね。プロになってから感じるのは勝ちと負けの価値が等しくないことです。勝ってもそれほどうれしいわけではなく、日常が続くという感じなのに、一度でも負けると次の対局があるまではずっと沈んでいます。浮上することがなくて落ちるだけなのできついです。
以前、9連勝後に1敗したときは、「9勝1敗でここまで割に合わないのか」と思いました。どんなにプライベートでいいことがあっても、将棋に負けたらまったく楽しくないんです。逆にいうと他でどれほどのリスクがあっても将棋にさえ勝てばそれでいいんですね。やっぱり勝つことがすべてなんですよ。将棋が好きですから。それでも自分はプロの中では勝ち負けにこだわらない側だと考えているので、他の棋士はもっときついんじゃないかと思います。
写真=石川啓次/文藝春秋
〈 棋士コンビでM-1に出場して…「だからこそ将棋の成績を残さないといけない」という思いを強めたワケ 〉へ続く
(相崎 修司)
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