「三島さんの首が据わらないで転がっていた」クーデターはなぜ失敗? 自衛隊員に演説するだけで終わった「三島由紀夫の大誤算」
文春オンライン / 2024年11月28日 11時0分
1970年の「三島事件」とは何だったのか? ©getty
〈 「ピューッと血が噴き出てきた」5万円の賞金をかけられ二度刺されたことも…石原慎太郎の元参謀(77)が語る「安保闘争の凄まじさ」 〉から続く
1970(昭和45)年11月25日、日本を代表する作家・三島由紀夫が、自衛隊の東部方面総監を監禁――。戦後日本の重大事件のひとつである「三島事件」とはいったい何だったのか? 当時の記憶を、元東京都副知事である濵渦武生氏と、元プロ野球選手、元参院議員だった江本孟紀氏による対談本『 政治家ぶっちゃけ話 「石原慎太郎の参謀」が語る、あのニュースの真相 』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)
◆◆◆
三島由紀夫事件と私
――1970(昭和45)年11月25日、作家の三島由紀夫は、みずからが結成した民兵組織の「楯の会」の隊員4名とともに東京の自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れて益田兼利東部方面総監を監禁する。
三島は監禁後、バルコニーで自衛隊員に向けてクーデターを促す演説をして割腹自殺を遂げた。
この事件は社会に大きな衝撃を与え、新右翼を生み出すなど、国内の政治運動や文学界にも大きな影響を与えたが、事件当時、23歳だった2人も衝撃を受けたという。
江本 三島事件は非常にショッキングでしたね。ちょうどそのとき、私は法政大学を出て社会人野球で有名な熊谷組に入社していたんです。
その熊谷組が東京の飯田橋にあったので、事件のある市ヶ谷まではわずかひと駅。すでに社会人野球のほうはシーズンオフで、一日中会社にいないといけない時期だから、退屈でしょうがなかった(笑)。
だから事件発生の一報を聞いたときは、いても立ってもいられずに市ヶ谷まで走ったのを覚えています。いま、思い出してみても、なんだかあの日は、あのあたりの沿線が異様な空気でした。
「三島さんの首が据わらないで転がっていた」
濵渦 私は関西大学の学生時代に三島さんにも会ったことがあるんです。「関西大学で講演してほしい」という話を三島さんや石原さんに持ち込んだんですね。そうしたら、三島さんには断られてしまった。「俺は東大でしかやらんぞ」みたいなことを言われたんですよ。
その一方で、石原さんは気軽に「いいよ」と応じてくれて、学生相手に講演してくれました。そのことに恩義を感じて石原さんにくっついていくみたいなところがありましたからね。
三島事件が起きたときも「楯の会」のメンバーとは知り合いでしたから、すぐに大阪の私のところにも連絡があったんです。市ヶ谷の私学会館(アルカディア市ヶ谷)にいた「楯の会」のメンバーから、「三島先生や古賀浩靖たちが益田総監に会いに行っている」と連絡がありました。
彼らは「立てこもっている」という言い方を私にはしませんでした。あくまで「会いに行っている」という話しぶりでしたね。それで私が「あなたがたは、どうしてそこにいるんだ?」と聞くと、「ここで指示を待っているんだ」と。
私は関西の民族派の学生たちを組織化していましたから、兵隊を少し動かせたんですね。だから、「若い衆がもし必要なら、今日、明日なら100人くらいはそちらに送り込めるぞ」と言ったんです。それで連絡を待っていたら、緊急ニュースが一気に始まって、テレビ中継もされて、三島さんがバルコニーで演説するところが流れていた。
その様子を見ながら、「これは、いまから駆けつけられるような状況ではないなあ」と思いましたね。
事件当時は石原さんも参議院議員でしたから、市ヶ谷まで行ったみたいですが、「なかには入れなかった」と言っていましたね。
三島事件については、いろんな憶測が飛び交いましたが、なかで起こったことは益田総監しかわからない。
益田総監の言葉からわかっているのは、三島さんの首が据わらないで転がっていたということ。ひと太刀で切れずに何太刀もしたから、切断面が安定しないで転がってしまった。写真もあるみたいですね。
一方で、森田必勝はひと太刀で切っているから、首がまっすぐになっていて、生首が立ったといわれています。
益田総監が「ちゃんと弔いをしなさい」と森田の首を立てさせたことも明らかにしていますし、検視をした情報もありますから。
三島事件については、いまも複雑な気持ちがあるというか……。
いまは自衛隊が現場を開放して見学できるようになっていますが、あのあたりに足を向けるのは少し気が重いですね。もう50年以上前の話になるのですが……。
江本 僕も国会議員時代に現場を見学してきましたが、生々しい刀のあとがありました。
なぜ自衛隊員はクーデターに参加しなかったのか?
濵渦 三島さんたちは益田総監に「いい刀があるから見てくれ」と日本刀の関孫六を持っていったんですよね。それで刀を見せて決起を迫っていく。益田総監を切ろうとしたわけではありません。益田総監に「クーデターの指示を出せ」と迫ったわけです。「憲法を改正して天皇中心の国家をつくるべき」というのが三島さんたちの訴えでしたから。
益田総監が命令を発すれば、自衛隊員はついてくるだろうという見立てだったのですが、益田総監は応じなかった。
三島さんは結局、バルコニーに立って、そこから一般の自衛隊員たちに檄を飛ばすしかなかったんでしょう。
でも、そうすると、演説する三島さんに野次が飛ぶ。そこにいる自衛隊員たちは三島さんの思想に理解を示すようなインテリタイプではないわけです。
みんな中学や高校を出て自衛隊に入っている人がほとんどですから。彼らを前にして国家を語っても難しかったと思います。
事件以来、三島さんを弔う「憂国忌」が11月25日に行われていますが、「憂国忌」をずっと主導したのは、発起人のひとりとなった名古屋市に本社があるフタムラ化学の創業者の二村冨久さんなんです。彼は坊主頭で、ズック靴に、いつも作業服の人でしたが、ずっと三島さんのことを思っていて、三島由紀夫神社もつくりました。すでに亡くなられましたが、三島さんを語るうえでは欠かせない人ですね。
江本 三島事件は私たちの世代にとっては本当に歴史的な事件でしたね。
(濵渦 武生,江本 孟紀/Webオリジナル(外部転載))
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