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《犯罪や不倫の告白からナス嫌いまで》やなせたかしさん発案の「ハガキでごめんなさい」全国コンクールから見えてくる世相

文春オンライン / 2024年11月28日 6時0分

《犯罪や不倫の告白からナス嫌いまで》やなせたかしさん発案の「ハガキでごめんなさい」全国コンクールから見えてくる世相

「ハガキでごめんなさい」全国コンクールの中心になっている徳久衛さん(南国市内で)

 高知県南国市の後免(ごめん)町の人々が実施している「ハガキでごめんなさい」全国コンクール。ダジャレが大好きだった漫画家・故やなせたかしさん(1919~2013年)が「故郷のまち起こしのために」と発案し、「言いそびれた『ごめんなさい』」をハガキで募集してきた。

 2023年度はちょうど第20回目を迎え、それまでに寄せられたハガキは計3万3820通に達した。これら大量の「ごめんなさい」はどのような内容だったのか。

犯罪、潰した豆腐、浮気の告白…直接言えない「ごめんなさい」

「えっ、と思ったのは犯罪です」

 徳久衛(とくひさ・まもる)さん(64)が言う。徳久さんは生前のやなせさんと南国市で最も親しく交流していた人だ。後免の人々で作る「ハガキでごめんなさい実行委員会」(西村太利委員長)では副委員長を務め、実質的にコンクールの中心になってきた。

「第10回までのいつかだったと思います。殺人ではありませんが、『罪を犯した』と書いてありました。前科何犯。『刑務所から出てきた』とも記されていて、『ごめんなさいと言いたい』という内容でした」

 最近はそうしたハガキは届いていないようだが、もし重大犯罪を自白する内容だったらどうなるのだろう。コンクールの事務局が置かれている南国市観光協会の担当職員、竹中瑞紀さん(31)は「ハガキには住所を書いてもらっているので、身元が割れてしまいますね」と話す。

 もっとも「近所の商店で27年前に豆腐をつぶして逃げたのは私です」(第7回大賞)などというような軽い罪を白状するハガキはかなり寄せられる。

 浮気の告白もある。

「配偶者や元配偶者に『ごめんなさい』と謝る内容です。審査で読んでいて、『ハガキに書くより、本人に謝ったらいいのに』という気持ちになります」と徳久さんは言う。

 南国市観光協会の安岡知子・事務局長(41)は「不倫ではないのですけれど、初恋の人に宛てたハガキもあります。『あの時、なぜあなたのもとへ走らなかったのか』ということも書かれていて……」と複雑な表情だ。

 現在、そう思わざるを得ない環境に置かれているのかもしれないが、配偶者や子供が読めば傷つく場合もあるだろう。だからこそ直接言わずに、「ごめんの町」へ送るのか。

「あなたを選んでよかった」57年前の愛のエピソード

 逆に、「あなたを選んでよかった」というハガキも届く。

〈<妻よ、五十七年前、お前が二十歳のとき、入院した病院で看護師していたお前に初めて会って、一目惚れしてラブレター出して、「うれしい!」と返事くれて、それがおれたちの長い愛の歴史の始まりになったんだよね?

 

 実はあのとき、おれはお前と同室だったN子さんへ、お前の名前とまちがってあの手紙を出したんだ。今まで黙っててごめん! けどな、すぐにまちがえてよかったと思い、今でも人生最高のヒットと嬉んでるよ。夫>(第14回優秀賞)〉

 内容からすると、応募時に妻は77歳の計算になる。夫妻とも元気であるならば、直接伝えてほしい「ごめんなさい」だ。

 ハガキから透けて見える多様な夫婦関係

〈<付き合って8年、なかなかプロポーズをしてくれないあなたに、しびれをきらし、わざとお見合いをした私。焦ったあなたは必死で阻止してくれたよね。

 

 そしてやっと念願のプロポーズ!

 

 あれから30年、今は、あったかい家庭の中で、孫もできて、毎日とっても幸福です。でも、あのときは――

 

 あなたにも、お見合い相手にも悪いことをしてしまったね。今まで言えなかったけど、本当に“ごめんなさい”幸福だから許してね!>(第17回JRごめん駅長賞)〉

 このハガキも老いてなお夫のことを思い続けている人から届いた。

 不倫に関しては、夫の浮気を防ぐために「他の人にモテなそうな」「ワンサイズ小さい」スケスケのパンツをはかせている妻から「ごめんなさい」と謝るハガキも届いた(第18回南国市商工会会長賞)。パンツ姿でムキムキの尻を楽しそうに振る夫の絵が描かれていたが、パンツはスケスケなうえ、ネコのような動物のデザインもされていた。

 ハガキから透けて見える夫婦関係は多様だ。不倫をして自責の念にかられる人あり。愛情深く添い遂げる人あり。両極の立場から「ごめんなさい」が届くのは興味深い。

目立つ面白いおじいちゃんネタ

 家族間の出来事はかなり寄せられる。

「比較的多いのは、不治の病という診断を、どうしても本人に告げられなかったという内容です。『高齢だったので、ショックを受けるより知らない方がいいと思った。でも本当に言わなくてよかったのだろうか』などと後悔の言葉が書かれています。残された時間でやりたいことが出来なかったのではないか、最期の過ごし方はあれでよかったのかと、悩む人が多いのでしょう。これは今でも寄せられます」と徳久さんは言う。

 母親の話が多いが、おじいちゃんネタも目立つ。「家族の中では意外に愛されキャラなんじゃないですか。存在自体がすっトボケた感じだし、面白いので」と徳久さんは笑う。

〈<おじいちゃんへ

 

 小さい時、おじいちゃんの頭に変な紙を張りつけて

 

 ごめん。

 

 気づかなかった

 

 おじいちゃん

 

 散歩に行って

 

 女の人に笑われて

 

 しまったみたいで

 

 心の底から

 

 ごめんなさい。>(第17回海洋堂高知賞)〉

 地元の南国市内にある高校の生徒からのハガキだ。口ヒゲを生やしたおじいちゃんが、ツルツル頭のてっぺんに細長い白い紙をアンテナのようにはりつけられている。そばには孫娘が描かれていた。

「頭髪」に関するイタズラは、一定の応募があるようだ。

〈<おじいちゃんへ

 

 小さい頃、たくさん

 

 頭にシール貼って

 

 ごめんなさい。

 

 (だめだけど、おハゲだったから・・)>(第19回ゴメンジャー賞)〉

 頭髪のないおじいちゃんが「余計にハゲるわ・・まっこと困った笑」と少し怒った顔で描かれていた。

「おじいちゃんは、孫に弱いですからね。孫娘には特に甘い」と徳久さんは話す。

お弁当やイタズラの「ごめんなさい」

 弁当の話もかなりある。

 南国市観光協会でコンクールを担当する竹中さんは「弁当はお母さんが朝早く起きて作ってくれるという認識があるので、残したりすると罪悪感が出るのかもしれません」と感じている。働くお母さんなら、なおさらだろう。お母さんの不在時、慣れないお父さんが作った弁当を、わざと忘れていったというようなものもあった。

 驚くようなハガキもあった。

〈<お父さんへ

 

 私が4才の時「ばれるよね」と思い。父の弁当のたまご焼きに黄色いねんどをいれました。

 

 父が帰ってから弁当の中を見ると

 

 ごはん1つぶも残っていませんでした!!

 

 おちつかないまま、次の日、父は、高熱をだしました。

 

 ごめんなさい!!>(第16回JRごめん駅長賞)〉

 油粘土を食べたせいだろうか。それとも別の理由で高熱が出たのか。大人なら玉子焼きとの区別ぐらいつくだろうに、新作料理と思ってありがたく食べたのかもしれない。おそらく妻が作ってくれた弁当だろう。食感と味に違和感はあっても、きれいに食べた。

 徳久さんは「子供の時にイタズラで、『あれをやったのは、私です』とか、『弟に罪をなすりつけていました』とか、『何かを壊して猫のせいにしました』というハガキも多く寄せられます」と話す。

〈<買ったばかりの車に、石で落書きをした、幼い私。

 

 せっかくの車が、芸術作品になってしまいました。

 

 本当に、本当に

 

 ごめんなさい。>(第11回JRごめん駅長賞)〉

 ギョッとするようなイタズラもあるものだ。

 こうして毎年大量のハガキが届き、「後免町」は「ごめんの町」として知られていった。

行先表示灯も方向板も「ごめん」になっている

 南国市観光協会の安岡事務局長は「JR後免駅のホームで『謝っている写真』を撮るのが、いっとき若い子の間で流行りました」と話す。

 高知市の「はりまや橋」方面から、南国市の「後免町」駅を結ぶ「とさでん交通」の路面電車にも変化があった。とさでん交通の担当者は「行先表示灯や方向板に『ごめん』とあることから、写真を撮りに来る人が増えました。『道路の真ん中を走ってごめんと、路面電車が謝っている』などとSNSに投稿する人もいます」と語る。「ごめん」は高知名物の一つになり、波及効果は大きかった。

 近年の応募数は毎年1500~2000通程度だ。内容は時代や世相を反映する。

 徳久さんは「以前は『検便に弟のウンチを入れて出したら、ギョウチュウ検査で引っかかった』というようなものもありました。ウンチは『マッチ箱に入れて提出した』と書いてあったので、時代を感じさせますね」と話す。

 安岡事務局長は「お姉ちゃんのお菓子を食べてごめんねというようなのも、以前はちょこちょこありましたが、最近はあまり見ない」と言う。「兄弟姉妹の関係が穏やかになってきているのかもしれませんね」と担当の竹中さんは分析する。

時代や世相を反映するハガキには、震災の話題も

 年によっての傾向もある。

 東日本大震災が発生した2011年は、「大変なことが起きてしまい、もうハガキは来ないだろうと思いました」と徳久さんは振り返る。だが、前年の2倍ほどの1825通が届いた。「特に東北地方から結構な枚数が寄せられたのは驚きでした」。

 この年度、大賞に選ばれたのは津波で深刻な被害を受けた宮城県名取市に住む17歳からのハガキだった。同市では震災による死者が884人、行方不明者は39人(2014年1月31日時点)に及んだ。

〈<父にごめんなさい

 

 私は小学生のようなコミュニケーションをとる父が嫌いでした。ですが、

 

 3月11日の東北大震災。父を残して逃げた私達。ラジオから聞こえてくる地元の死者の数…。私は怖くなりました。

 

 数日後

 

 ボロボロの姿で

 

 私達の前に現れた

 

 父。

 

 くだらない事で

 

 嫌って

 

 ごめんなさい>(第8回大賞)〉

 ハガキには、膝を抱えて座った少女が、眉を寄せ、唇を結び、涙を流す姿が描かれていた。

 ただ、応募されたハガキ全体を見ると、「震災を直接の題材にしたものはあまりなかった」と徳久さんは記憶している。

「本当にショックを受けた人は、そのことを書いて送れないのだと思います。気持ちに何らかの区切りをつけたいと考えた人は多かったのでしょうけれど」と徳久さんは見ている。

 命のはかなさを見せつけた震災。お互いに生きているうちに「ごめんなさい」と言っておきたいと考えた人も少なからずいたのだろう。

「天国へ行ったやなせたかし先生」に宛てたハガキ

 震災復興支援に力を入れたやなせさんは、2013年10月13日に94歳で亡くなった。

 安岡事務局長は「これに影響を受けたのか、翌年度は悲しいハガキがたくさん寄せられました。読みながら泣きそうになったのを覚えています」と話す。

 開催からちょうど10年という節目にも当たり、「第10回記念やなせたかし特別大賞」が設けられた。選ばれたのは福岡県の中学2年生だ。

〈<天国へ行ったやなせたかし先生、いつまでも悲しんでいて、ごめんなさい。

 

 ぼくは、明るく強く生きていきます。見ていてね。>(第10回記念やなせたかし特別大賞)〉

 アンパンマンなどやなせさんが生み出したキャラクターが大勢で涙する絵が描かれていたが、やなせさんが作詞した歌「手のひらを太陽に」を思い出させる文面だ。

 その後は、2020年から流行した新型コロナウイルス感染症にも影響を受けた。安岡事務局長は「やっぱりこの年の応募にも暗さがありました。国に対する文句を書いてきた人もいました」と言う。

なぜか増えた「ナス嫌い」と「プリンを食べてしまった」のごめんなさい

 理由は不明だが、年によって増える内容がある。顕著なのが「ナス嫌いでごめんなさい」と「こっそりプリンを食べてしまってごめんなさい」だ。

 ナスは「高校生までの年代です。県も学校もバラバラなのに、なぜか多い年があります。子供が嫌いな野菜といえばピーマンやニンジンが定番だったのに、これらはあまりありません」と安岡事務局長は首をひねる。

 やなせさんの母校、南国市立後免野田小学校の川村一弘校長に尋ねると、ヒントをくれた。

「品種改良の影響もあるのです。ニンジンは独特の香りが減って、食べやすくなりました。昔は苦かったピーマンも甘くなりました。逆にナスは柔らかい食感を嫌う子が増えています」

 多く寄せられる年とそうでない年がある「波」については、川村校長にも分からなかった。

 プリンも「アイスクリームやヨーグルト、ゼリーは少なく、なぜかプリンなのです」と安岡事務局長は不思議がる。

 安岡事務局長には逆の体験がある。若い頃にプリンではなく、コーヒーゼリーを食べられて、なんと家出をしたことがあるのだ。

「大人になってからの話で恥ずかしいのですが、私の実家は高知県でも山間部にあります。コンビニエンスストアやスーパーといったコーヒーゼリーを売っている店にはかなり遠いのです。就職して間もない頃、風呂上がりに食べようと帰りがけに1個買い、冷蔵庫に入れておきました。ところが、父が食べてしまいました。私は憤慨して家出をし、その後は父とあまり口をきかなくなりました。でも、父はコーヒーゼリーを食べたことさえ記憶していないだろうし、私が家出をしたことも知らなかいと思います。私に『ごめんなさい』のハガキを書いてほしいぐらいなのですが、ハガキ一枚で許してもらおうなんて浅はかだとも思う気持ちもあって……」

 たとえ父親であっても、食べ物の恨みは恐ろしい。

キリスト教の告解のように、罪を懺悔しているのか?

 コンクールの「ごめんなさい」はハガキに書くだけなので、相手には伝わらない。なのになぜ、3万3820通も寄せられたのか。

「海外ではキリスト教の告解のように、罪を懺悔する場があります。日本にはそうした場がないので、『ハガキでごめんなさい』が代わりになっている面はないでしょうか」と担当職員の竹中さんは考えている。

 安岡事務局長も「面と向かっては言えないけど、スッキリしたいとか、楽になりたいという気持ちは、誰にでもありますよね」と言う。

 徳久さんは「『あの時、言えばよかった』というような『ごめんなさい』は、心の奥底にいつまでも残り続けます。言うべき相手がこの世にいないこともあるでしょう。胸にしまい続けるのではなく、一枚のハガキに書くことで、心のつかえが取れることもあります。

『ごめんなさい』という言葉は本来謝罪に使われます。そこには『自己解放』という側面もあります。言う人も、言われた人も、赦され、救われる部分があるのではないでしょうか」と話す。

 一枚のハガキが持つ意味は大きい。

撮影=葉上太郎

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 第21回の応募は2024年11月30日まで(当日消印有効)。

 問い合わせは、現在の事務局が置かれている 南国市観光協会

〈 《「ハガキでごめんなさい」全国コンクール》「言いそびれた『ごめんなさい』」には、なぜ泣ける話と笑える話が同居しているのか 〉へ続く

(葉上 太郎)

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